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辰七月 大阪松竹座 萬屋三代襲名披露『重の井』『嫗山姥』『俄獅子』

近松作品をどう継承していくか <白梅の芝居見物記>

 恋女房染分手綱 重の井子別れ

 初代中村萬壽襲名披露、五代目中村梅枝初舞台の演し物。
 決して上演頻度の高い作品ではありませんが、古典歌舞伎として受継いでいって頂けたらと願う演目の一つです。
 ただ、上演頻度が多くないのは多くないだけの理由はあるでしょう。
 現代の、それも歌舞伎初心者に受け入れられ、また若い役者に受継いで行きたい思って頂くには、難しさが残る芝居であることは確かだと思います。

 おめでたい襲名披露の狂言に対して、こうした古典作品上演における問題点を指摘することは、そぐわないことのように思われるかもしれませんが‥
 ただ、萬屋が「桐蝶」播磨屋が「揚羽蝶」を家紋にしていることを思えば‥。また、萬壽丈、新時蔵丈ともどちらかと言えば芝居に対して「理」が先行する芸風のご一家と私には感じられるので、今後古典を継承することに使命を感じておられるのであれば、どういった思いをどういった方向性で継承していけるのかを考えてみることは、決して無駄ではないようにも思われます。
 そういった考えの上で、気になっていることを少しですが記してみようと思います。

 『恋女房染分手綱』(宝暦元年<1751>浄瑠璃。時代物。竹本座)十段目の「重の井子別れ」は、近松門左衛門『丹波与作待夜の小室節』(宝永4年<1707>竹本座 浄瑠璃 世話物)の上の巻を取り入れています。
 『丹波与作』では主人公を「滋野井」と記しており、この女性が誰をモデルにしているかが暗示されているわけですが、ここでは深入りはしません。

 『曽根崎心中』や『封印切』に関して書いたときにも少し言及していますが、近松門左衛門は天下統一事業にからんだ人物の子孫だと私は考えています。
 美声で聞かせた豊竹座の太夫ではなく、悪声ながら重厚な語りで聞かせた義太夫とタックを組んでいたことも影響しているかと思いますが、
 登場人物のおかれている状況や心情を思い入れ深く描いており、近松作品は例えば同時代の紀海音と比べても、演劇的により「聞かせる」内容になっているように感じられます。

 近松その人の思い入れの深さは、その後の義太夫節(人形浄瑠璃)に確実につながっているであろうと私は考えます。そしてその思いを受継ぎながら、上演される時代の観客の嗜好にも合うような工夫は、人形浄瑠璃のみならず、歌舞伎でも絶えずなされ続けて来ているのだと思います。
 その一つの工夫の在り方が、役者の「芸」の面白さで魅せるということであったことは間違いないでしょう。

 役者の芸を発展させていったのは、江戸と上方どちらにも言えることではあります。
 ただ、特に義太夫狂言の文学的発展に支えられていた上方歌舞伎において、その文学的発展を江戸中期に止めざるを得なかった社会的状況を背景として、上方では作品のテーマのみならず、役者の「芸」で見せる工夫がより追求されていったように思われます。
 上方和事の発展形としての「ぴんとこな」や「つっころばし」といった独特の芸風を発展させるにとどまらず、竹本の糸にのった義太夫狂言の様式的演技、上方風の「しゃべり」の芸、等々‥、その様式的演技の発展が、歌舞伎役者の芸の古典性を担保する要因となっていたのではないかと、私は考えます。

 時代の変化に応じて芝居のテーマさえ簡単に書替えてしまっていては古典の継承はままなりません。
 役者の「芸」で魅了し堪能していただき芝居の面白さを提供しつつ、その一方で、観客の側に歌舞伎が大切にしてきた思いを継承すること。その大切さを私は感じます。

 古典を継承していく重要性をどこに見るのか。自然と受継いで来てしまったことを客観視することはそう簡単なことではありませんが‥。
 また、一般の多くの観客にとってはそうした視点は重要なことではないかもしれませんが‥。
 ただ、そうした視点であくことなく追求していく良心や情熱が、作る側にも観客にもなければ、生きた舞台芸術である古典芸能を伝承していくことは難しいように感じます。

 今回の萬壽丈の重の井ですが、七世尾上梅幸丈からの継承ということです。残念ながら私は梅幸丈の重の井を拝見していません。
 昭和58年4月歌舞伎座の六世中村歌右衛門丈による重の井は、乳母という社会的立場を貫きながら、隠すことの出来ない母としての切ない思いが歌舞伎初心者の私にも、胸に沁みた舞台であったことが思い出されます。この芝居は子役次第とよく言われますが、子役の健気さもさることながら、派手な為所があるわけでもないこの役の性根というものは、古典歌舞伎を継承していく上で立女方の肚が試される芝居であるようにも思われます。

 萬壽丈の重の井は時代狂言らしい緊張感が少し足りないように、私には感じられたのが残念です。新梅枝丈の活躍が光る作品ですが、子役のかわいらしさ以上のものを観客の心に残すことはできたでしょうか。

 この作品の背後にある作品を伝承して来た人々の思いはどこにあるのか。今の観客に、乳母としての立場や母としてのつらさ、子の健気さと哀れさが、時代的価値観を越えて観客に伝えられる「芸」の深まり。
 もしくは、中村歌六丈を中心に「玄人の役者」の芸のテクニックや味わいで見せる芝居としての面白さ。
 どちらか、もしくは両方により一層の工夫がないと、今の時代状況の中、こうした作品で現代の観客の心を掴むのは容易ではないように、私には思われてしまいます。 

