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辰 南座 吉例顔見世 歌舞伎『蝶々夫人』 世界に羽ばたく歌舞伎を夢見て

<白梅の芝居見物記>

 蝶々夫人のモデル

 企画提案ゲーリー・パールマン、石川耕士脚本・演出、新作歌舞伎『蝶々夫人』。
 私は映像を中心に少しの間ですがオペラ見物に興じていた時期があります。今は時間的にも体力的にもなかなか見る機会を得ず残念なのですが‥。プッチーニのオペラ『蝶々夫人』は人気曲だけあり見る機会はいくらでもあったのですが、正直に言えば私には全く興味のわかない演目でまだ拝見したことさえありませんでした。
 何故かと言えば、筋書でゲーリー・パールマン氏が指摘しておられるようにオペラにおける蝶々夫人の人物像、これが私にとっては全く魅力的に思われなかったからであることは確かです。

 今回の企画が、西洋における蝶々夫人のイメージをくつがえす歌舞伎の『蝶々夫人』を、との思いから生まれたものと知り大変感銘を受けました。
 近世から明治につながる日本に実在していた「強い女性」、毅然として誇りを持って生きそして儚く散っていった‥(さらに挫折の後再度立ち上がって生き抜いていく姿を私としては提案したいところではありますが‥)

 オペラ『蝶々夫人』は、19世紀の終わりにアメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングによって書かれた短編小説をアメリカの劇作家が戯曲にしそれをさらに歌劇化したもので、20世紀初頭に初演されました。
 蝶々夫人のモデルとなったのは、幕末のイギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーの妻ツルとも、メサジェの歌劇「お菊さん」の原作者ピエール・ロティ(フランス)の長崎の現地妻でお菊さんのモデルであったおカネ(兼)とも言われます。 

 二人に関するエピソードが本作に影響を与えていることは間違いないでしょう。ただそのこと以上に、私は主人公の女性に「蝶」という名前が付けられていることに注目しています。
 グラバーの妻のツルが蝶の紋付を好んで着用していたため「蝶々さん」と呼ばれていたと伝えられています。ただ「蝶」は、歌舞伎役者の紋にも取り入れられ、歌舞伎の外題にもよく取りあげられていることは皆さんご存じの通りだと思います。
 これはたまたまではなく、歌舞伎とも大変深い関わりのある「お蝶」がこの作品の主人公に投影されているのではないかと私は推測しています。

 西側の冒険家達の日が昇る国への興味

 19~20世紀の近代においても、日本に関心をもつ西洋の人々にとっては大航海時代の記憶は当然伝わっていたであろうと、私は推測します。
 大航海時代に高まった西洋近代国家の日本への興味は、日本が鎖国政策を実施していた間もオランダを経由して入る情報により細々とではあっても続いていたでしょう。
 否、日本が鎖国政策を否応なく解かされ国際社会の荒波にもまれざるを得なかったのは、大航海時代よりさらにずっと昔、上古史からの宿命であったとも言えるかと私は思っています。

 ここでは詳細に踏み込むことは出来ませんが、アレクサンダー大王の時代より日が昇る地「アジア」に対する西側の冒険家達の興味は絶えたことがないのだと思います。
 そのアジアの中でも東の外れにある遠い小国に対する興味は、上古から時折盛り上がっては時に衰えながらずっと続いていたのではないでしょうか。遠い小国の出来事や文化が、西側諸国に19世紀以降においても大きな刺激を与え続けていたことは、例えば西洋近代美術の中にも色濃く表れていることでわかると思います。

 日本の歴史の中でも大航海時代におけるイエズス会や通商に携わる人々がもたらす情報は、一部ではあっても西側の人たちに遠い異国の地への興味を駆り立てた事は確かだと私は考えます。
 『妹背山婦女庭訓』の「吉野川」の段に対してコメントした際にも指摘しましたが、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』と「吉野川」が似ているように思われるのは、どちらも日本で起きた事象を題材にしているからであると私は考えています。
 シェイクスピアは東の外れの小国で起こったことを伝え聞くことで大いに創作意欲をかり立てられていたのではないか、と思われる作品が非常に多いように私は思います。

 歌舞伎『蝶々夫人』への期待

 こうした背景を考えて見れば、当然、歌舞伎の『蝶々夫人』の人物像に歌舞伎で描かれてきた女性像が投影されていても、実は先祖返りということで決して無理な視点ではないことがわかります。
 むしろ千年以上続いてきた文化とも文明とも言えるものが育んできた、社会を維持していくための知恵や価値観、美学‥というものを、提示していくことが出来る可能性に満ちていることを改めて感じます。

 今回の上演に対しておおむね観客の反応は悪くはないのだと思います。よく纏まっていることは事実であり、役者さんも含め丁寧に芝居作りをしていらっしゃることは確かです。
 ただ、発案者であるパールマン氏の「歴代の名作と並んで、何世代も何世紀も後まで上演され続ける作品になることを期待しています。」という思いに応えた作品となっているかと言えば、残念ながら否と言わざるを得ません。
 この芝居を例えば西洋にもっていっても、この作品への思いが遠い異国の人々に伝わるとも思えません。

 大きな「野望(?)」を果たすにはあまりにも作品が小さく纏まり過ぎていることは否めません。脚本を超えた感動を「芸」の力で納得させるには、まだ中村壱太郎丈では荷が重すぎることも確かでしょう。
 ただ、こうした試み、野心はとても大切にしていくべきものであると私は考えます。
 女性の「武士道」精神、毅然と気概をもって誇り高く生きる姿勢、そんな生き方が異国の人々にも感銘をもたらすことができるような、そんな歌舞伎を目指していけたら、とても素敵だと思います。
                       2024.12.21

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