ブックレビュー 母ではなくて、親になる
様々な人の妊娠出産育児体験エッセイを読みたくて、これまでに4冊読みました。
そのうちの一冊です。
中立的な立ち位置で妊娠出産育児を捉えていて、「そんな視点もあったのね」と思わされる本でした。
女性目線”ではない”エッセイを読みたい方にお勧めです。
255文字所感
【母親、父親という役割で自らを縛る必要はない。それぞれがいい親になれば良い。】というメッセージに勇気づけられました。
自分と他者の区別をしっかりしている。でも文章の中に、私には無いような思慮深さ(少し深すぎる気もするw)や他者への気遣いも感じられる。そんな不思議な魅力がある作者だなと感じました。
育児関連はまだまだ固定概念が呪いのように長く付きまとっている印象です。その呪いに負けないように自分の頭と道徳観で考えて「親」になっていきたいと思いました。
この本を読んだ理由
いくつか妊娠出産育児エッセイを読んでおこうと思い、選んだ中の一冊。
「人のセックスを笑うな」の作者だとは知りませんでした。
ポイント①「イクメン」いう言葉の違和感。意識を変える必要があるのは女性のほう。
著者の山崎ナオコーラさんは「イクメン」という言葉に違和感を感じています。
それを述べている箇所で、どきっとした部分を引用させてもらいます。
数年前から「イクメン」という言葉が世間で流行り始めた。
子育ての主人公は母親という前提で「補佐の上手い人」を指して使われているみたいだ。
子育てで疲れている妻のために料理を作ってあげたり、妻に対して「育児を頑張っている君は昔よりも綺麗だよ」と言ったり、妻が疲れているときに代わりに育児をしてあげたりといったことが、「イクメン」が行うことのようだ。
私からすると、え? それって親ではないよね、ただの夫だよね、という感じだ。
どうしてそうなってしまったのか?
まずは女性の意識を変えた方がいいのではないか。
女性が、「男性も育児をするべきだ。でも、育児の主人公は私のままだ。周囲からは、私の育児を褒めてもらう。男性は、育児そのものではなく、女性に対する補佐の上手さで輝くべきだ」「男性が責任を持ったり、金を出したりするのは当たり前だ。その上で、私がメインで行う育児を手伝ってもらいたい。子どもをどんな風に育てるかは私が決めるし、子育ての晴れ舞台には私が出る」と思っているとしたら、虫が良すぎる。
先の「嫁ハンを労ってやりたい〜」のブックレビューで「イクメンとは”嫁ハンとの距離感”がうまくとれている人」「嫁ハンを『ひとりで子育てしているような感覚』にさせない」という言葉に深く納得したところですが、ナオコーラさんの言葉にも「うむ、確かに」と頷けます。
ナオコーラさんの「イクメン」の定義が合っているかどうかも含め、言葉の定義については議論しないとして(ちなみに私はズレてると思ってますが)。
ついでにこんなに虫の良い考えを持つ母親がいないことと、私がそうならないことを願って。
私が「うむ、確かに」と思ったのは、「母親は『ひとりで子育てしている』という意識を持つべきではない」というナオコーラさんの考えです。
(つまり嫁ハンを〜と言わんとすることは同じだと解釈してます)
どちらも妙に気負ったりせず「ふたりで」子育てすればいいんだよな。
だって二人の子どもだし、二人とも「親」だし。
と改めて感じました。
ポイント②ワーキングマザーとしての葛藤も。
子をもつ女性の多くがかけられる”呪い”への葛藤も書かれていました。
「子どもを持つことを選んだ」という科白に嫌悪感があるのは、つい言い訳に使ってしまいそう、という理由もある。自分の仕事が上手くいかなくなったときに「仕事ではなく、子どもを選んだからだ」と自分を納得させてしまったら良くない。 仕事を頑張っている友人を見たときに、「でも、私には子どもがいるから」と思いたくない。子どもを持たずに仕事を頑張っている人だって、いろいろな問題を抱えながら、仕事も頑張っている。それなのに、「仕事に集中できてうらやましいな」「身軽でいいな」とうらやんだらいけない。決して、「私は、仕事一直線ではなくて、子どもも持つ人生を選んだから、仕事を頑張り切れなくても仕方ない」「子どもで幸せになれるから、仕事では幸せになれなくてもいい」なんて思いたくない。私は仕事でも幸せになりたい。
この発想、ワーキングマザーならではだなと感じました。自分の中から出てきた子どもだから、より強く同一視する傾向にあるのでしょうか。
ナオコーラさん自身も、一人のワーキングマザーとして色んな感情をもたれたんだと思います。
私も家庭でも仕事でも幸せになりたいです。
まとめ
「母親」としての理想像や、在るべき論をもっている方。そしてそれに苦しんでいる方におすすめです。
ナオコーラさんの客観的・中立的なものの見方と思考プロセスが知れるので参考になると思います。