三葉葵と新田氏

1．松平家と新田家

　徳川家康は、新田家の末裔であると称していました。これについては、大正時代に歴史学者の渡辺世祐よすけが「徳川氏の姓氏に就いて」という論考の中で、家康が徳川家の系図を整えた時の経緯を元にして「根拠が無い」として切って捨てており、それが今でも通説になっています。

　しかし、渡辺世祐の時代以降にもう少し史料が見つかっていて、松平家が「自分の家は新田一族につながる家である」と称していたのは家康の時代からでは無く、もっと遡れることがわかっています。

　『新編岡崎市史』が採り上げているところによれば、家康の祖父の松平清康が、自分の建立した大樹寺（愛知県岡崎市）の逆修供養塔の棟礼に「世良田せらだ二郎三郎じろさぶろう清康」と記しており、また、「世良田清康」と署名した清康の発給文書も残っているそうです。「世良田せらだ」は新田荘の中にある地名で、鎌倉時代や南北朝時代には、その土地を名字の地とした新田氏の一族がいました。家康の家は、祖父の代からこのような新田家の傍流の家を自分の家のルーツであると称していたことになります。

　比較的信憑性の高い系図史料である『尊卑分脈』では、新田義重の子に新田義貞の先祖の新田義兼と、その弟の新田義季よしすえがおり、新田義季の子に得川とくがわ頼有と世良田せらだ頼氏がいたとされています。得川とくがわは、世良田の近くの地名です。「得川とくがわ」や「世良田せらだ」は、新田氏の一族の名字ということになります。

2．家康が系図を整えた経緯

　家康が自分の家の系図を整えた経緯については、近衛前久が子の信尹に宛てた書状から知ることができます。これについては、渡邊世祐「徳川氏の姓氏に就いて」に詳しく記されています。

　それによると、家康はまず、従五位下・三河守に叙任される直前の永録九年頃、吉田兼右かねすけが見つけ出した徳川系図をもとに系図を整えています。

　この時に兼右が見つけ出した系図は徳川氏（源姓）のもので、もともとは源姓だったにもかかわらず、途中で藤原姓に改姓した奇妙な家のものだったそうです。そのためか、三河守叙任後の家康は、公式文書には藤原姓で署名しています。その一方で、同時期に安房の里見義康に宛てた誓書では、家康は里見氏と同姓であることを主張しています（安房里見氏は、新田義重の子里見義俊の子孫であるといわれていました。もちろん源姓）。

　このように、一方で新田源氏であると主張しながらその一方で公式文書には藤原姓を使っていたことが、松平氏の出自について著しい不信感を抱かせる原因となっていて、家康が新田氏の末裔と称したのは任官に際して家柄を飾るための単なる方便だったのだろうという現在の定説の根拠となっています。

　近衛前久の書状によれば、家康はさらに、征夷大将軍に任じられる前にも、吉良家から得た系図をもとに新田義国以来の系図を整えており、その際に藤原姓から「素志の筋」（本来の希望）である源姓に戻したそうです。

　家康が系図を整えた経緯を明らかにした渡邊世祐の論文が大正時代に出版されてから、家康が自分の家が新田源氏であると主張していたのは官位を受けるための方便であり、松平氏と世良田氏や徳川氏は実際は無関係であるということがほぼ定説になりました。しかし、論文が出た当時は、家康の祖父の清康が世良田清康と称していたことは知られていませんでした。のちにその事実が明らかになったことで、家康の新田源氏に対するこだわりは、単に任官に際しての便宜のためという以上の、根の深いものだったことが明らかになっています。

　そのような目で近衛前久の書状を読み直してみると、家康が源姓を本来の希望（素志の筋）としていたことや、藤原姓を使っていたのは入手した徳川系図に律儀に従っていたためだったことが伺え、定説とは逆に、家康の主張は一貫して「松平氏＝新田氏の末裔」（新田氏の末裔の系図を使うためなら藤原姓を使うのもいとわない！）であったと見ることも可能です。

3．葵紋と新田家

　江戸時代に徳川家は三葉葵を家紋にしていました。新田一族の末裔と称しながら、なぜ葵紋を使っていたのかは歴史好きの興味をひく問題です。先祖が賀茂神社と関係があったので、賀茂神社の神紋の葵を家紋にしたのではないか、と言われることもあります。しかし、これは根拠が乏しく、憶測の域を出ない説です。

