血盟団、五・一五の残留分子の諸事件

背景

五一五事件で、軍部全体の政党排撃の政治的意思が公然にまる

事件を聞いた菅波一統、荒木陸相の留任希望

政友会鈴木総裁に大命降下する大勢となったが、陸軍少壮将校の不満を慰撫しなければならず

二十二日、斎藤実 子爵に大命降下
 多数政党首領以外の首相

革新陣営「上記の目的は革新風潮を鎮静鎮圧し憲政の常道への復帰
 支配階級の最後の防塞とみなした
 1935の新海軍条約協定は目前

斎藤内閣、革新的色彩みえず
 荒木のみ革新政策推進、合法的改造では急速には行えず
  五一五事件残党はこれに甘んじることできず

斎藤首相暗殺予備事件

神武会(大川周明会頭)会員医学博士今牧喜雄(三十六)は、五一五事件で大川周明が検挙されて憤慨し、斎藤実暗殺、非常日本を担当する資格なき内閣打倒を、同会員大林末市(二十四)と謀議
同志島根善之助(二十五)を実行役にし、準備金を渡したが、伏見の遊郭で遊興中、一斉検索のため検挙
→今牧は計画を中止したが、島根らの恐喝で事件発覚

天行会、独立青年社事件

紅田友生
 昭和五年、早大政治経済学部卒
 その後満州志那問題に関与し、七年三月に帰国
 頭山秀三の勧めで天行会道場に起居
浦上四郎
 大正十四、下関実践学校卒業後、会社員
 昭和三年~、郷党の先輩頭山満方に寄寓しその後天行会道場に起居
児玉誉士夫
 幼にして家運没落、窮乏
 昭和三年ころ~、赤尾敏の建国会に関与
 →脱退し津久井竜雄の急進愛国党加盟、その間に運動で二回刑辟
 昭和七年、出獄後まもなく渡満、笠木良明の大雄峰会に参加、満州自治指導部・靖安遊撃隊に関与
 同年五、笠木の命で同国の宣伝等のため上京中、七月に独立青年社結成
 右翼浪人・岡田理平の勧誘で、九月に天行会へ頭山秀三を訪ね、往来

⇒彼等、天行会を中心に、革新分子を糾合、直接行動に訴え、現存政治経済機構の枢軸為す財閥巨頭既成政党の領袖、君側の重臣を暗殺、既成支配階級に一大衝撃与え、戒厳令、これを契機に国民意識の反映である強力内閣現出せしめるべく画策

同会理事本間憲一朗が五一五事件で検挙され、同様に事件に関与した頭山秀三は身の危険を感じ、紅田らに後を託し、所在隠す

近くに直接行動に訴えるべきことに一決

・方針
鬼怒川、猪苗代の発電所送電線破壊し帝都暗黙化
巨頭重臣邸の放火、銃殺
市街諸地で爆竹鳴らし帝都擾乱化

→紅田、浦上ら天行会側が資金調達遅く、決行延期しつつあった
 焦慮した児玉・岡田、会の態度を緩慢に過ぎるとし、別個に一人一殺主義の下支配階暗殺し、革新運動の捨て石となること決意
 大阪の陸軍特別大演習で牧野内府、一木宮相暗殺決定
→露見し検挙

橘孝三郎釈放の直訴事件

孝三郎の兄・徳次郎(四十)は、弟入所後愛郷塾主宰
土浦町旅館東郷館主人染谷忠助は、事件関係者と親しく事件の同情者
 孝三郎減軽の手段として、塾生に鹵簿に直願せしめようと、塾生植田義夫に教唆
植田、愛郷塾で徳次郎、塾生山田忠一に伝え、賛成
山田に行かせようとしたが、塾が弾圧されることを恐れ、山田退塾の形式

昭和八、表参道で陸軍始観兵式より還幸の鹵簿に直訴状渡そうとしたが、警戒の為目的達せず
葉山行幸に際し東京駅付近で直訴せんと企図

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