bosyuがつくる「繋がり方」への愛が止まらないユーザーの話
こんにちは!おだりょです!
トップバッターの石倉さんに引き続き、bosyuユーザーひとり目として「bosyuアドベントカレンダー2020」企画のnoteを書かせていただきます。
今このnoteを書いている現時点ではまだ石倉さんのnoteは出ておらず、一体どんな文章を出されるか楽しみにしております…!
では早速、bosyuでこんなことがあったよ、bosyuのこんなことが好きだよ、といったことや
これからこんなことしていきたいなというムフフなお話まで、
いちユーザーが考えていることを、つらつらと書かせていただきます。
実はかなりお世話になっています
もはやいつ頃からbosyuを使いだしたのか、はっきりとした時期を覚えていないのが正直なところです。
ですが、Twitterのタイムラインに、あのbosyuの黄色の画面がチラチラと顔を覗かせるようになったのを見て、「何この気になるやつ」と感じたのははっきりと覚えています。
それまで僕はカメラで趣味程度に動画を作ったりする暇人大学生だったわけですが、クラウドソーシングタイプとは明らかに違うものを感じ取り、早速登録してみました。
こちら、懐かしの初bosyu。
何より嬉しかったのは、このbosyuをみて声をかけてくださった方がいました。
コロナだったり就活だったり、お互いの事情でその方の映像を撮ることはおあずけになってしまいましたが、自分の「できる」が誰かにとって必要とされた瞬間を前に、とても高揚した気分になったのを思い出します。
そんなこんなで月日が流れ。
就活で心がやられたとき、僕を助けてくれた素敵な大人たちと出会いました。
遠くからいつも見守り、助け合える同年代の大切な仲間が見つかりました。
一生かけても出会うことがなかったであろう方々に、「えらい」とスタンプで褒めてもらえるようになりました。
とある方のもとでインターンをさせてもらえるようになり、そこで頂いたお金で彼女と来週にディズニーに行きます。
これ全部、bosyuがあったからこそ巡り会えたんです。
もうおんぶに抱っこどころか肩車状態です。お世話になっております。
bosyuの価値観が好き
今、僕は大学で臨床心理学を学んでおります。
自分を含めた「ひとの心」を支えるために、一体自分たちには何ができるのだろうか、といったことを追求する学問に身を置きながら、今は卒論提出を前に毎日パソコンでカタカタしております。
僕がメインで扱っているのは「セルフ・コンパッション」という、自分自身に対する新しい向き合い方です。
そのようなことを勉強してはいますが、かといって自分の心が強いわけでは決してありません。むしろ貧弱です。
かつて、というか今もそうですが、「こうならなければいけない」という自分が作り上げた虚像のようなものに苦しめられていました。
必死に背伸びしようとしますが要領が悪く、かえって自分にも周りの人にも自分の情けない部分を見せつけてしまい、余計に自分が嫌になり、未来が怖くなり。
幸せになりたくて頑張っているのに、どんどんその幸せが遠ざかっていくような感覚がありました。
今も、油断したらたくさんの情報が僕を殴りにきます。
こうならなきゃだめだ。こうするべきだ。でなければ。
変わりたくて自分を否定し、強引に別の自分を作り上げ、そして脆く崩れていきます。
そんな中出会ったbosyu。石倉さんがおっしゃっていた言葉が本当に好きになりました。
自分にとっての"普通"は、きっとある人にとってはとても素敵なもの。
こんな自分の文章を、写真を、映像を、誰かは「素敵」と感じてくれて、あわよくば「必要」としてくれる。
そんな形の繋がりを作り出そうとしている石倉さんに、僕は強い憧れのようなものを感じました。
現実逃避でも、甘えでも、ナルシシズムでもない。等身大の自分を受け入れるために、そんな自分を愛する一歩を踏み出せそうな気がしました。
等身大の自分を受け入れることは、少なくとも僕にとっては本当に難しいです。
自分を受け入れて、自分を好きになって、自分の個性を大事にして、という顔をしながら、様々な「常識」や「普通」や「当たり前」で殴られているような感覚になる時もあります。
これは僕が少数派、と言いたいのではなく、誰しもそういった部分を持ちながら生きていると思います。みんなの常識や普通とは違う部分に対し、大きな違和感を感じてしまったり、強い嫌悪感を抱いてしまったり。
とはいえ、自分の根っこを変えるのは難しい。変えようと思ってできるなら、世の中に自己啓発書も心理学という学問も必要ありません。
でも、きっとどこかにはそんな自分でもいいと思える場所がある。その場所に移動する、周りの環境を少し変えてみる。
めちゃくちゃ筋トレしてもボルトより速く走ることはほぼ無理ですが、車を手に入れれば何倍も速く進めるし、大事な人に寄り添って歩くためには、ボルトの俊足よりもゆったりと歩ける能力が大事になりそうな気がします。
僕だからこそ、誰かの力になれる、誰かに優しくできる、誰かを助けられる場所に行き、そうした行為を通して、少しずつ自分にも優しくなれるような気がします。
そうした優しさは、きっと自分にとって大きな力に、自分を支えてくれる何かになってくれるのではないかと感じています。
そんなbosyuの価値観というか、機能というか、そういったものがあるおかげかもしれませんが、bosyuカフェには心優しく、暖かい方々がたくさん集まっています。
とても居心地のいいbosyuの空間が、僕はとても好きです。
そんなbosyuというサービスには感謝の気持ちと、これからも甘えたいにゃんにゃんな気持ちで溢れております。
これからもたくさんお世話になりますし、どんどん仲間が増えていったらいいなあと応援させていただきます。
以上、おだりょでした!ここまでお読みいただき誠にありがとうございます!