　私は、徳川家康が、「新田一族の紋として」葵の紋を採用した可能性もあると考えています。というのは、徳川家のほかにも、戦国時代に新田義貞の末裔と称して新田庄を支配していた由良家も、葵の紋を使っていた形跡があるのです。それを記した史料には、次のようなものがあります。

１．『由良家伝記』

　これによると、由良家は戦国時代に菊、桐と、葵の紋を付けた陣幕を使っていたそうです。これらの紋は、由良氏の先祖の新田義貞が後醍醐天皇から下賜された紋として使われていたそうです。『由良家伝記』は、由良国繁（戦国時代末の由良家の当主）の重臣だった人物が編纂したものなので、戦国時代に由良家の陣幕に葵紋が付いていたというのは信憑性が高そうです。

２．『葵号考』

　これによると、由良国繁の家臣の柿沼長門守が天正年間に書いた覚書にも、由良氏の陣幕には桐・菊・丸の内三葉葵が付けられており、これは義貞の時から付けている、ということが書かれているそうです。また、新田庄に伝えられている古い目貫髪掻小刀の柄に「葵の丸」の紋が付いており、これは、新田義重が副紋に二葉葵を使っていたためであろう、とのこと。ただし、義重が葵紋を使っていたことについての根拠は記されていません。

３．『明良洪範』

　由良家が三葉葵の紋を使っていたため、由良高久が初めて家康の元に出仕した際、由良高久を家康の親類と間違えて、登城の諸士がみな下馬した、というエピソードが出て来ます。その後、由良家とつき合いのあった近藤石見守や石川らが「不敬である」と意見したため、由良家は紋を水葵に変えたとのこと。
　また、横瀬采女（由良氏の一族）から聞いた話として、由良家に三葉葵の紋を付けた兜が伝来されていることが紹介されています。

　２と３は伝聞などをまとめたものなので信憑性はイマイチかもしれませんが、１の『由良家伝記』と合わせて考えると、由良家が、家康の関東入部以前から、義貞以来の紋の一つとして三葉葵の紋を使っていたというのは信憑性が高いように思います。

　上野国と三河国で、新田氏の末裔と称する二つの家（由良家と徳川家）がどちらも葵の紋を使っていたとなると、葵の紋を、必ずしも賀茂神社の神紋に結び付けて考える必要は無いのではないか・・・。

　もうひとつ面白いのは、『葵号考』によると、松平家が葵の紋を使い始めたのは永禄年間に家康が「徳川」に改姓したあとからで、それ以前には葵の紋を使っていた形跡はまったく見つからないそうです。『葵御紋考』で紹介されているところによると、松平親則（長沢松平の祖）の菩提所の岩津妙心寺にある位牌には五七の桐が付いており、また、岡崎能美郷松応寺の松平広忠の廟所には、剣銀杏の紋が付けられていたそうです。

　これらのことから考えると、松平家は元々は特に決まった紋は使っておらず、家康が「徳川」に改姓した時に、何を参考にしたのかわかりませんが新田家ゆかりの紋として葵紋を採用したように思われます。

　先に述べたように、家康が改姓した際には、吉田兼右が見つけだしてきた徳川系図を元にして系図を整えています。もしかすると、この徳川系図に三葉葵の紋のことが記してあったのかもしれません。

　家康が新田一族の末裔と称したことは眉唾とされていますが、現在の通説ほどでたらめなことではなく、家康は父祖から伝えられていたことに基づいて系図を手に入れて整えて、意外と律儀にその系図に従った家紋を使うようにしたのかもしれません。

　以上、通説とはだいぶ違う説ですが、由良家が葵紋を使っていたらしいことを知ってから、「もしや、これが正解なのでは…」と思っていたことなので、書いてみました。

参考文献：
「徳川氏の姓氏に就いて」渡邊世祐（渡邊世祐『日本中世史の研究』（六盟館、昭和21年）所収。初出は「史学雑誌第30編第11号、大正8年11月7日発行）
『新編岡崎市史』
『由良家伝記』（続群書類従刊行会、『続群書類従』第三十五輯所収）
『古事類苑・姓名部』（これに、『葵号考』、『明良洪範』、『葵御紋考』などが引用されています。）

（この文章は、ホームページに掲載していたものを再編集してここに再掲したものです。）