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3回目の調停に行ってきます

昨日は、長男の受験でした。
遠方の学校なので、朝5:30起き。一緒に学校へ向かいました。
朝日がとてもきれいでした。

試験を終えて待ち合わせの場所に戻ってきた息子がとってもいい笑顔をしていたので、なんか全部これでいいや!って思いました。本当に彼はがんばった。結果は神様次第。

さて。
怒涛の週は長男の受験にはじまり、2日目の本日は調停。

1回目、2回目、と不毛な調停が続き、今回。
ナーバスな気持ちはまったく同じですが、基本の心持ちにだいぶ違いがあるな、と実感しています。

そもそも「対立」という構造が違うなって思ったのです。
「私はこんなひどい目に遭ったのだから、あなたはこういう風にふるまうのが筋だろ!」
みたいに思っていたんですよね。それが叶わないから、腹が立つ。
もし、別居してすぐに離婚してくれていたら、すでに100万円以上の手当やサポートを得ることができていて、そうしたらひっこしの資金に充てられたのに、ってすごく思っていましたし。
しかも婚姻費用も生活費も払わないなんて、鬼畜か!って心の中で恐ろしい怒りをじりじり抱いていたんですよね。

今回、家が当選したことは心の余裕を持つ上で大きかったと思いますが
なんといっても、「どうにもならないことはどうにもならない」と
「本気のあきらめ」を得たことは、大きい。

「手放し」ってやつです。マジのやつ。

そのうえで、ふと思ったんです。

戦うんじゃない。
これから、どうやって協力し合っていくか?じゃないか、と。

私の中で、彼は敵でしかありませんでしたが
それじゃ協力から遠のいて然るべき。

こっちが、銃持って装備決め込んでるのに、そっちは丸腰で差し出すモン差し出せよ、っていうのは、国家にとっても人間にとっても無理なはなし。

「いや、そもそもこっちは譲歩したのに、あっちが銃を打ち込んできたんだろ!?」

って思っていましたが、ま、銃の一発や二発、打たせてなんぼかもしれないな、とも思ったのです。

私は彼から子どもたちを「奪った(守った←心の中)」のですから。


昨日、私がごはんを作っていて、娘が居間で絵を描いているという状況で
彼女がしみじみと宙に向かってつぶやいたんです。

「あー。なんて幸せなんだ。」

と。

私も同じように、じわーっと幸せを感じながらキッチンに立っていて
同じふうに感じていたから、思わず笑ってしまったんです。

末娘がすかさずやってきて
「わかる!そうなだよ。今めっちゃ幸せ。」
と同調してきて、さらに笑っちゃいました。

おそらく「幸せ」というより、途方もない「安心」なんだと思います。

それを私だけが感じているならまだ分かりますが、娘たちも同じということは、やっぱり無意識に「安心ではない」感覚を持っていたのかもしれないな、と感じました。


ともあれ、私は幸せなので、丸腰になって銃の数発受けたってかまいやしないのです。

そして、どれだけ打たれても、もう装備はしないつもりです。

だいぶ、強くなりました。


ーと、そんなことを言いながらも
たぶん、調停中や直後はまた心が乱れると思いますが、それはそれでよし。

受験も調停も、神様に丸投げすることにします。


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