身魂(みたま)の磨き方 5
こんにちは、白山大地です。
「神は喜びしか渡していない」。この言葉は、身魂の修行のキーワードの一つです。次に鍵となる言葉は、「偶然はない」です。様々な苦しみや不幸が私たちの身魂を磨くと述べました。ではなぜ、身魂が曇ってしまったのか? それは、身欲を肚に据え好き放題のことをしたり、人に苦を与えてしまったり、保身ばかり考えて嘘をついたりしたからです。
わかりやすく言えば、カルマを生んだので、その解消に苦が訪れたということです。
実は、その図式が成り立つためには、「偶然はない」ということが前提になっているのです。かつて野球の野村監督が「負けに不思議な負けなし」とおっしゃっていたように、不幸が訪れるには、それなりの訳があるのです。つまり、偶然はないからです。
たとえば、車を運転中、反対車線から突然、飲酒運転の車が突っ込んできて事故に遭ったとします。相手はまったく知らない人で、運が悪かったと思うでしょう。避けることは不可能だったからです。
しかし、偶然はありません。見知らぬその相手とは、前世での因縁(メグリ)が存在しているのです。
一つひとつの細かい日常生活のすべてに因果関係を求める必要はありませんが、人生を左右するような大きな出来事は、偶然と思われるようなものであったとしても、そこには、必ず原因と結果に結びつくものが存在します。
それなら、それを利用するのが修行の一つになります。それが「気づき」です。たとえば、仕事に突然、トラブルが生じた。幸い、たいしたことではなかったのですぐに解決した。しかし、それでやれやれで終わらせないことです。
小難が起きたら、このことは、何を教えてくれているのだろうかと考えます。もしかしたら、この仕事には穴があるのではないか、あるいは中止したほうがいいのかもしれないなど、小難の原因を直接の原因だけでなく、別の角度からも捜すことです。
それが大難を防ぐのです。