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YA【夢の通り道】(2月号)
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五木詩音は新築マンションの最上階のベランダから、街の光を眺めている。去年は嵐のような一年だった。
両親が離婚して、父方の祖父と同居していた詩音と母は、家を出ることになった。
そんな折に祖父が倒れて、天国の祖母の元へいってしまった。
母は詩音の進学先を決めて、通い易いようにと引越も決めた。
「ボク、引越したくないんだけど……」
詩音は遠慮がちに、自分の気持ちを母に告げたが、ヒステリックに怒鳴られた。
「この引越しは、あなたの為なのよ!」
中学三年生の三学期という時期の引越と転校について、母の主張だ。
そして、母の決めた進学先は、離婚した父の母校だった。
付属の大学もある。
去年の中間試験の成績で合格ラインをクリアしていた詩音は、本番の推薦入試でも母の期待を裏切らなかった。
疑問だけが残った。
なぜ、母は離婚した父と同じ道を歩ませたいのだろう?
県下屈指の私立高校に、詩音は進学したいとは思わない。
詩音は自然に囲まれて勉強して部活も楽しみたい。大学では子どもの時から興味のある神道と雅楽を学びたい。
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祖父の四十九日の法要の後、形見わけの時、
「そんな笛、もらってどうするのよ?」
母はあからさまに眉をひそめた。
「爺ちゃんの形見だから大事にしたい」
詩音は篠笛を両手で握りしめた。
「ただいま、シオン、窓を開けて何をしているの、風邪をひくわよ!」
慌ただしく母が帰ってきた。
コンビニのビニール袋を、詩音に突き出す。
「甘い物を買ってきたからお茶入れて」
「お帰りなさい。うん、すぐ入れるね」
詩音は電気ケトルのスイッチを入れた。
(そうだ、雅楽部でのことを母に話そう)
来月の後輩へ贈る歌は、さくらに決まった。譜面上では一見、簡単に見えるが、篠笛で演奏するとそうでもない。
同じ音程が続く分、吹き込む息の強弱と長さにとても気を遣う。他の楽器に合わせるのも慎重になる。
「イツキ君、今の音量すごく良かったわ。琴チームの音と合っていたよ。ラスト、もう一回演奏して終わりましょうか」
月ノ島中学校へ転校して良かったのは、小川和香子先生に出会えたことだ。まさか雅楽部があるとは思わなかったし、雅楽に詳しい先生に指導してもらえるなんて。
早々に受験を終えてからは、詩音はほとんど毎日、部に顔を出している。高校には雅楽部がない。今のうちにたくさん練習したい。
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翌日、チョコレートを渡されるまで、詩音はバレンタインデーを忘れていた。登校する途中に渡された一個から、昼休み、放課後と、こっそりもらったチョコレートは数えきれない。
詩音はチョコレートの箱を潰さないように鞄に隠した。
(どうしようかな)
こんなにたくさんのお返しを買う小遣いはない。
昨夜、母はお茶も飲まずにソファーで寝てしまった。母にも雅楽を好きになってもらいたい。ボクの夢を応援してもらいたい。
「なーに、ため息なんてついてるの?」
部室へ向かう途中、和香子先生に話しかけられた。
振り向いた瞬間、鞄からはみ出していたチョコレートの箱が落ちた。
「まぁ、見なかったことにしてあげる」
「すみません」
詩音は急いでチョコレートを拾った。
気をつけていたのに、チョコレートの箱は潰れてしまっている。
昨夜、母がお土産に買ってきてくれたチョコレートとよく似たパッケージだ。お母さんは、ボクの為にチョコレートを買ってきてくれたのだろうか?
