YA【夢も希望もありまして】(7月号)
夢も希望もありゃしません!
七夕祭りの短冊に筆ペンで書き付けられた文字だ。輪郭は震えているが、太くてとても力強い。
今年、八十歳になる祖母の文字だ。
「なんなのよ、この短冊は! 飾れやしないわ!」
今井杏果の母は短冊を眺めてあきれている。
母は地域のボランティア活動をしている。
今月は、商店街の七夕祭りの手伝いだ。
母はボランティアの仲間とともに、商店街のアーケードの笹に飾る、短冊を集めている。ノルマの短冊はまだたくさんある。
「お婆ちゃんらしいじゃない。頑固で気が強くて、超マイペースで、ママそっくり。老人ホームでも、楽しくやっているみたいだったしね」
「楽しくやりすぎなのよ! この間も、演歌歌手のコンサートに行くってきかなくて。結局、職員さんと車椅子でコンサートにいったのよ」
母の愚痴に、杏果は苦笑する。
先日、老人ホームに面会に行った時、祖母は杏果にこっそりと、人気の若い男性演歌歌手の画像を見せてと頼んできた。
「この歳になると、自分の夢も希望もありゃしません。タケシ君の顔を見て、歌を聞くのだけが楽しみだよ」
そう言って、杏果のスマホで、推しの演歌歌手の画像を熱心に拝んでいた。
「年甲斐もなく恥ずかしいわ」
母は頭を横にふった。
「そうかな? 推しに、年齢は関係ないと思うけど」
杏果は口を尖らせる。
「最初、タケシ君に会いたいって、短冊に書いたの。それで、口ゲンカになったら、当てつけに、この短冊よ! 八十歳にもなったら、世界平和とか、家族の幸せとか、孫の成長やひ孫の誕生とか、他に願うことがあるでしょうに」
母はため息をついた。
「それで、モモカ、あと五十枚くらい短冊をお願いできないかしら? クラスの友達にも頼んで、中学生らしい夢と希望を集めてきてよね!」
返事を待たずに、母は細長く切った紙の束を、杏果に押し付けた。
「ふーん、それで、短冊ねぇ」
月ノ島中学校の二年の教室で、クラスメイトの木村華は短冊を手に取った。杏果が学校に持ってきたのだ。
「幼稚園の時、書かされたね」
「ハナは、なんて書いたの?」
「お父さんとお母さんが仲直りしますように」
「えっ?」
驚く杏果に、愉快そうに、華は続けた。
「その時、うちの両親が喧嘩をしていて、お願いごとに書いたのよ。そうしたら、幼稚園の先生に、もっと楽しい夢を書きましょうって注意されたから、よく覚えている。意地でも書き直さなかった。そもそも夢って何よ?」
「パン屋さんになりたいとか」
杏果の言葉に、華が吹き出した。
「そんなこと書いたの? モモカが、パン屋さん? ないないない。つまみ食いばかりしていて、売り物のパンがなくなりそうだよ。それに、パン屋さんは、朝が早いんだよ。モモカ、早起き苦手じゃないの」
「チョー現実的なこと言わないでよ。幼稚園の時は、本当に、パン屋さんかケーキ屋さんか花屋さんになりたかったの」
「それで、今は?」
華に聞かれて、杏果は閉口する。
(パン屋さん……、のような気もする)
華は油性ペンのふたを取った。キュウっと嫌な音を立てて、願いごとを書き出した。
「なに、こ、これってさ……」
「そう、幼稚園の時と同じよ」
華は杏果の顔前に短冊を出した。
そこには、お父さんとお母さんが仲直りしますようにとランボーに書き付けられていた。
「また、親が喧嘩してるの?」
「うん。親も成長していないのに、あたしたちだけに、中学生らしさとか成長を願うなんて都合良すぎ。 でも、短冊にこれを書くと意外と効くの」
華の言葉に、杏果は笑い出した。
「そんな短冊を笹に付けられたら、恥ずかしすぎるもん!」
二人がケラケラ笑っていると、クラスメイトが集まってきた。
その日の夜、二十枚くらいの短冊を、杏果は母親に手渡した。
最初、アリガトウと、うれしそうに短冊を受け取った母の顔は、だんだん険しくなった。
それもそのはずだ。スマホが欲しいが願いごとのダントツの一位で、次に、人気アイドルグループのグッズが欲しい、コンサートチケットが欲しい、推しの顔した彼氏が欲しい。
