人は、神のお宮
こんにちは、白山大地です。
『火水伝文』には、こうあります。「三真釣る行いがマコトの土台ぞ。鳴り出す響きがマコトの足場じゃ。【足場】早う創れ申すこと解かりて下されよ」。さらに、重ねて、「三真釣り持ち行かねば、マコトの響き出すは難しいぞ。三真釣り持ち行くその事が【足場】のタテカエ、タテナオシ、同時に叶える事になるのじゃぞ」と続きます。
口受けて心が動き、心が動いて行が成る。【霊主心従体属】がマコトのあり方でした。そして、最終バッターの「行」である、行いを真釣ることが、自分自身のタテカエ、タテナオシになると述べられています。
さらに、「マコトの響き、いずる様に成りて初めて、神のお宮と鳴りて参るのじゃ。神のお宮が【足場】でござる。神社の事にては無いぞ。汝ご自身の事にてあるぞ」とあります。
最近は、人は神のお宮、人には身の内に神が存在するなどの言葉を目にします。もちろん、私も書いてきました。
しかし、それは、「マコトの響き」が出せるようになってのこと、と釘を刺しています。つまり、しっかりとした【足場】を創った人こそが、神のお宮となれるのです。
【足場】は、一厘だそうです。「あやま知」を含んで成っているのは、九分九厘。九分九厘にて仕舞いだそうです。どうあがいても十【カミ】には鳴れぬ魔釣り道だとあります。
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