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帯同決定~自分のキャリア①~

さて前回まで(帯同するか否か?~家族会議をする②~|白洲次子 (note.com))の家族会議で帯同のPros & Consを検討した結果、なんだかんだで帯同を決めました。が、我が家は高齢出産組・都内教育費の高騰・老後貧困の危機という三重苦ゆえ、共働きが大前提です。帯同する私のキャリア構築について、記録しておこうと思います。

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 結果的に休職となった私だが、そこに辿り着くまでには紆余曲折あった。
 実は一番最初、アメリカ本社で働くことが出来ないかが検討された。しかしながら我が社、アメリカの政府機関ともガチで取引しているので、本国でコアな仕事をするためには情報取り扱いの適格性が求められ、外国籍の人間が資格もなしにまともに働くことはほぼ不可能だった。能力がどうこう以前の問題で、本社勤務はアメリカ国籍を取得しない限り絶望的であった(この時ほどアメリカ人になりたいと思ったことはない)。

 本社勤務は無理なので、上司(日本人)は「白洲さんは休職措置をとって、帰国後復帰」の方針にさっさと切り替え、さっそくアジア地域統括の人事部に相談した。が、結論から言うと、「そんなケースは聞いたことがないので判断がつかず、本社の法務部門に回します」となり、ここから1ヶ月間全く音沙汰なしの宙ぶらりん状態になった(外資っぽい)。
 渡米まであと4ヶ月、公務員の夫が正式な辞令をもらうのは本当にギリギリなので、「渡米するであろう」という前提で動き始めるしかなく、なんの証明書もないまま、本社法務部との闘いが幕を切ったのである。

 ちっとも返事が来ないので、私は人事を通じて「休職の判断について早く決めてもらわないと渡米に間に合わない、早く結論を教えろ」と何度もメール&電話、最後に上司が追い打ちで催促した。そして1か月後に法務部門から出てきた答えが、「休職は認められないので退職以外に選択肢はない。でもお前が帰国したら、万が一、人事にもう一回つなげることはできるかもしれないけどね(=しない)"We may connect you to HR again." 」とかいう内容だった。メール一本で退職勧告である(外資っぽい)。
 普通なら「ふざけんなバカ野郎、日本支社の就業規則には休職できると書いてあんだぞ」と言いたいところだが、この時、私は仕事に追われながら夫が単身赴任のままワンオペ生活を続けており、渡米準備まで入ってきたので、日々の生活がパンク寸前だった。本社事業部とのVTCが早朝・夜中にガンガン入ってくるため睡眠不足で頭は回らないし、後輩指導は大変だし、自分が何をどこまで進めているのか把握できていなかった。何もかもが同時に重なり、死にそうだった。もうストレスフル過ぎて、退職してもいいやと思っていた。もはや全てがめんどくさかったのである。
 疲れ切っていた私は、上司に「法務部からこんな回答来ました、やっぱり退職だそうです」とだけメールを転送した。

 ところが上司は「日本の就業規則を無視して判断されるのは納得できない。白洲さんは法務部門に返信しておくように。私はVice President(エリア統括社長)に上げるので、VPと一対一でミーティングして情報共有しておいて」と私に言った。
 私はこの段階で、退職はキレイさっぱり何もない状態で自分の人生を振り返る良い機会かもしれないとすら思っていたので、"ハイわかりました退職ね"とならなかった事に若干違和感を覚えた。しかし上司は、「白洲さんには戻ってきてもらわないと困る」と言ってくれて、VPレベルまで事案を上げる姿勢でいたので、何も言えなかった(疲弊しているので完全に受け身状態)。
 とりあえず、VPとは何度か一対一でZoomで話をし、VPが来日した際にも上司を交えて会議をした。法務部門には「日本の就業規則〇条にはこのような規定があり、休職は可能と読み込めるが、なぜ休職できないのか理由を説明せよ。退職しか道がないなら従うが、退職は私の人生と私の家族の両方に大きな影響を与える決断なので、理由も聞かずに承諾することは出来ない」と押し返した。

