YA「サンタクロースにお願い」(12月号)
島田幸子は長い黒髪を一つに束ねて、更衣室で白い胴着に着替えて、剣道場に向かっている。渡り廊下の真ん中で立ち止まる。薄い雲のかかった青い空が広がっている。頬にあたる風はひんやりしている。
まもなく二学期が終わり、担任の平井先生が産休に入る。そして、もうすぐクリスマスだ。昨日の夜、幸子はママに、プレゼントは何がいいかと聞かれた。うーんと、幸子は考えたまま思いつかなかった。
竹刀に、竹刀を入れるかわいい袋、手ぬぐい、タオル……、部活に関する物は、一通り揃えてもらった。携帯は高校生になってからと、パパに決められている。洋服か天然石のアクセサリーにしようかな。
幸子は渡り廊下の欄干に肘をついた。もう剣道部の練習は始まっているだろう。園芸委員の仕事があったとはいえ、大遅刻は避けた方が無難だ。でも……、
「なんで、剣道なんてはじめちゃったんだろう」
幸子の足は真っ直ぐ剣道場へ向かわない。半年ほど前、同じクラスで親友の佐藤夕香と一緒に始めた。友だちと一緒だから入部した訳ではない。もともとスポーツは好きだ。部活動を決めるとき、夕香と他の部活も見学した。
バレーボール部、バスケ部、陸上部、そして、一番最後に剣道部。幸子の心は、小学校のときに入っていたバスケ部にほとんど決まっていた。夕香だって、そうだ。バレーボール部かバスケ部、どっちにしようかと悩んでいた。
ところが、道場に入ったとたん、幸子の心は剣道に奪われた。きちんと正座して座る先輩たち。おしゃべりのない静かな空間。若草色の畳の匂い。今まで、体験したことのない世界だった。それから、見せてもらった試合もすごかった。
「メーン!」「メーン!」
睨み合いから、二人同時に声が上がって、相手の面を打ち抜いた。先輩は竹刀を持ち直して一礼すると、面を外して、幸子と夕香の前にきちんと正座した。それら一連の所作が流れるように美しかったのだ。
その後の部長の話を、幸子はほとんど覚えていない。興奮して心臓がとくとく鳴っていた。隣りでは、夕香が目をきらきらさせて、部長の話に聞き入っていた。二人はその場で入部を決めた。あの時の感動はウソじゃない。でも……、
「夕香は一級か……」
秋に行われた剣道の段級審査会で、夕香は一級に合格した。
幸子は不合格ではない。審査を受けることすらできなかった。会場に着いたとたん、緊張してお腹がきゅーっと痛くなり、トイレにかけこんだ。そして、一級の審査が行われる時間になっても出てくることができなかった。
結局、初めての審査会で、幸子は級をもらえなかった。
「なんで、昨日、部活に来なかったのよ?」
翌日の朝、幸子が教室に入るなり、夕香がかけよってきた。幸子が連絡せずに部活を休んだのは初めてだ。
「あ、ごめん。園芸委員の仕事で、西の花壇にポインセチアを植えていたんだけど、遅くなっちゃって……」
幸子はうつむき加減に話しながら、ドキドキした。渡り廊下まで行ったところを、誰かに見られていないだろうか。夕香は、なーんだ、心配したんだよと明るく答えた。それから、幸子の顔を覗きこんだ。
「ポインセチアかぁ。もうすぐクリスマスだもんね。ねぇねぇ、サチはサンタクロースに何をお願いする?」
「まだ迷っている」
「あたしはやっぱり手ぬぐいかなぁ。汗っかきだから何枚あっても足らないんだよね。手ぬぐい十枚にする」
夕香はショートカットの髪の毛を両手で抑えるようにした。夕香は練習中に何度も頭に巻いた手ぬぐいを交換する。
「サンタクロースもびっくりのお願いだね」
幸子は思わず苦笑いする。
「実用的な物が一番だって。サンタクロースがお母さんだってわかってからは、あたしは毎年、そうしてるんだ。お弁当箱、水筒、Tシャツ、靴下、運動靴、それから、何を買ってもらったかなぁ」
夕香は窓の外に視線をやった。つられて、幸子も窓の外を見る。低く暗く、灰色の曇が広がっている。もうとっくの昔、サンタクロースがいないことを知っている。サンタクロースの消えた空。
