アンチテジナ論 Ⅳ
わたしは手品が嫌いです。
手品として演じられた手品が嫌いです。なぜなら手品にはタネも仕掛けもあるからです。
わたしが見たいのは『本当か嘘なのかどっちか分からないけど、本当のような気がする』みたいな曖昧さです。
現代のスタイリッシュな手品というものは、最初から小賢しい嘘の上に成り立っています。清潔感のある演者が手品として演じる手品。不思議な現象の裏側は構築された理論とテクニックで支えています。と、口にしないまでもそれが透けて見えてしまう賢い手品。わたしはそこにスペクタクルを感じないのです。
わたしはもっと真剣な虚構を観たいのです。
わたしはスタイリッシュに論理構築された推理小説とかよりも、トンデモお馬鹿さんな派手な推理小説の方が好きなのです。
オカルトに行ってしまうかしまわないかのギリギリの境界線。そういったものを、こよなく愛します。
だから、わたしは、1980年代のミスターマリックやユリゲラーのパフォーマンスが好きでした。
ちなみに誤解のないように申し上げておきますが、わたしはオカルト的な現象を、事実として捉えているのではありません。決して見世物小屋で見たものを『真理』として捉えているわけではありません。
わたしは徹底的な虚構を観たいだけなのです。
理屈っぽい嘘ではなく、演者自身が虚構であるような完全な嘘を観たい。演じている本人でさえ嘘をついてることを忘れてしまうような嘘を聞きたい。
こういったオカルト的演出に、ある種の危険を伴うことは承知の上です。
真剣に演じられた嘘によって、純粋な観客が虚構の向こう側に飲み込まれてしまうデメリットがあるのは承知で、わたしはそういった危険な見世物小屋に入りたいのです。分かりやすく言えばディズニーランドのように。着ぐるみの中の人が自分が本当に魔法の国の住人だと信じ込んで振舞っているように。ああ! しかしながら、世間の多くの人はディズニーランドをハッピーな場所だと捉えてるかもしれません。でも、あのネズミの王国の本質は見世物小屋のような怪しさなのです。わたしは、そういう捉え方としてはディズニーランドは好きです。しかし、あそこへ行くと、あの不気味な場所をハッピーだと捉えている輩が多くて、それが心底気色が悪い。みんないなくなってしまえばいい。
そういうわけでわたしは、もともとは気色悪い現象として演じられてきた原始的な芸を、スタイリッシュでハッピーなマジックとして見せていることに嫉妬するのです。
わたしは不気味なものは不気味なものとして楽しみたい。映画の中の暴力は、スカッとするようなものではなく、痛くて不快なものとして見せて欲しい。
だから、わたしは見世物小屋が好きだし、超能力風の怪しげな奇術が好きなのです。
そう。わたしの正体は、アンチテジナ人間。