料理にHigh-lowがあることが豊かな食文化、という考えについて
何だか分かるような分からないようなタイトルですが、食事に関するコンテンツについての話です。
以前読んだ本で、自分なりに納得している考えがあります。それがこのタイトルにある食文化の高級から大衆化するまでの範囲についての話です。
その本というのはこちらです。福田和也さんの著作「悪女の美食術」です。
以下引用します。
ここで述べられているのは、タイ料理やベトナム料理などのエスニック料理と言われるものが、調理法にとどまらない、享受や解釈に関わる体系性にかけているように思う。ただ、欠けているがゆえの開放感があって、そういう料理を口にすることで、めんどくさい体系性から逃げたい場合があるんじゃないか、ということでした。
体系だった食文化の例として、具体例にフランス料理と日本料理の例が挙げられています。
フランス料理は、野外で飲む安ワインと安リエットの食事と高級レストランでのアミューズで出されるリエットの対比。日本料理は、定食屋でのマグロのぶつ切りと高級寿司店でのマグロの赤身に塩昆布が和えてある料理の対比、ですね。(ちなみに、ここでの描写が、安くて美味いもの・高くて美味いものを精密に描写していて超好きです)
この具体例を見ると、なかなか納得感があります。
安いマグロ、高いマグロ。それぞれの美味しさがあるのは実感としても理解できますね。
ここで思うこと
安くて美味い・高くても美味いものがある食文化の素晴らしさ
マグロの例を出さずとも、安くて美味い、高くて美味い。それぞれがあるというのが素晴らしいなと思います。
フランス料理と日本料理の例が出てましたが、それ以外では中国料理やイタリア料理でしょうか。それらは日本でも味わうことができるので(高くて美味い方はそんなに頻繁に味わえませんが…)体験としても素晴らしいなと思います。
エスニック料理の開放感というのも理解できる
ここで書かれているエスニック料理の開放感、というのも、体感的にそうかな!ということがあります。あれ食べようか!というように、なんか勢いづいて食べることがありますね。
確かに高級的に食べることはない(お店をそんなに知らないというのもある)ですが、この勢いが、シックではない料理の勢いなんでしょうね。個人的には、辛いものが苦手なので、辛い料理は食べれないんですが、あまり辛くないベトナム料理なんかは好きで、たまにあ〜食べたいな、という気になります。
サイゼ論争って何なのだろう
サイゼ論争とは、デートの時などにサイゼリアに連れて行かれて、つまりLowなお店に行かせるのってどうなのだろう、という議論のことですね。
ここで男女論みたいなのは特に述べてないので置いておきますが、シックで高級なお店 vs カジュアルな安価な店、というような構造が意識でも実際でもできているということですね。
個人的には、安いLowのところでもそれなりに楽しんで、Hiである高級・シックなところを楽しめば?と思いますが、そうではない、ということですね。このシック・高級というのが、シグナル的に機能してそれを利用している人がいるということかなと理解してます。まあ、洒落くさいなとは思いますが。
何となく階層化している料理いろいろ
日本料理
蕎麦
Highの例:膳になっている蕎麦
これは特に高級なお店ではないですが、近所のちゃんとしたお蕎麦屋さんで食べたもの。3つの味の蕎麦が味わえる膳になっていて、値段は2000円前後の蕎麦でした。Highといっても、蕎麦はそこまで高価にはならないのが良いかなと。
Lowの例:立ち食いそば
立ち食いそばの中でもお気に入りのチェーン、箱根そばのおろしそばに天ぷらをトッピングしたものです。価格は600円前後ですね。
立ち食いそばなので当然安価なんですが、これでなかなか美味しい。絵面としても、先の小鉢が色々ある蕎麦と、一つの器でどーんとある立ち蕎麦の違いがありますね。
寿司
Highの例:ちゃんとしたお寿司屋さんで食べる握り
蕎麦よりも寿司の方が価格差が出ますね。
このお寿司は、車輪旅行で小樽に行ったときに食べた握り。おたる政寿司というお寿司屋さんで、価格は5,000円うくらいだったかなと思います。
北海道ということで、ネタがそれはそれは新鮮で美味しく、大満足だった記憶があります。
Lowの例:回転寿司で食べる握り(とラーメン)
言わずと知れた安価で食べられる寿司といえば、やっぱり回転寿司ですね。
これは、近所のショッピングモールに入っているはま寿司で食べた時のもの。
寿司食べつつラーメンを食べるのが好きで、このはま寿司以外にも、くら寿司行ったときにもやっぱりラーメン食べてます。寿司に合うラーメンとしてメニューにしているものの、寿司と一緒にラーメン食べるのはどう考えても邪道です。ただ、美味しいからいいじゃん!と無理くり食べて楽しんじゃおう、という姿勢はLowのものならではかなと思います。
イタリア料理(パスタ)
Hiの例:イタリア料理店で食べるパスタ
これは、藤沢の江ノ島近辺にある「イル・キャンティ・ビーチェ」というイタリア料理店でのパスタです。特に高級店ということではないですが、1500円以上の価格で、なかなかな品質の料理なところですね。海苔が掛かっているので、正統派イタリア料理ではなく和なテイストが含まれていますが、ちゃんとしたイタリア式のパスタもあるお店です。イタリアだろうが和風だろうが、どれも美味しいです。
Lowの例:ファミレス(サイゼリヤ)で食べるパスタ
これは正に先に言ったサイゼリヤのパスタ。シンプルなアーリオ・オーリオです。価格は299円ということで、非常に安価ですよね。
ただ、味はサイゼリヤクオリティで、シンプルですが美味しい。サラダや肉などのおかず、ワインなどと一緒に食べてもファミレス価格。満足度でいったら、これはこれで美味しく満足できる水準だと思います。
現地イタリアで、こういうファミレス見たいな形態が一般的なのかは知りませんが(多分違うかな)高級なリストランテ、カジュアルなトラットリアやタベルナ、みたいな区分けがある、ということなので、サイゼリヤもそのカジュアルな方を目指したのかもしれないですね。
ということで、気にいっている本の一節から、何となくまとめて見ました。Highの例を出すのに写真などを探しましたが、高級と言われるお店に普段行かないので、素材がかなり少なくなってしまいました。
ただ、普段行っているLowなお店でもそれなりに楽しむことができ、そしてそれなりにしっかりと満足することができます。料理が階層化するということは、HighでもLowでもそれぞれの形で満足を与えることができる、それくらい豊かなもの、という認識を持ちました。
今後は、ぜひHighの水準ももっと味わってみたいですね。
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