「私は天然石のアクセサリーにしようかな。昨日の夜、ネットで見たの。インカローズっていう天然石。桃色に近い赤い色で、すごくきれいだった」
幸子が話すと、夕香が口をはさんだ。
「はぁ? やめなよ、そんなの。玩具なんて買ってもらっても、すぐに使わなくなって部屋の中に転がっているのがオチだって」
「玩具じゃないよ。石の持つ意味は……」
幸子が言葉を飲み込んだとき、教室のドアがあいて、大きなお腹を抱えた平井先生と付き添いの鬼頭先生が入ってきた。
今日は園芸委員の仕事はない。幸子は一人、制服姿のまま、花壇の前にしゃがみこんでいる。何もしていないのも変なので、ふかふかの土を指先で押して固める。小石をつまんで花壇の外に投げる。
「部活、辞めたいな……」
夕香がいないと、本音がこぼれる。
誰に向かって言った訳でもないのに、
「どうして?」
後ろから返事がした。
振り向くと、平井先生が立っていた。
幸子はびっくりした。突然やって来たことだけではなく、まるで相談にのってくれるように、平井先生が幸子の肩に手をのせたからだ。大きくて温かい手のひらだ。
そのまま二人は花壇の横のベンチに並んで腰掛けた。
平井先生は変わった。外見だけでなく、中身もおどおどしていた春先と全然違う。
「先生でよければ話してごらん」
幸子に微笑みかけた。
幸子はぽつぽつと悩みを話した。
剣道の練習のとき、なんだか気恥ずかしくて腹から声を出せないこと、試合のとき勇気を持って打ち込めないこと、審査会はもちろん、先輩や顧問の先生が見ていると、緊張して体が震えること。
「私には、剣道なんて無理だったのかもしれない。部活の見学のとき、先輩の姿がすごく恰好良くて入部したんだけど、単なる憧れだったのかもしれないって……」
「あー、私と同じだねぇ」
「えっ?」
幸子は顔を上げた。
平井先生はうつむいた。
「私も、憧れだけで、教師になっちゃったようなものよ。高校のときの校長先生が女性でね、お歳を召しているのに、とっても恰好が良かったの。いつも黒いスーツをぱりっと着て、ネクタイをしていた」
「ネクタイ?」
「えぇ、女性用の細いネクタイよ。私も真似して買ったんだけれど、まだ怖くて一度もつけられないの」
平井先生はそう言って、大きなお腹をさすった。
「この子が無事に生まれて、職場復帰するときがきたら、あのネクタイ、つけてみようかしら。あっ、そうだ、お願いしちゃおう。ポインセチアさん、いつか、恰好良い教師になれますように」
幸子は吹き出した。平井先生の天然なところは変わってない。
「なんかへん」
そうは言ったものの、ふいに、自分もお願いをしてみたくなった。
でも、神様、仏様ならともかく、ポインセチアさんはちょっと……。サンタクロースならいいかも。
幸子は立ち上がって、空を見上げた。
ちょうど、雲の隙間から、金色の光りが射している。消えてしまったサンタクロースがひょっこり顔を出しそうだ。
幸子は深呼吸して手を合わせた。ゆっくり目を閉じると、瞼の上に柔らかな光を感じた。
子どもの頃は、サンタクロースが本当にいると思っていた。今も、もしかしたら、サンタクロースは隠れているだけかもしれない。
インカローズの天然石の意味は勇気だ。
幸子が一番欲しいものだ。
「サンタクロースさん、お願いします……」
強くなりたい。
勇気が欲しい。
一歩前に踏み出す勇気だ。
幸子がお願いをしてから目を開けると、隣りで平井先生も手を合わせていた。
「平井先生、一体、いくつ、お願いごとがあるの?」
「いっぱいありすぎて、神様だけじゃ足りないのよ」
平井先生は照れ臭そうに笑う。確かに、そうかもしれない。
「よしっ」
幸子は息を吐いた。今日は部活に行く。足元の荷物を担ぐ。
平井先生は幸子の想いが伝わったのか
「ファイト!」
拳を突き上げた。やっぱり、いつの間にか、平井先生はへなへなの頼りない先生じゃなくなっている。
なんだか、自分のことのように嬉しい。幸子は走り出した。今なら練習開始の時刻にまだ間に合う。
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。