 嫗山姥 八重桐廓噺

 『嫗山姥』は、正徳2年<1712>竹本座の人形芝居で五段物の時代浄瑠璃として上演された作品です。作者は近松門左衛門。
 この『嫗山姥』二段目が「八重桐廓噺」で、今回、新時蔵丈の襲名披露狂言として上演されました。
 この場面は、近松の同時代に活躍していた荻野八重桐という歌舞伎役者の「女武道」や「やつし」「しゃべり」と呼ばれる芸を、人形浄瑠璃に取入れた作品であるため、歌舞伎として演じ継がれ得る要素が近松の原作にももともとありました。

 役者の芸を見せるのが眼目の作品ですが、今回私が見た時点において新時蔵丈は、こうした芝居をどう手の内にしていったらいいのか、まだ手探り状態であるように私には思われました。
 今回の芝居では、心理劇としての写実的性が持ち込まれているためなのかはわかりませんが、尾上菊之助丈演じる時行が切腹をし自らの臓腑を八重桐の口に含ませるくだりに、生々しささえ感じられてしまい、私の中で舞台に対する拒否反応が生まれていたことに私自身戸惑いを覚えました。

 最近拝見した中村扇雀丈や片岡孝太郎丈の八重桐では感じなかったことです。

 近松の時代は、今のように人形は三人遣いではなく一人遣いでした。物語の内容も舞台の人形の動きに頼ることは出来ず、太夫の「語り」に頼る比重が大きかった時代だと思います。それゆえ、時に描かれる内容の生々しさは緩和され、むしろインパクトを与えるためにケレン味が前面に出た大胆な設定や描かれ方がなされた側面もあったのではないかと思います。

 そうした側面を持った演目を原作通りに生身の人間がやろうとした場合、所謂写実的な心理描写が前面に出てくることは果たしていいことなのか。
 作品やその作品が何を描こうとしているかにもよるかと思いますが、この「八重桐廓噺」では、前面に出すべき芝居ではないように私には思われました。
 この作品の根底にある、夫の志を継ぎ無念の思いを晴らすべく困難な状況に向かっていく強さを見せる役としての「性根」は大切です。
 ただ、その性根さえきちんとしていれば、後は役者の「芸」の面白さや「味わい」で見せていく作品であるように、私には思われます。

 歌舞伎研究の大家であられた、郡司正勝氏の芝居を考える上での原体験として語られたことかと記憶していることですが‥、観客に芝居で涙を流させている役者が、その役者を覗き込んだ少年にベロを出して見せた‥。それが「芸」で見せる玄人の役者の実像であるという捉え方。

 今の若い役者さんにとって心理描写というもの、現代劇的写実性というものの延長線上にある表現力は、近代以降に生まれた作品においてはより顕著ですが、一頃前の役者さんには決して出来なかったような高いレベルにあるものを時に見せてくださっているように私には感じられます。
 ただその一方で、役者が歌舞伎ならではの「玄人の芸」を観客に提供するという点では、その域に達していない役者さんが残念ながら増えているということを実感せずにはいられません。

 現代に息づく舞台芸術として、時と場合、演目によってどちらが絶対であるとも言えないとは思います。
 ただ、能楽や人形浄瑠璃文楽を念頭に置けば、芸能の古典性は様式化させた玄人の芸の伝承によって可能となっている、という側面は決して忘れてはならないだろうと、私には思われます。

 「やつしの芸」「女武道の芸」「しゃべりの芸」‥
 そうした物を如何に玄人芸として工夫し観客に見せていくことが出来るか。
 文学的な古典を掘り下げていく一方で、玄人としての芸を追求していく姿勢も、古典芸能が避けては通れない道であるように、私には思われます。

 

  俄獅子

 新時蔵丈、中村萬太郎丈、中村隼人丈、三人の若手による長唄の舞踊。
 「俄」という芸能は宴席や路上などで行われた素人による即興喜劇で、遊郭の吉原でも年中行事として行われ「吉原俄」と呼ばれました。
 『俄獅子』は天保5年<1834>の初演。享保19年<1734>初演の『風流相生獅子』の歌詞を吉原での恋模様にもじっているということです。

 歌詞や音楽、舞踊に関して語れる素養はないので、一観客の感想として書かせて頂きます。

 今回非常に目を引いたのは、萬太郎丈のいなせな鳶頭です。ここのところ役者ぶりが急激に上がっていて、松竹座の劇場空間がよりそれを際立たせるのですが、非常に魅力的でした。ここのところ存在感を増している隼人丈ではありますが、萬太郎丈に一日の長がありました。
 『汐汲』においても、中村扇雀丈を相手とした此兵衛にも大きさと安定感が出てきて頼もしい限りですが、こうした江戸前の役柄で魅せられる役者になって来たのを見ると、今後がさらに楽しみです。

 二人の若く生きのいい鳶頭を相手に、新時蔵丈は美しい容貌の上に色が出てきて観客を魅了しているのでしょうが‥。私としてはそこにとどまっているのを見ると少し不満を覚えます。
 元々もつご自分の容貌の美しさをどう見せるかだけではなく、歌舞伎における芸者としての「張りと意気地」、もっと言えば、人間としての生き方の「美学」を感じさせる舞台を望みたく思います。それが歌舞伎の発生以来、役者さんには求められているものだと、私は考えるからです。
 さらに欲を言えば、「俄」とつく舞踊ですので、愛嬌やおかしみといった、新時蔵丈には今までなかなか感じられなかった魅力が加われば、鬼に金棒だと思われるのですが‥。
 さらなる飛躍をご期待申し上げたいと思います。
                   2024.7.23
 

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