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ASDの言い訳

「やっぱりフェイストゥーフェイスの方が表情が見えていいですね!」
このご時世になってよく言われる言葉。
そうですね〜と何となく返す。全くそう思っていないのに。

新卒の会社の新人研修で「メールではなく電話、電話ではなく対面でコミュケーションを取らないとダメだ!!やっぱりメールじゃ気持ちは伝わらないだろう??」と説く役員に、「メールで十分伝わると思います」と真面目に返したことがある。今考えるとめちゃくちゃアスペエピだ。でも、当時は本気で思っていた。社会的な理由でそう言っては行けなかったことだけは分かるけど、思っていることは言うほど変わっていない。

他人の感情なんて、どうでもいいと思う。興味が無い。
ただ、最初からそうだったわけじゃない。
これは、必死に生きていくための方法だ。

対面の方が伝わるって、一体なにが伝わるんだろう。
気持ち?情熱?それって何番目くらいに優先度の高い情報?

確かに、対面の方が情報量は多い。アスペルガーの私でもそれくらいは感じている。チャットで文章を打つよりその場で話した方がスムーズに話が進むのも分かる。だから対面っていいよねと言う彼らの主張は分かる。より多くの情報があった方が、やりやすく、また上手くいく人も多いのだろう。

そう、情報が多いのである。そこには、今日いい天気ですね、寒くなって来ましたね!みたいな優先度の低い情報から、これは何日までにお願いします、ここだけは注意して作ってください!という超重要な情報、ちょっと話が逸れた時の世間話、笑い声、鼻をすする音、水を飲む動作、メモをとる間の相手の視線、貧乏ゆすりみたいな動作、癖のある語尾、、、信じられないくらいの情報が飛び交う。 
これは、私にとって情報過多なのである。

私は脳の特性上、一度に処理できる情報に制限がある。相手の表情や声色で情報を処理して判断し、それを自分の表情筋や声帯に反映させることは、私にとってかなりのリソースを割く。
加えて、私は短期記憶も乏しい。その場で言われたことを覚えるのが苦手だ。電話番号とかを口頭で言われてメモする類の行為は、めちゃくちゃ間違える。 

文面で情報を貰えたら、覚えなくていいし、必要な時に読み返せばいい。文面は、余計な感情も音も動きも載ってないから、必要十分に情報を整理しやすい。

脳みその設計的に、対面で情報を渡されるより、文面で情報をもらった方が上手くいく場合が多いのだ。

より伝えたいことがあるなら、より伝わる方法で伝えればいい。対面の方がいいと思う人が多いのは知っているから、こちらから伝えなければいけない場面では応じるけれど、私に伝えたいことがある場面では、是非文面で伝えて欲しいと思う。
伝えたい情報の主体が感情であっても、文面でもらえたら、私は何度も読み返して考えて受け取ろうと努力する(努力するに値する人間関係においては)。その方が受け取りやすいから。

対面でキィキィと訴えられても、何を受け取ればいいのか分からないし、処理しきれない。お互いにとって良くない。

ASD人間は、感情が乏しいとか色々言われるが、私はそんなことはないと思っている。確かに私は典型的なASD人間だけれど、別に人間の表情が全く読めないわけではない。人間の嫌そうな顔も嬉しそうな顔も知っている。でも、こちら側からそれを読み取る余力がないのだ。
人の感情を積極的に欲しがらないのは、冷たい人間だからという認識はなく、自分にとって過剰なものだから。
ちょっとした会話でいちいち丁寧に人間の感情を読み取る情報処理能力が、私にはない。情報処理能力が低いから、優先度が高いと判断した情報のみを受け取る。結果として表情とか感情とかはどうでもいいみたいに見える。

嬉しそうとか怒っているとかをよく観察する前に、その場で最も重要な必要な情報をしっかり捉えることに集中しているだけだ。ただ、感情を1番優先的に読み取って欲しい人間にとっては、これは間違いなのだろう。そうやって読み間違えて人の地雷を踏んできた。

全部処理できる人間だったら、そりゃ対面の方がいいだろう。1番情報を得られるのだから。
でも、そうじゃない人間もいるのだ。

言い訳でしかないけれど、対面でのコミュケーションが苦手な理由はこんな感じだ。感情のやりとりは必要ないと思っているんじゃない。有用性も分かった上で、難しくて出来ないから、あまりやろうとしていない。いちいちやっていていたら持続可能性がない。人の気持ちが分からないのではなく、必死にやってる結果として、人の気持ちの優先順位が低い。感情のやりとりをしたがらないのは、ASDのSDGsな生き方なのである。

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