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菊竹清訓さんの「代謝建築論 か・かた・かたち」について

 都城市民会館の生みの親である菊竹清訓さんについて、氏の著書『代謝建築論 か・かた・かたち』について考えてみたいと思います。

菊竹さん参考図書

■菊竹清訓さんについて

 菊竹さんは、強靭な精神力をもつ天才的な建築家で、探求者・思想家・教育者の面ももつ人だったようです。柔和な物腰と笑顔の紳士でありながら、設計事務所の所員には「知恵を出せ!」とよく怒る人だったそう。良い建築を造るという強い意志とあくなき探求心に人々は引き付けられ、多くの素晴らしい建築とともに、優秀な建築家も多く輩出されたのだと思います。

 2000年、ユーゴスラビア・ビエンナーレにおいて、「20世紀を創った世界の建築家100人」に選ばれています。世界の建築家から参考にされる多数の実作があり、100年先をも見据えた壮大な都市計画案(塔状都市・海上都市など)もあります。また、万博の企画や総指揮など、国家的イベントでの活躍もすばらしい。
 その菊竹さんが、国家プロジェクトである沖縄海洋博(1975年)と同時期に小さな図書館を設計されていたのも興味深いところです。子どものための「黒石子どもほるぷ館」には、次世代を担う子どもたちへの温かな眼差しがあふれています。
 当時担当した所員の話によると、絵本「ちいさいおうち」を菊竹さんから勧められたそう。田舎の小さい家が地域の近代化により取り残されたように古びてゆく。しかし次世代によって移築され昔のように息吹くお話です。私も娘たちに昔読んであげたことを思い出しました。子育て中の一人の父親としての姿が垣間見えるようです。ご自身のお子さんたちにも意見を求めたりと、子どもにも対等に接する人だったようです。

ほるぷ館と小さいおうち絵本

 

 菊竹さんは久留米の大地主の家に生まれ育ちました。子ども時代に過ごした大きな屋敷の日本家屋のつくり、神社や田畑、遊び場など周辺の原風景は心に刻まれ、菊竹建築の発想の源泉になっているといいます。
 度々起こる築後川の水害の経験と、戦後の農地解放への憤りが、土地というものへの執着となり、人工の土地を空中(塔状都市)や、海(海上都市)へと展開させていった・・・とのことです。

 戦後の農地解放は、日本の農業の衰退と地域コミュニティの収斂を招きました。事実、私の祖父母の田畑が鹿児島にありますが、現在耕作放棄地となっており、周辺は限界集落化しています。地方にはそんな例はごまんとあるのです。
 近年みられる集落営農や企業の農業参入は、昔の地主が小作人らと共に広い田畑を営んでいたころの、まるで組織もどりのようです。ただ、昔の地主は、学校や神社・寺などもサポートし、地域コミュニティと文化の保護者だったようですから、再編成への途はまだまだ長いように思われます。 

 九州地方は地球温暖化のせいか、毎年のように大水害が発生しています。泥水が流れ込んだ住宅や工場を、何とか修復した矢先にまたも被災―という失意の方々の様子をニュースで見るたび、公助としての地域一帯の整備や防災対策はできないものかと思います。
 菊竹さんが提唱した「層構造モジュール」や黒川紀章さんの「農村都市計画」など、人工土地の上に大構造体の街や集落を再編成してゆくようなことは出来ないものか・・・と、私は思いを巡らせてしまうのでした。 

未来の農村計画

 菊竹さんは、施主からの要望だけでなく潜在意識にあるものを見抜き、地域の歴史的背景や意義にも思いを馳せ、先々建築が他に及ぼすであろう正の影響を意識的に探究されていました。
『代謝建築論 か・かた・かたち』を読むことで、菊竹さんの思考に触れてみたいと思います。

