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私は夫で、私は母だった


ふと、気づいてしまいました。

正確に言えば

気づきたくなかったけど
向き合ってしまいました。


私に激昂する実家の母親を見た時の
自分の感覚。

怒りに蓋をして
軽蔑をたたえた冷めた感覚。


ーこの人はバカなのか
ー感情の失禁してんじゃねえよ
ー前頭葉イカれてるんじゃないか


母を見る私の眼はまるで蛇のようで

とても似ていることに気づきました。



夫が、私を見ていた眼に。




そして、激昂する母を見て
やっぱり似ていると思いました。




夫に対して必死で主張していた自分自身に。




いつまで経っても
私が、自分が殴られたことに関して

どこか夫を責めきれない理由が分かりました。


殴りたい気持ちを理解していたからです。



私は母を殴りませんが
殴りたくなるような蔑みの気持ちは
すごく理解するんです。

また母の気持ちもわりと理解することができます。

自立していないひとが、自分を守るために
必要以上に大声や感情で防衛しないといられない気持ち。

相手が心を閉ざして軽蔑の視線を感じるたびに
さらに怒りと恐怖で震える気持ちになること。

私は母のように
めちゃくちゃに論理は破綻しませんが

「私を分かって」が強すぎて
俯瞰する賢さが消えてしまう感覚を知っています。



ー思い出しました。
長男が生まれたあと1ヶ月、母が生活の手伝いをしに海外まで来てくれたとき

夫が母に対して、基本的にずっと軽蔑の目を負けていて、ほとんど無視するように生活していたこと。私も理論破綻した喋りをする母にイライラしていましたが、同時にものすごい深いところが傷ついていました。

母は夫に直接言えないから
夫が出張の時に、私に向かって全力で発狂しました。

私は両者の心境がわかりすぎて
混乱して苦しくて苦しくて

産後のしんどさも手伝って
最終的に
夫も母も両方とも最悪だな、と思いました。
本当に本当に嫌でした。

でもなにより
その両者をフォローする余裕がないどころか
両者ともを頼らないと生きていけない自分自身を

最も最悪だと思っていたのでした。



父親に苛立つのは
母が嫌味を言っても殴らないからだったのかもしれません。

私は夫に殴られて
もしかしたらどこかで納得していたと思います。

自分の中にある母親に似てる部分を
1番殴りたかったのは

他でもない私自身だったから。



自分がこの呪縛から解かれる方法はー


「自分が母親を赦すこと」


なんだと思います。




私が母を受け入れなければ

私もまた別の誰かに受け入れられないー


そういうエネルギーの方程式みたいなものを
目の当たりにした気持ちです。


「相手は自分の写し鏡」
だなんて、10年前の私にはとても言えません。


ずっと避けてきたことだったから。


実家を出られない状況はどこか妙に不自然なくらいで

これまでいろんな方法で家をでる選択肢を作りましたが、ことごとく上手く行かなかったのは

私がいよいよこの課題と向き合わなくてはならないからなのかもしれません。


本当に本当に苦しいですが
たぶん、もうここは避けて通れないのだと思います。


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