以下からは、「こんなこと企んでるぜムフフ」な話をつらつら書かせていただきます。ここまでで既に長ったらしい文章を読んでいただいたので、ここからは「なんやこいつは」と興味を持っていただいた方向けに書かせていただきます。
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やってみたかったこと
僕、実はいくつかやってみたいことがあるんです。
「カフェの店員」と「博士」です。
カフェの店員、といってもスタバやドトールではなく、おしゃれでこじんまりとした、お客さんも少なく店員さんがのんびりと働いているような個人経営のカフェ店員です。
お客さんがきたらお冷やとおしぼりをだして、その後コーヒーを一杯淹れて、暇になっちゃったのでカウンターの向こうで椅子に座って本を読むような、そんなカフェ店員がやりたいんです(わがまま)
机の上にカフェノートが置いてあって、そこで文字を通じてお客さんとやりとりする、そんな場面に憧れます。
一方「博士」は、本まみれの部屋にこもって本や論文を読み漁り、外に出て人と話しながらたくさんのことを学び取りつつ、何かしらをその相手に与えて回れるような、そんな人物。
もちろん押しつけはしないですし、一方的な主張はしません。そして時々自分の思いや発見を文章にしたためて、そっと外に出す。そんな博士。
実は、どちらも僕が出会ったフィクションへの憧れです。
カフェ店員は、niko andのプロモーション動画から。菅田将暉さんが演じる店員さんの雰囲気やノートを通じたお客さんとのやりとりが本当に好きすぎて、何度も見直しました。
博士は「喜嶋先生の静かな世界」という小説からです。学問に対する喜嶋先生の向き合い方に、どこか忘れたくなくなるような真摯さ、ひたむきさのようなものを感じました。
そんなお二人に憧れて。
これがやりたいなあ、できねえかなあ、とぼんやりと考えた結果、bosyuしてみることにしました。
卒論でバタバタしているため、まだ本格的に初めてはいませんが、アパート「メゾン木漏れ日」の1階部分のカフェ「秘密基地」で働く店員になりました。ええ、勝手に。笑
Slackで住人の部屋を作りつつ、またその中でカフェ「秘密基地」のチャンネルでも作ろうかなと考えています。
これで僕の夢だった「カフェ店員」と「博士」が叶いそうです。やった。
詳しくはnoteに書いたので、気になった方はのぞいていってください。
何がしたいの?
もちろんそれだけが目的ではありません。ただのおままごとだけでは味気がないです。
僕は数ヶ月前から、意識して自身の周りに「秘密基地」を作ってきました。
部屋の中、摂取する情報、人との付き合い。
そして僕にとって、メゾン木漏れ日で暮らすことは、自分にとっての秘密基地を大きく補強することに繋がると思っています。
「自分だけの空間」と、「程よい距離にいる大切な仲間」の間にできるグレーな場所は、とても居心地がいいですし、たくさんのことができそうです。
心理学部で勉強している分、やってみたいことがいくつかあります。それをメゾン木漏れ日とカフェで少しずつ、誰かと一緒にやってみたいな、なんて考えています。
・自分が安心できる居場所作り
・誰かに親切にすることで自分に優しくでき、それが誰かへの優しさになる
・誰かといるからこそ救える自分
・心理学、哲学の実践の場
そんなものを現実に作り出せる手がかりを探るために、こうしてbosyuしてみることにしました。
こんなnoteを書いてしまっていますが、どうなるかはわからないですし、大したことはできないかもしれません。
でもそうした「人との繋がり」と「自分にとっての秘密基地」は、かけ合わさったら何か面白いものができそうだな、とワクワクしております。
そんなことを企んでいる、bosyuのいちユーザーでした。来年もきっと、今年以上にお世話になるんだろうなあ。
いつもいつも、本当にありがとうございます。