飛ぶ月
次男が「飛行機飛んでる」と流暢に言い出したのは、一月の終わり頃でした。それまでも「赤い車」だとか、二語文はちらほら出ていましたが、文章らしい文章を口にしたときの驚きは忘れられません。
月を指差し、「おつちさま、とんでる」と言ったときはなるほど確かに鳥や飛行機といっしょだねと笑いました。今でも月を見つけると、飛んでる、と言います。それを聞くのがなんとも微笑ましくて大好きです。
こちらは今朝の光景で、「スカイツリー」だそう。と言っても実物にお目にかかったことはなく、電車の図鑑に写り込んでいた写真で覚えたもの。日々新しい言葉を覚える次男は、一年前とはまったくちがって見えます。
子供はあっという間に成長する。いろんな人から何気なく言われるその言葉も、ママも、ぶーぶーも、わんわんも、意味を為す言葉をひとつも口にしない長男といても、ちっともぴんと来ませんでした。次男と一緒にいてはじめて、その吸収のはやさに驚いています。
きっとそのうち、きちんと言葉を覚えて、月は浮かぶようになるし、わたしの口真似でなく、自分自身で考えたことを話してくれるだろう。そんな気がしています。
わたしにはそれが嬉しい。子供が手を離れることについてセンチメンタルになることを、悪だとは思わないけれど、やはりなにごとにもおわりがあるからこそ素晴らしいのだ、知的障害の子供を持って、わたしはそう感じるようになりました。転居の多い幼少期を過ごしたせいか、環境の変化や、交遊関係の終わりにひどく落ち込む質でしたが、前に進み続けるってつまりそういうことかな、と、最近になってそんなふうに思うようになりました。
二月は長男の面会の時間が取れなかったので、次の面会が待ち遠しくそわそわしています。次男が長男を忘れないでいてくれて、時折名前を言うのがうれしく、本当なら名前を呼びあって遊んだり、喧嘩したり、楽しく過ごせるのがいちばんなのにな、なんて思ってしまいます。