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YA【最初の一歩】(3月号)
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月ノ島中学校は校舎を囲むように桜の木が植えられている。
正面の校門から裏門まで立ち並んだ桜が満開になると、校舎の壁が桜色に見えるほどだ。
三月下旬、桜の蕾は半分ほど開いた。残り半分はふっくらと膨らみ開花の時を待っている。
しかし、一本だけ花芽を付けてない老木がある。
その老木は、校舎の裏で枝の大半を失くしている。用務員の鈴木さんが腰に両手をやった。残念そうに老いた大木を見上げる。
そのとなりに、先日、卒業式を終えた藤原大和と陽の双子の兄妹の姿がある。
「残念だけど、この桜の木はこれ以上、手の施しようがない」
鈴木さんの言葉に、
「まだ幹は元気そうに見えるよ……」
妹の陽は小声で反論した。
(妹が意見を言うのは珍しいな)
大和は陽の横顔を盗み見る。
約三年間、この桜の木の治療をした。
鈴木さんは、この老木の病気が治らなかったら根本から切り倒すしかないと話していた。
他の桜の木に病気をうつすかもしれないし、万に一つ木が朽ちて倒れると危険だからだ。
大和は妹の側に寄り添う。
三年前と比べて、老木は枝を切り落として随分小さくなった。
「ミナミ、お別れの時が来たんだよ」
大和はまた背が伸びた。陽も少し背が伸びた。
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一年生の時、梅雨入りした頃になっても、陽は中学校に馴染めないでいた。なかなか友達ができなかったのだ。
兄の大和は誰とでも仲良くなるのが上手い。となりのクラスの大和は遠巻きに、陽を心配していた。
ある日、一人で下校する妹を追いかけた時、二人は鈴木さんと出会った。 鈴木さんの周りには数名の生徒がいた。
「これは、何の集まりですか?」
大和が声をかけると、同級生や先輩が桜の会のことを詳しく教えてくれた。
桜の会とは、生徒たちが都合のいい時に、用務員の鈴木さんのお手伝いをする集まりだった。
いつからか、月ノ島中学校に自然と出来ていた有志の集まりだそうだ。
中学校の桜の街路樹は地域の人たちにも愛されている。大和も陽も幼い頃から見慣れている。
陽は花が好きだ。
「まだ空きはありますか?」
大和は先輩たちにたずねた。
「もちろん、大歓迎だよ」
「困ったな。これじゃあ、私のやることがなくなってしまうじゃないか!」
明るい鈴木さんは、全然困ってないふうに頭をかいた。ほほ笑む陽の様子を見て、大和も参加することにした。
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桜の会に入って、それまで全く知らなかった桜の知識をたくさん学んだ。桜の種類、名前の由来、そして、桜の木は病気にかかりやすいということ。
これまで当たり前に咲いていると思っていた桜は、実は誰かが懸命にお世話をしていた。
桜がきれいな花を咲かせてくれるのは、当たり前じゃない。
桜には解っているだけでも約六十種類もの病気が存在して、異変に気づいたら治療をしなくてはいけない。
病気を放置すれば、桜は花を咲かせない。
放置しなくても病気が治癒しなければ、最悪の場合枯れてしまう。
特に、年老いた桜は自然治癒力が期待できないので運任せのところもあるらしい。
「この桜の木はね、私が月ノ島中学校に勤めはじめた時には、もうすでに、最年長の桜だったんだよ。あれから、三十年以上になるな。いろんな病気を乗り越えて、ここまで生きてきたけど、そろそろ……」
鈴木さんは陽に視線をやった。
陽は紺色のコートに、ソメイヨシノのような淡いピンクのマフラーを巻いている。
「ミナミちゃん、毛虫が大量に発生した時のことを覚えている?」
「あ、はい」
陽は一瞬、鈴木さんと目を合わせてうつむいた。
「君はとても勇敢だったね」
「い、いえ」
他の桜の木にも毛虫が付いたが、この老木はとにかく毛虫に好かれた。
毎年、葉桜になる頃、どこからともなく毛虫が現れて葉をむしゃむしゃと食べた。
大半は鈴木さんが消毒で退治したが、それでも追いつかない時には、有志の一部が割り箸でつまんでやっつけた。こ
の老木につく毛虫は、黒い胴体にオレンジのはんてんが付いて、四方八方に毛を生やしていた。
大和は一年生の時、二年、三年の先輩と一緒に毛虫を一匹ずつ駆除していた。陽は離れた場所で、他の女子と草むしりをしていた。
大和は初めての作業に、毛虫に刺されないように必死だった。
その悲鳴が聞こえた時は、登っていた脚立から落ちそうになった。
「キャーッ! とってとって!」
女子の叫び声。
となりで、陽は尻もちをついている。
先輩の体操着の背中に毛虫が付いていたようだ。大和は慌てて脚立を降りた。助けようとかけよった瞬間、
ペシッ!