和香子先生に促され廊下を歩き出す。
不意に、ポーンと背を叩かれた。
「痛っ、えっ? どうしたんですか?」
「こっちが聞きたいわよ。キミはいつも平気そうな顔をしているけれど、言いたい言葉を飲み込んで、吐き出したい気持ちを飲み込んで、それを篠笛に吹き込んでいたら、篠笛がかわいそうだわ」
和香子先生は、ズバリと言い当てた。
「イツキ君、篠笛は何で出来ている?」
「は? 竹です」
当たり前のことを聞かれて、詩音は戸惑った。
「そう、竹よ。竹は生き物よ。キミもそれをわかっていて毎回、吹く度に篠笛を手拭いで拭って湿気をとっているのでしょう?」
「そ、そうです」
詩音は答えたものの意識したことはなかった。口の中の湿った空気を吹き込んだら、竹をふって乾かす。
一連の動作だ。
「それなら、キミのため息を吹き込まれている、篠笛さんも思いやりなさい。ため息から生まれる音色を想像してごらんなさい」
「篠笛さん……」
思わず詩音の口元がゆるんだ。
「あの、ボク、やりたいことがあって」
言葉にすると、あれ? 涙がこぼれた。自分でも驚くほど溜め込んでいた感情があふれて止まらなくなった。
「でも、ボクのやりたいことと、母がボクに望むことは違うんです。だからと言って、母は悪くないんです。父も……、誰も悪くないんです。それなのにいろんなことがいっぺんに起こって……」
(ボクは何を言っているのだろう?)
こんなことを言っても、和香子先生も困るはず。
(涙を止めないと……)
ところが、
「泣いちゃえ!」
和香子先生は、詩音の髪の毛をくしゃくしゃとなでた。
「キミは、まだ、夢の通り道にいるんだよ」
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詩音は部室へ行く前に、橋の上に寄った。
橋は小学校と中学校の中間にある。鞄を足元に置いて、橋の下を流れる車を眺める。
涙は止まった。
篠笛を取り出して、竹の表面をなでる。心が軽い。そっと篠笛に唇を付けて息を吹き込む。
曲目は、さくら。さくら、さくら、はなざかり。いざや、いざや、みにゆかん。
気持ちがいい。脳裏に満開の桜の花が広がる。
一番を吹き終えると、背後に視線を感じた。
振り向くと、一人の女子が立っていた。
同じ雅楽部の杉山さんだ。
「イツキ君?」
杉山さんは不思議そうに、詩音の顔を見ている。
「こ、これは……」
詩音は泣き腫らした顔を、手のひらでこすった。
杉山さんは胸の前に小さな赤い箱を持っている。詩音の視線に気づいて、今度は、杉山さんが俯いた。
「こ、これね……」
手作り感満載のチョコレートだ。
しかもかなり不器用だ。離れていても、包装紙がいびつなのがわかる。風でリボンが吹き飛びそうになっている。
(ボクの為に……)
でも、
「ごめんなさい。受け取れないです」
詩音が勇気を出した。
今日、もらってしまったチョコレートは、お返しを添えて謝らないと。相手を傷つけないで、自分の気持ちを伝えるのは難しい。
けど、ボクは変わりたい。
「受け取れないのは、キミが嫌いというわけではなくて、ボクは、まだ、ボクのことでいっぱいいっぱいで」
言葉が続かずに、詩音は体を二つに折り曲げるように頭を下げた。
すると、
「やっぱりイツキ君はやさしいね」
杉山さんは微笑んだ。
と、突然、
「それなら、みんなで分けようか? 友チョコってことでいいよね」
橋の向こう側にひそんで、やり取りを覗き見ていた部員たちが駆け寄った。部長が明るい声で仕切る。
「じゃあ、チョコレートを持って来た子は鞄から出して。小包装のチョコレートは分けやすいようにバラしてね」
「イツキ君の人生はバラ色だねぇ」
男子部員の一人がつぶやいた。
先生に見つからないように、部長がテキパキとチョコレートを分けていく。杉山さんのチョコレートの箱を、部長が手に取った時だ。
「こ、これは、あたしがもらうわ」
そそくさと、部長は杉山さんのチョコレートを自分の鞄にしまった。
それから、残りのチョコレートをみんなに配った。
「イツキ君、ありがとう。オレ、初めてのバレンタインデーのチョコレートだよ」
「友チョコだけどねぇ」
橋の上に笑いが広がる。
詩音も笑った。深呼吸して仲間たちを見回す。
このメンバーで、演奏会で発表するのは一回きりなのだ。大切に演奏したい。
#小説 #短編小説 #LGBTQ #YA #言霊さん #言霊屋
〜創作日記〜
これも6回目の2月号で、
2月と言えば、豆まきかバレンタインデーで、
学校が舞台といえば、やはりバレンタインデーの方が描きやすく
先月号から続くお話なのでLGBT要素も少し(←がんばる私:笑
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