 とは言え、一度法務が出した結論がひっくり返ることはないだろうと、私も上司も何となく思っていた。
 そもそも、外資企業で2年間も仕事を休むなんて聞いたことがない(人事部が最初に言ったことは本当である)。普通はさっさと退職して、また仕事ができるようになった時に仕事を探すのが欧米スタンダードである。ジョブ型雇用というのはそういうものであり、逆にそれで雇用の流動性が担保されている。日本の労基法・就業規則は、欧米から見るとあり得ないくらい従業員の雇用を守るリベラルな感じの内容になっていると思う。

 さてVPレベルで休職か退職か激しい議論が行われている間、私は日々の業務をこなしながら、自分のキャリアについて考えた。私は本当に退職してよいのだろうか?人生さっぱりして2年後に帰国した時、40代半ばの私に再就職先はあるのだろうか?
 JTCだと、一度正社員を離れたら再び正社員になるのは難しいかもしれない。しかし私は既に外資道まっしぐらなので、JTCとは少し違うだろう。年齢・性別関係なく、これまでの実績で判断してくれて、基本的に中途採用の即戦力を求む、それが外資。同業界のライバル会社にも自分の実績を引っ提げてポンポン転職してゆく、それが外資。

 私のキャリアは業界で15年を超えていた。退職してからの再就職は、同業界ならおそらく可能だと思ったが、問題が大きく分けて以下3点あった。
 ①まず、2年後の帰国時に、私が活躍できそうな空きポジションがあるかどうか分からない。外資はジョブ型雇用なので、ポジションに空きが出ないと応募できない。しかもそのポジションが自分のこれまでのキャリア・今後のステップアップに繋がるものでないと、応募してもポジション争いを勝ち抜けない。Job Description(仕事内容)に自分のキャリアが合致していないと、書類選考の段階で弾かれる。
 ②しかも、退職となった場合、就職活動をする時にどこにも所属していない状態となる。これは企業側との待遇交渉の際にかなり不利である。在職中であれば、給与はその時のベースを元に交渉できるが、収入ゼロの無職状態からだと「お金もらえるだけマシだよね?」ということで足元を見られて、そのポジションのランクの一番下のレベルの給与からのスタートになりかねない。
 ③さらに追い打ちをかけることに、帯同期間の2年分、自分のレジュメが完全にブランクになってしまう。あなた2年も仕事しないで何してたの?と絶対に聞かれる。

 ここまで思考が進んで、私は「めんどくさい、しんどい」という理由でもう退職してもいいやと思っていた浅はかな自分をビンタしたくなるほど目が覚めた。退職はやばい。キャリアが死ぬかもしれない。まだ未就学児を抱えていてこれからお金が必要になるし、老後資金も貯めないといけないのに、無職に陥ることだけは避けたい。私は娘のためにお金を稼がねばならない(結局はお金)。
 が、VPレベルと本社法務部の沙汰待ちをするしかなく、休職できるかどうかも不明だった私はどうしたらよいか分からなかった。万が一退職となった場合、私の今後のキャリアにどのようなオプションがあるのか?休職するにしても、アメリカで2年間何もしなかったらレジュメに「休職」としか書くことがない。何かしなければ。でも何をすれば??・・・詰んだ。

 悩んだ末、私は業界では有名なちょっと偉い人に相談のメールを送った。
 迷ったら人生・仕事の先輩の知恵を仰ぐ。信頼できる人・同業界でそれなりに場数を踏み、日本のみならずアメリカでも知名度の高い人に相談する。そのような方々との人脈を長年の仕事人生で築けたことだけは、本当に良かったと痛感した瞬間だった。人との繋がりは、自分がキャリアに迷った時や仕事を失いそうな時にも自分を助けてくれる。本当に有難い。
 そこで相談した業界の大御所的な方から出てきたのが、どうせならアメリカの大学院で修士を取ったらどうか、という提案だった。これは、退職・休職とは関係なく、私自身の今後のキャリアを広げるものであろう、という趣旨だったのだが、これ以上書くと長くなるので、続きは次の記事にします(続く)


 

 

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