YA【夢みる勇気】(11月号)
月ノ島中学校と小学校の間の橋の上に、松岡美智は立っている。ギザギザした細い落ち葉と小さなドングリが足もとに散らばっている。
美智は三年生になる前にとっくに進路を決めている。いや、幼い頃から将来なりたい職業は変わらない。
それは、母親と同じ看護師だ。
美智の母はずっと大きな病院で看護師として働いている。今では、看護師をまとめる看護師長だ。美
智は実際に病院で働いている母の姿を見たことはない。
それでも、お母ちゃんの宝物と、黒いペンで書かれた箱を見ると、母が患者さんに慕われていることが伝わって来る。
中身は手紙や折り紙、似顔絵などだ。元気になった患者さんからの贈り物だ。箱にはお母ちゃんの信条の勇気の文字もある。
美智は母親を尊敬している。自分も母親のようになりたい。
でも……、美智はため息をついた。看護師になりたいのに血が怖いだなんて。先日も鼻血を見ただけで気持ちが悪くなった。
「待たせてごめんね」
友人の杉山玲子が橋の上に歩いて来る。
二人は一年生の時に同じクラスだった。二年生で別々になったけれど、三年生でまたクラスメイトになった。
「志望校、決めた?」
美智は玲子に尋ねた。
玲子の夢も、看護師になることだ。
「まだ決められない」
二人は並んで歩き出した。
看護師になる為の高校は、二人とも二校に絞った。一校は家から通える、もう一校は少し遠くにある全寮制の学校だ。
「私は体力がないから、自宅から通った方がいいのかな? それとも、寮の方が通学の負担が少ないのかな?」
玲子はか細い声で言う。
美智は玲子の細い体を見つめる。
「レイコ、ちゃんと、ご飯食べてる?」
「失礼ね、ちゃんと食べてるよ。もともと太らない体質なの。あぁ、そもそも看護師になる体力もないように思えてきて不安だな。不安がいっぱいで押し潰されそう。ミチは頑丈だからうらやましい」
玲子の言葉に、美智は苦笑した。血が怖いことは誰にも話してない。
その週末、美智の母の勤める病院にクラスメイトが入院した。
霧島兎というアイドル好きの女の子だ。
美智と玲子はお見舞いに来た。
この病院には何度か来たことがあるが、改装されてからは初めてだ。広過ぎて迷子になりそうだ。
とりあえず売店に寄ってお見舞いの品を選ぶ。
「アイドルの雑誌は、やめておいた方がよくない? 野外ライブで、飛び跳ね過ぎて転んだんだって。これが、ピョンからのメール」
美智は玲子に画像付きのメールを見せた。
ピョンとは霧島のニックネームだ。
「イエーイ! 骨折しちゃったピョーン!」
玲子がメールを読んだ。
「ねっ、全然、反省していないでしょう?」
美智が呆れた声で言う。
玲子は雑誌を棚に戻した。
結局、二人はスナック菓子とチョコレートとジュースを買った。
総合病院の窓口で、二人はピョンの入院している病棟と部屋の番号を尋ねた。受付の女の人は丁寧に教えてくれた。
「ミチのお母さん、どこにいるんだろうね」
「整形外科だけど、走り回ってるらしいよ」
美智は昨夜、病院に行くことは母に告げた。
院内の地図を見ながら、二人は入院病棟へ向かった。その途中たくさんの看護師を見た。
「ナースキャップって、被ってないんだね」
玲子は看護師の服を見つめる。
白を基調にしたワンピースかパンツを履いている。足元は白いナースシューズだ。
「うん、お母ちゃんが、衛生面の問題から廃止されたって言っていたよ。でも、戴帽式では被せてもらえるよ!」
瞳をきらきらさせて、美智は答える。やっぱり看護師になりたい。白衣を着て患者さんを助ける手伝いがしたい。
「わぁ、ドキドキする」
玲子も声を弾ませた。それから、
「ミチ、このチョコレート、私が食べることにする」
玲子は高カロリーのチョコレートをピョンに上げるのをやめた。
「うん、食べちゃいな」
美智は苦笑した。
