強く生きてね
先日、長男の七五三の撮影に行きました。
入所施設の担当さん、副担当さんが長男を連れて実家のそばの写真館まで来て下さり、長男、次男、そしてわたしのスリーショットも撮って貰いました。
長男は着物なんて着られるかなぁと不安でしたが、着替えも自分でして、よく頑張ってくれました。相当疲れたらしく、翌朝は普段よりたっぷり寝ていたそうです。写真が出来上がるのがとても楽しみ。
夫の不倫が原因で離婚協議中なので、長男の帰宅が白紙になりました。それに伴い、高校生の子達と同室の長男も、歳の近い子たちの部屋に異動することが決まりました。
このばかばかしい騒動が、子供まで波及して申し訳なく、また不安の種もひとつ増えて、やるせない気持ちです。
支援員の方はもちろん、長男を可愛がってくれた同室の子たちのことを、きっと一生忘れないな、と思っています。みんな幸せでいてほしい。
長男の件を知る少し前に、荷物を取りにかつての居住地に赴き、偶然下の階の方に会えました。お花を育てていて、次男が薔薇を見る!と近づくと、薔薇がわかるの?とお声掛けいただいて、お花が好きだと話すと、「じゃあ気が合いそうね」と微笑み掛けてくれた、とっても優しく穏やかな、品の良い方。わたしもこんなふうに歳を重ねたいなとずっと思っていました。(相当にむずかしいとは思うけれど)長男の入所の折りにも、「お友だちといっしょのほうがきっと楽しいわよ」と励ましてくれたことがあり、久々にお会いすると、最近次男の足音がしないけど、空き家にはなっていないし不思議に思っていた、とおっしゃられたので、わたしも馬鹿正直に、配偶者の裏切りを告げると、「こんなに可愛い子がいるのに」「男って本当に馬鹿なの」と目を丸くされました。こんなことを聞かせて情けなかった。
「でもね。強く生きてね。わたしもここまでの人生本当に色々あった。いいときも悪いときも本当に色々」
あの日に掛けられたこの言葉を繰り返し思い出して、拗ねたりくさったりは、どうしてもするのだけど、でもちゃんと生きようと自分に言い聞かせています。
逃げるように去ったけれど、お別れを言いたい人たちには、ちゃんと会ってお礼を言えて、それはよかったなと思います。もっとちゃんとご挨拶したかったけれど。
夫と結婚して、子供には重い障害があって、家庭はしっちゃかめっちゃかで。
本当に彼に費やした10年もの歳月は、わたしにとってなんだったのか。
要らなくなった想い出や、鏡に映るくたびれた姿を思うごと、恨みはつのるし、人生そのものを否定したくなる。
子供の障害に意味を持たせることはわたしにとってタブーで、なぜならどんな学びや価値観の変化も、「子供が健常者である」ということに比べたらちっともありがたくはない、ありがたがるべきではない、とそう考えるからです。
ただそうであったとしても、長男を通して知り合った人たちに救われたことは紛れもない事実で、人間にとってなにがいちばん大事か、ということを知るための10年だったのかな。であれば時間もかかりすぎているし、失ったものの大きさは計り知れないけれど、夫と訣別した先の人生では、もうあんなつまらないものに拘泥せず、自分が大切にしたいと思える人たちとだけ向き合って生きていきたい。
まだまだ道半ばで、投げ出したくなるときもきっとあるはず、折角もらった言葉を忘れずに、強く生きる。
わたしはこんな馬鹿馬鹿しい経験を、馬鹿馬鹿しいまま積み重ねたりしない。