障害者と交わらない暮らし

久しぶりに図書館に寄り、次男の絵本と、表題に惹かれて、色んな作家のエッセイを寄り集めた本を借りました。今、四編ほど読んだところです。次男はまだ一晩通して寝られないので、短い読み物がちょうど良く、久々に読む文章にはやはりわくわくさせられます。ですが、昔のように無邪気に楽しむことはできず、ゆったりと物思いにふけることも親孝行にしみじみすることも、わたしには羨ましいことになってしまいました。もともと、こういうものを読むのも、自分なりになにかひとつのことを考えるのも好きだったので、そういう変化が歯がゆいです。
障害者と接点のない暮らしには、こんなゆとりが確かにあった。そんな風に懐かしく思いました。

忘れもしない出来事があります。
長男の滅茶苦茶な振る舞いとそれに対する主人の怒りとの板挟みになり、藁にもすがる思いでかけた電話。それは児童への虐待防止のホットラインで、もうどうしようもなくなるとそこへ電話をするのがならいになっていました。よく話を聞いて、示唆してくださる方ばかりだったのです。その日までは。
その日はもうどうしようもなく、子供に障害があり、一時保護をしてほしい、もう離れないと家族がめちゃくちゃになる、そういう話をしました。どうにかして児童相談所に緊急性を訴えてほしかった。その日は土日で、児童相談所へは電話をできなかったのです。

帰って来た言葉はこうでした。

「お母さん、一時保護なんて…そんなひどい。そんなことやめましょう。お子さんに障害があることは、最初からわかってたじゃないですかァ。」

耳を疑いました。そもそも、障害がわかったのは二歳以降ですし、なにより笑いながら、障害があるのは今に知れたことじゃないでしょうと頓珍漢な鼓舞をされて絶望し、そのまま電話を切ってしまいました。この人が、この口で、人を傷つけることで、お給料を得てる?それが許せませんでした。馬鹿馬鹿しいのですが、え?これにお給金が発生してるの?と、驚いてしまいました。今思い出しても、あの口ぶりとこの内容に強い憤りを覚えます。どうか窓口業務ではなく、事務仕事なんかをしていますようにとずうっと思っています。あの人のするのは障害児親を殺すような対応です。

きっとこの人は障害者を知らない。存在することはわかっていても、関わりもなければ、想像することもないんだろう。

障害者と接することのない暮らしは豊かです。些細なことに喜びを感じ、また絶望も出来る。人の絶望を些細と言うのはご法度ですが、自分自身の人生を省みると、絶望するほどではなかったな、ということで悩んで眠れなくなったりしていました。今なら奇声も将来の不安もない暮らしがあるだけで、ケロッと生きていける気がします。

それでも、浅はかでも大袈裟でも、障害者と交わらない暮らしは美しく、羨ましいものだな…帰ることができるのなら、そこへ帰りたい。
長男と離れていても、こんなことばかり考えてしまいます。心療内科に行った方が良いのかもしれないです。



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