玲子は自分のことを弱いと思っているようだけど、美智はそうは思わない。ヤルと決めた時、玲子はすごく頑張るのだ。きっと、体力の不安だって克服するだろう。
それに引き換え、自分の悩みは……。
四人部屋の窓際のベッドにピョンは横になっていた。
美智と玲子の姿を見ると、キャーッと声を上げるほど元気だった。
二人はシーっと、ピョンに静かにするように促しながら辺りを見回した。ピョンの寝ている空間は、病室とは思えないくらい、色とりどりに飾り付けられている。
アイドルの写真にポスター、自作の似顔絵など、大量のグッズが、ベッド柵、カーテン、枕元と足元に飾られている。
「あんた、本当に病人なの?」
美智があきれて尋ねると、ひどーいと、ピョンは泣きまねをした。
「骨盤っていうお尻の骨に、何ヶ所かヒビが入っちゃったの。それと、足を深く切って四針も縫ったんだから」
「あ、足を切って縫った……」
美智は息を飲む。
確かに、ピョンの指差す左足は固定されているのか、不自然に薄い布団がかけられている。
「どうして、こんなことになっちゃったの?」
玲子が首を傾げると、待ってましたと言わんばかりに、ピョンは話し出した。
「聞いてよ! ライブの最後に、推しのヨシ君が被っていた帽子を客席に向かって投げたの。あとちょっとで取れそうだったのに、後ろから誰かに押されてこけちゃったの。その時に左足を道路にぶつけたの」
ピョンは無念そうに続ける。
「それでも、簡単には諦めなかったんだからね。道路に這いつくばって前進したら、今度は、前に女が割り込んできて、吹っ飛ばされて尻もちをついたんだ。あぁ、悔しい! 次こそは絶対に取るんだから!」
美智と玲子は閉口した。
高校受験を控える中学三年生の大事な時期に、ここまでアイドルグループに熱くなれるピョンが少し羨ましい。
「ピョン、進路は決めたの?」
「うん、ソラ君のお嫁さん!」
即答したピョンに、美智は聞いた自分がバカだったと思った。
ふと、ピョンの左足に目をやった。救急車で運ばれて、四針も縫ったということはたくさん血が出たのだろう。
「それで、もう痛くないの?」
玲子の問いに答えるように、ピョンはスナック菓子の袋を開けると、バリバリ食べ出した。
バリバリ、バリバリ……。
しばらくの間、静かな空間に、ピョンが菓子を噛み砕く音だけが響いた。猛烈な勢いで菓子を食べるピョンが、いつもと違うことに二人は気がついた。ピョンの大きな瞳は赤い。
半分ほどの菓子を一気に食べると、ピョンは小声で言った。
「お願いがあるの。布団、めくって欲しいの。足がどうなっているのか、怖くて一人で見られなくて、まだ、見てない」
「えっ? 手術の麻酔から覚めて、一度も自分の足を見てないの?」
美智は再び、ピョンの足を見た。
心臓がドクンドクンと鳴り出す。
「わ、私たちで良ければ……」
玲子も緊張している。
ピョンは、こくんと頷いた。
「布団をめくればいいんだね」
美智は布団に手を伸ばした。
玲子もはしを掴んだ。ピョンは枕に顔をうずめた。
「ミチ、掛け声をお願い……」
「い、いくよ。一、二の三!」
美智と玲子が布団をめくると、白い包帯が巻かれた左足があった。綺麗に巻かれた包帯に、二人とも目を奪われた。
「怖くないよ」
美智が声をかけると、ピョンも恐る恐る自分の足を見た。包帯は丁寧に何重にも巻かれている。
と、そこに、看護師さんがやってきた。
「あら、お友達が来てくれたのね、ピョンちゃん、良かったわね!」
看護師さんの笑顔に、ピョンは泣き出した。
なんて優しい笑顔だろう。美智はもらい泣きしそうになって唇をかんだ。 それから、白い包帯を見つめた。
血は怖い……、でも、こんなふうに、いつか、誰かの傷に包帯を巻けるようになりたい。
勇気、勇気、勇気。
お母ちゃんの信条を、美智は心の中で唱えた。