33歳の育休09|1人になれるのはお風呂だけ
2024年の春に娘を出産しました。実家にいた頃からお風呂は長めだったけど、最近更に長く入るようになってきたかも。気が付いたら2時間経っている。というのも、完全に1人になれるのはお風呂だけだからだ。
娘はかわいいし、お世話も全く苦じゃない。でも、1人の時間を満喫するかのようにだらだらと風呂に入り続けてしまう。集中してyoutubeを見たいわけでも本を読んでいるわけでもない。インスタをひらき離乳食のレシピをだらだら見て、プールや体操教室の日時や月謝を調べたりしていたら2時間経っている。
風呂のなかでこれほどだらだら過ごしているのに、さらに日中の時間を取り戻すかのように夜寝る前にスマホを意味もなくいじって寝落ちするのはやめられない。
ほんとうにだらだらと時間を消費しているだけで、この間何も身についておらず有意義な過ごし方とは程遠い。
娘はかわいいけど、話し声や泣き声が聞こえない場所で1人で過ごすことが幸せだ。
電気もつけず真っ暗な空間で、お気に入りの香りのエプソムソルトを入れた湯船に浸かり、溺れるギリギリまで頭を沈めて「健康にいいことをしている!」という謎の充実感をかみしめながら天井を見る。
そして、日中は「今日はお風呂に入ったらあれをやるぞ!これもるぞ!」と意気込んでいるのに、いざお湯に浸かるとそんなことどうでもよくなり、「明日でいいか(笑)」というのを繰り返している。
例えば、「SABONのローシャンプーを使って頭皮マッサージをしてちょっとおいてから洗い流して髪をしっとりツルツルにするぞ!」という意気込みがあったとしても、どういうわけか10回に1回くらいしか成功しない。そこにあるチューブに手を伸ばすだけなのに。
次、「ワックス脱毛するぞ!」という決意は、「ワックス温めるのめんどくせ〜」という怠惰な心によってもう2週間延期を繰り返している。
フェイスマスクもなかなかの延期率を誇る。お風呂のなかでつけるタイプは、お風呂のなかに持ち込むのを忘れがち。「もう寒いから取りに行くのやだな。明日にしよう。」と思ったらさいご。明日にはフェイスマスクをするという気持ちはどこかへ行ってしまっている。お風呂のあとにつけるタイプのフェイスマスクは、「早く寝たい」の気持ちが勝りなかなか実施できない。
というわけで、私のお風呂タイムは、一見やる気に満ち溢れていてもそのほとんどが実現せずに終わる取り組みだらけで、1日のなかで最も生産性のない時間になっている。
でも、こうして1人の時間を過ごすことで精神を保つことができていると信じているし、お風呂に入れば長湯じゃなかったことなんてない人生なので、早めに風呂を上がることは不可能なんだろう。