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YA【風の強い夜に】(1月号)


©️白川美古都


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 昼休み、月ノ島中学校の三年三組の教室が騒然としている。
 工藤仁が背中から棚にぶつかり、その衝撃で、棚の上の花瓶が転がり落ちて割れた。
 カシャーンと、陶器の砕け散る音がして、花瓶は見事に粉々になった。
 後藤竜は呆然と突っ立っている。足元の陶器の欠片を拾い上げて我に返った。
 今、竜は仁に合気道の技をかけてしまった。

 教室の真ん中で、仁は仲間たちとふざけてじゃれ合っていた。仁はくすぐられて逃げるように、竜にかけよって大勢を崩した。そのまま、受け止めてもらえると思ったのだろう。
 実際、体格のいい竜も、小柄な仁を受け止めることなど容易いことだ。
 しかし、竜は友人の仁を左にかわして体を入れ替えると、流れるような動きでしゃがんでいたのだ。

 一瞬、仁は驚いた顔になった。
 もっとビックリしたのは、竜自身だ。動画で覚えた合気道を誰かにかけたのは初めてだ。
 合気道は相手の攻撃をそのまま受け流すことで、自分の攻撃につなげる武術だ。
「イテーッ!」
 仁は叫ぶと、後頭部をさすった。
「ゴ、ゴメン、ジン君、だいじょうぶ?」
 ふざけていた連中が、仁のもとに集まる。それから、床を見回した。
 割れてしまったのは、担任の高橋先生が持ってきた焦げ茶色の花瓶だ。手作りの花瓶だろうか、ところどころ色の濃さが違う。花瓶にいけてあったのは南天だ。
 今年、受験生のみんなの為にと、三学期に入ってすぐに、高橋先生は鬼門の北東の方角に南天をいけた。
「す、すまん」
 竜は大きな体を折り曲げて、再び花瓶の欠片を拾い集めた。胸がドキドキしていた。

 合気道の技をかけようと思ってかけた訳ではない。体が勝手に動いたのだ。誰にも言わず独学で練習を続けて半年。
 こんな形で成果が出るとは。うれしくないこともない。
 でも、技をかけてしまったのは友人だ。
「リュウ、なんで受け止めてくれなかったんだよ。それに、今の技ってさ、空手? 合気道? 何か習ってるのか?」
 仁が竜をにらみつけた。
 竜ははっきり返事をしなかった。自分の身を守るため合気道を独学で学んでいることは、一番の友人である仁にも秘密だ。
「おまえ、一人だけ抜け駆けして、私立高校の推薦入試に合格しちゃうし」
「それとこれとは関係ない」
「関係なくないよ、二月を待たずに受験戦争から生還するなんてずるいぜ」
「受験とは本当に関係ない」
 竜は思わず語気を強めていた。
 言い合いになる寸前、教室のドアがあいて、高橋先生が入ってきた。
「オレが花瓶を割りました。すみませんでした」
 竜は先生にかけより、大きな声で謝罪した。誰にも何も言わせない、そんな意志を持って。
 しーんと、周囲は静まり返った。


P2


 あれは、半年前のことだ。
 竜と仁は同じ学習塾に通っていた。
 竜は自転車で、仁は母親の車の送迎で。授業が終わり、二人は別れた。
 駅の駐輪場に来た時だ。竜は一人、タチの悪い連中にからまれた。外灯は切れかけて点滅していた。
 その日、竜は買ってもらったばかりの赤いマウンテンバイクに乗っていた。竜が鍵を解くのを見計らって、
「オイ、いい自転車だな」
 知らない男が声をかけてきた。
 暗くて見えなかったが三人くらいの人影を感じた。それでも、竜は自転車を守るように自分に近づけた。
 両親に誕生日プレゼントに買ってもらったばかりだった。大切な宝物を奪われたくない。それに、竜は卑怯なヤツラが大嫌いだ。一人を複数で狙うだなんて。

 けれども、足は震えていた。
 クッ。
 心の奥底にある恐怖に、体が反応していた。抵抗したら、殴られるかもしれないし蹴られるかもしれない。それだけでは、すまないかもしれない。
 毎日、テレビやネットでは、物騒な事件が伝えられている。他人事だと思って見ていたけれど、まさか自分が被害者になる? 
 有り得るのだ。
「オイ、聞いてるのか!」
 突然の怒鳴り声に、竜は首を引っ込めていた。ますます膝が震えだす。 と、そこに、
「警察を呼びました!」
 大人の女性が現れた。
 彼女はスマートフォンを掲げて、タチの悪い連中に見せた。
 すると、汚い捨て台詞を残して連中は逃げ去った。

 あっけない結末。
 女性はその場にしゃがみこみ、竜は我に返った。
 彼女も震えていた。本当は怖いのに、彼女は戦ってくれた。
 見ず知らずの竜の為に。
 竜は自分の弱さが情けなくて唇をかんだ。