■『代謝建築論 か・かた・かたち』について

 菊竹さんの著書『代謝建築論 か・かた・かたち』は1969年に出版されました。私が手にしている本は、多くの方々の要望に応えて2008年に出された復刻版です。

★本表紙と三段階図

 論理的思考の菊竹さんは、設計するということはどういうことか、建築家とはどうあるべきかを真摯に考え続け、「か・かた・かたち」という三段階の設計の方法論を確立します。
 設計は「か」の構想的段階から、「かた」の技術をベースにした実体的段階へと進み、最終形態としての現象的な「かたち」に行きつく。その過程では絶えず、「か」や「かた」に立ち返って整合性の確認や再考をするなど、三段階は循環する環―という考え方です。
 菊竹さんは、この方法論を活用して建築や都市設計を実践していきます。そして、この復刻版のあとがきで、この三段階の方法論がご自身のフィロソフィーであり、アイデンティティーになったことを述べられているのです。

 私が思うに、「か・かた・かたち」が必須アイテムとして生み出されたのは、建築がチーム戦であることと、おおかたの建築物が自分の所有物(自邸は別)ではなく、施主のあるいは公共のもので、社会のインフラの一部を担うものだからだと思います。設計を行うチームメンバーをはじめ、施工会社や大工さんらと、その建築物の存在意義や設計の意図を共有し、納得して仕事を進め、いいものを造るためには必要不可欠なのです。私たち大衆に対しても「設計者が好き勝手に建てた」などと言わせない根拠になるでしょう。
 
 菊竹さんは、社会インフラを担う建築にとって、未来へのビジョンである「か」という構想の段階がとくに重要なのだと力説しています。「かた」(技術)を駆使して「か」をデザインに組み込み「かたち」として整える―「か」(ビジョン)が必要とする新しい技術や構造、仕組みが「かた」として生みだされ、時にはネックとなる法規制を改正させるに至る場合もあるでしょう。しかし・・・

 どんなに優れた「かた」と「かたち」でも、「か」のビジョンがおそまつなら、社会要請からかい離したものになってしまう。未来への今後の方向性をどうとらえ、どのように総合的なアプローチを行うかが重要だ―と菊竹さんは力説しています。だから、建築家としての心もち、姿勢にまで言及されるのでしょう。

 もうひとつ、重要な要素があります。大衆と建築の関係です。本の冒頭は、認知のプロセスとしての「かたち・かた・か」の解説から始まっています。設計者ではなく、私のような建築の利用者・鑑賞者にむけての論なので、とても腑に落ちました。
 建築物を初めて見た時、「美しい」「面白い」「これ何なのだろう」などと人それぞれに感情が動きます。そして、デザインや活用されている技術などの解説を、聞いたり読んだり自ら調べたりして「かた」を味わう段階に進みます。「かた」の理解には知識が重要ですから。

  さらに、「か」(建築の使命・意義・ビジョン)へと思考は移ってゆきます。「かたち・かた・か」は、感覚的➡論理的➡構想的へと移る意識の進展です。これを一般の人々も楽しんでやれたらどんなにいいでしょう。その建築物を誇りに思い、大切に利用し保全していく理由づけになると思うのです。
 大衆と建築を結ぶこと、つまり建築が人々の日常の中に身近に意識されることが、サスティナブルな都市の更新に今後重要だと思えてなりません。その大衆へのアプローチに菊竹さんの「三段階の方法論」の活用が有効だと、私は確信するのです。

 巻末にある、建築家人生を振り返っての菊竹さんのあとがき(2008年4月付け)では、「物質的豊かさと利便性の代償として、地球規模での環境危機を招いた。エコロジカルな視点(資源の再利用・自然エネルギーの積極的利用)やマクロエンジニアリング的洞察が社会要請となっている。未来へ向けて「か」(ビジョン)の段階がより重要で、そのためには「方法論」の確立が不可欠・・・」というようなことを述べられています。
 そして、次のような呼びかけが、私の胸の奥に入り込んでくるのです。
【建築への議論の門戸は自由に開放されている。是非、様々な分野の方々と意見を交わし、未来のトータルな人間環境の「ビジョン」を一緒になって考えていきたい。】

■私なりのまとめ・・・
・3段階(構想・実体的・最終形態)それぞれの各主体間において、思考の 
 共有化のために有効な方法論
・建築設計及び関係者のみならず市民への理解にも役立つツール
・ビジョンの「か」の段階が重要で、次世代へも期待するところである
・現代社会に広く、この三段階法を普及し活用したいものだ

■次回は、『代謝建築論か・かた・かたち』に登場する建築物について、思いを巡らせてみたいと思います。

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