陽が身を引きながらも、先輩の背の毛虫を持っていた軍手ではらったのだ。
大和の足元に吹っ飛んできた毛虫は見事に仕留められていた。
「ミナミちゃん、ありがとう!」
陽と先輩は手を取り合った。二人とも涙目になっていた。それを機に、陽と先輩は親友になった。
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大和が二年生の時、この桜の老木は、てんぐ巣病という病気になった。
鈴木さんは枝を選別して切り落とした。有志たちは鈴木さんの指示で薬を塗った。
とても寒い日の作業だった。大和は手がかじかんで薬を塗るヘラを地面に落とした。
「無理をするんじゃないぞー!」
木の上から、鈴木さんが声をかけてくれる。ハイと答えて、大和がヘラを拾いに脚立を降りると、陽がよってきた。
「あとちょっと、がんばろうね」
差し出されたヘラを受け取りながら、大和は驚いた。
持ち場に戻る陽が輝いているように見えた。
「どうか先輩の卒業式に桜が咲きますように……」
陽は祈りながら、老木の手当てをしていた。時折、かじかんだ手をこすり合わせて作業している。
「きっと咲くよ!」
大和が声をかけると、陽は力強く頷いた。
そして、新しい春がきて、こじんまりとした老木はそれでも蕾を開かせてくれた。
今、大和と陽、それから、何人かの有志が老木を囲んでいる。
しばらくの間、無言が続いた。
ふと、有志の一人がつぶやいた。
「俺たちが生まれる前から、この桜の木は生きていたんだな」
大和はこの老木が切り倒されるのは仕方ないように感じた。陽はどうだろう?
笑顔と勇気と友達と、その他、いろいろな大切なことを教えてくれた特別な桜だ。悲しい気持ちに違いない。なんて声をかけようか。
迷っていると、陽が老木に近づいた。
「鈴木さん、あそこに新芽が……」
高い所にある枝を、陽は指差した。
「よく気がついたね。そうなんだよ、この老木は花の蕾は付けてないけど、よく見ると新芽が出ているんだよ」
鈴木さんも老木を見上げた。
「それじゃあ、挿し木ができる?」
後輩の有志たちが声を上げる。
「できないこともないが難しいよ」
鈴木さんが答える。
「新芽の付いている枝を十センチから十五センチの長さでカットしてポットに植えて管理する。根が出るまで二ヶ月くらいかかるかな。それでも、根が出たらラッキー! ほとんどが、根が出ないと思っていいよ」
厳しい現実に、一瞬、みんなが押し黙った。
と、そこに、
「あの、これは、何の集まりですか?」
女子生徒がおどおどした様子で声をかけてきた。
ずっと気になっていたんですと、その子は付け加えた。
大和は三年前の自分たちの姿を思い出した。この子も勇気を出して、最初の一歩を踏み出したのだ。
有志の一人が、桜の会の説明をしてあげながら、みんなの顔を見回した。
「これから、桜の挿し木の準備をするところなんだよ」
「よし、やろう!」
どこからともなく声が上がる。
鈴木さんも腕まくりする。
「こりゃあ、大仕事になるぞ!」
大和と陽は顔を見合わせた。自然と笑顔になる。
来月になったら別々の道を行く。
二人とも高校生だ。でも、大丈夫。二ヶ月後に、挿し木の根が出たか見にこよう。
葉桜、桜紅葉、そして満開の桜が、僕らを見守ってくれている。
〜創作日記〜
六年間、教育雑誌に読切連載を書かせていただいて、
この作品は「終わり」ではなく「始まり」も描きたくて、
感謝の気持ちを桜に込めました。
本当にありがとうございました。
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