P3

 一月三十一日、竜は塾に出席した。
 竜の姿を見つけた仁は近づいてきた。
「合格したヤツが受験勉強って嫌味かよ」
 仁は口が悪いけど、表情はおだやかだ。
「前払いの月謝がもったいないから、親が塾に行けっていうんだ。それに、オレは英語が苦手だから、高校の英語の授業が不安だ」
 竜はリュックから英語の辞書を出した。
「相変わらず、おまえは心配性だな。オレが、おまえなら、家で漫画読んで菓子でも食ってひっくり返ってるよ」
 仁は三月に、公立高校の受験を控えている。
「おまえは合格するよ」
 竜は最初から、私立高校が第一希望だった。一般入試に備えていたが、運よく推薦入試で合格した。
「当り前だ! こんなに勉強したんだ!」
 仁はいつだって、堂々としている。根拠のない自信ではなくて、努力も怠らない。怖いモノなんてないんだろうな。

 竜は表情を曇らせた。
 窓の外も曇っている。
 竜は席に着くとノートをひらいた。まるで集中できない。自分でも気づかない内に、シャープペンをカチカチ鳴らしていた。

 最近、動画でよく視るのは、初心者の女性向けの合気道だ。
 女性が男性に腕や肩をつかまれた時の対処法。抱き付かれた時のふりほどき方。武器を持つ相手や複数の敵から逃げる方法など。

 視るには視たけれど、あの日の恐怖がよみがえって、直視するのがつらかった。そして、大切なモノを失う恐怖も感じた。
 両親、妹、友人、挙げたらきりがない……。
 今のままでは、オレは弱い。オレは大切な人を守れない。思わず、ゲンコツで、どんっと机を叩いていた。
 仁が横顔を眺めているのにも気づかずに、竜は髪の毛をくしゃくしゃっとかきむしった。それから、窓の外に目をやった。
 風の強い夜だ。
 どうして、世の中には、悪なんて存在するのだろうか。


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「リュウ、乗っていけよ」
 塾を出たところで、竜は仁に声をかけられた。
 竜は自転車で来た。
「小雨だから大丈夫だよ」
「風が強いから、乗っていけよ。それに、おまえ、なんか少し変だ」
 仁は竜の腕をつかもうとした。
 その腕を、思わず竜は払っていた。
「オイッ、いい加減にしろよ! 武術だかなんだか知らないけど、覚えたての技を素人相手に使うなんて、おまえ、小学生かよ!」
「違う、違うんだよ……」
 もう、竜はうれしくなかった。今は、とっさに、仁の腕を払ってしまった。好意で差し伸べてくれた腕を払うなんて、自分はどうかしている。
「いいかげん、話してくれてもいいだろう? 何があったんだよ?」
 仁は竜に異変に気づいていた。

 あの夜のことを、竜は誰にも話していない。半年経った今でも、怖くて同じ駐輪場へ行けない。
 竜は自転車をスーパーの駐輪場に停めている。怖さと戦う為に合気道を練習しはじめたけれど、練習すればするほど、世の中の不条理に向き合うようで不安になった。
 社会悪が怖い。
 怖くてしかたない。
 今夜も、物騒な事件がネットにあふれている。
 アァッと、竜は頭をふった。
 ぽつりぽつりと、仁に話をする。

 強い風がふきつける。オレはカッコワリー。
 そう言えば、あの夜に勇敢にも助けてくれた女性にお礼を言ってない。希望通り、私立の有名進学校に合格したけれど、それがなんになるんだ? 
 今度、似たようなことが起こったら、オレはどうするだろう? 
 思考がまとまらない。
 すると、仁が竜の腹をこづいた。
「おまえは弱くない。むしろ、強いと思う。ちゃんと、向き合ってるからな。オレなら家で漫画読んで菓子食って、頭から布団かぶって、現実逃避するもん。ただ、そういうことは、もっと早くいえよ」
「あぁ、うん、すまん」

 竜は仁の母の運転する車に乗り込んだ。
 明るい仁の母親がぺらぺら話しかけてくる。三年間、仁を送り迎えしている。家までの距離は大差ないから、文字通り夜道に何かないように仁を迎えに来ているのだ。
 おもむろに仁が竜の肩に手を回した。その瞬間、喉元に熱いモノが込み上げた。
「一人で戦わなくていい」
 仁は竜にささやいてくれた。

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〜創作日記〜
なかなか児童文学に「本音」を投影するのは難しいことなのですが
これは書いていますね。
本当に世の中には「社会悪」とか「理不尽」とあって
ソレを上手く処理できるようになることが成長だとは、私は思わない。

イラスト:mayoc_mayoc様

新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。