マコトをたてる
こんにちは、白山大地です。
さて、「あやま知」から脱却して、「マコト」を立てるには、どうしたらよいのか? その答えも『火水伝文』にあります。
まず、「我善し」につながる欲心(身欲)を捨てることです。食欲、性欲、睡眠欲は、生物にとって必要な本能ですから捨てることはできませんが、過度な欲は、我善し心を生んでしまいます。
この我善し心を「身欲(みよく)」と呼んでいます。
次に心掛けるのが、言葉(口)、思い(心)、生き様(行)を真釣ることとあります。
「マコト」とは、真言でもあります。言葉の真釣り、思いの真釣り、生き様の真釣りの、三っつを真釣りを三真釣り(みまつり)というそうです。
言葉にマコトを載せ、心にマコトを持ち、マコトのある行いをする。これが三真釣りです。
この三つのマコトを持つ人を命(ミコト)というそうです。記紀に神話として登場する神々は、○○ノ命と呼ばれています。そのミコトとは、本来そういう意味があったのです。
ところが、私たちは、言うことと、心に思うことと、行うことがバラバラで、とても三真釣りができているとはいえません。マコトが失われてしまっているからです。
魂が創造された当初、魂は、マコトそのものであったそうです。そして私たちは、神として闇を光に、不秩序を秩序に、不調和を調和にする「カムハタラキ」ができていました。
しかし、神代の末期に、「身欲」の病みに罹り、マコトを見失ったそうです。
まずは、マコトを取り戻すことから始めましょう。