「欲しい、欲しいって、サンタクロースと間違えてない?」
母は食卓に短冊をならべた。
ふと、一枚の短冊に、母が手を止めた。
「パン屋さんになりたいカモ。カモ? って、なんなのよ」
杏果はドキッとした。
みんなが好き勝手に願いごとを書いていたので、杏果も書いたのだ。名前はイニシャルにした。
エム、アイ。
「ごちそうさまでした!」
首をかしげる母を残して、杏果は洗面台に向かった。
今夜も父は仕事で帰りが遅い。今井家は、家族三人で食事をする機会が少ない。
華じゃないけれど、杏果も覚えていることがある。パパとママと三人でご飯を食べたい。そう書いた短冊は、幼稚園の先生に、そっと裏返しにされた。
「この他に夢はないの?」
そして、パン屋さんの方の夢を飾ったのだ。
杏果の夢は少しだけ変遷した。
パン屋さんになりたい、ケーキ屋さんになりたい、花屋さんになりたい。どれも嘘ではないけど、小学生高学年頃から、カモがついてきた。
(本当にそうなれたら楽しそうだな……)
でも、人生はそんなに甘くないだろうなという、夢と希望の正反対にある現実の気配。
鏡の中のごく普通の中学生の自分から、目を逸らした。
口をゆすいで、二階にあがる前に、ちらっとリビングをのぞいた。
母は疲れているのか食卓につっぷして寝ていた。あのまま、父の帰りを少し待って一人で寝室に上がるのを、杏果は知っている。
ふいに、母の願いごとはなんだろうと思った。
深夜、杏果はトイレに起きた。
(あれっ?)
リビングの明かりがついている。
見ると、父と目が合った。食卓で、母が寝ている。背中にはタオルケットがかけられている。
父は風呂上りのようでバスタオルを頭にかけて、しーっと杏果に合図を送った。
杏果はトイレをすませてリビングに忍びこんだ。
父が差し出したコンビニのプリンを受け取る。母の顔の横に、同じプリンが置かれている。
父は慣れた様子で缶ビールにタオルをかけて、音を立てないように開けた。母の真ん前の椅子に座り、美味しそうにビールを飲んだ。
杏果も音を立てないようにプリンを開けて食べた。
(甘い、あぁ、幸せだ)
思わず、声が出そうになった。
と、そのとき、母の手元の一枚の短冊が目に入った。
「雨が降りませんように」
この美しい字は、母の文字だ。
イニシャルは、ティー、アイ。今井隆子。母の名だ。
父も母の短冊を覗きこんだ。それから、ふふっと、口元を緩めた。
もちろん、杏果は、有名な七夕伝説を知っている。
彦星様と織姫様は仲が良すぎる夫婦で、一緒にいると仕事をしないから、一年に一度しか会えない。
雨が降ると、天の川が氾濫して会うことができなくなる。
よく考えると、ひどい伝説だ。
今井家は、華の家のようにド派手な夫婦喧嘩はない。
しかし、広い家は人気が無さ過ぎて、たまに、杏果ですらさみしくなる。七夕の日に雨が降らないように願ったのは、母の本心だろう。
杏果がプリンを食べていると、母が目を覚ました。
寝ぼけ顔で、父と杏果とプリンを見つめた。
「おかえりなさい。今、何時なのよ……」
そう言いながら、自分のピンクの短冊に気が付いた。
次の瞬間、母は我に返り、覆いかぶさるように短冊を隠した。
杏果と父は顔を合わせると、ぷーっと吹き出した。
「隠すことないだろうが」
父が笑うと、母は照れ隠しなのか、
「パパも書きなさいよ!」
と、青い短冊を差し出した。
酔っ払いの父は少し考えてから、
「夢も希望もありまして。たくさんありすぎて、書けません!」
ドヤ顔で、短冊に書き付けた。
(ははーん、祖母の短冊を見たんだな)
いいや、ここらじゅうの短冊をつまみにして、一人で晩酌を愉しんでいたようだ。
「こんな時間に食べたら太るじゃないの」
母は文句を言いながら、うれしそうにプリンのふたをめくった。
杏果はもう少しリビングにいたくて、プラスチックのスプーンをくわえていた。
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。