YA【心の声】(12月号)
月ノ島中学校の二年生、野村マリ子は、クラスメイトに頼み事をされると断ることができない。
放課後、図書委員の仕事に向かおうとしていたら、
「今日のトイレそうじ、変わってくれない?」
山崎さんに声をかけられた。
「えっ……、でも、今日は、図書委員の……」
口に出しかけたもののはっきり断れない。
数日前から、家の飼い猫のメロの具合が悪いのだ。メロは、もう老猫だ。いつ何があってもおかしくない。委員の仕事を終わらせて早く帰るつもりだった。
「あ、あの、後悔したくなくて、だから……」
どうやって断ったら嫌われないだろうか?
「は? 何いってんの?」
山崎さんは面倒くさそうに首をかしげる。
「ザッキー、行くよー!」
クラスで目立っている坂上さんが、山崎さんを呼んだ。
山崎さんは行ってしまった。仕方なくマリ子は鞄を机に置いて、二階の女子トイレにむかった。
そうじ当番を変わるのは一度目ではない。
翌日に形だけのお礼を言われても……、
「ぜんぜんうれしくない」
小声でつぶやく。うまく気持ちを伝えられない自分に腹が立つ。泣きたくなるのをこらえる。何のために自分の声はあるのだろう?
トイレの引き戸を開けると、大柄な女子の姿があった。
「あっ……」
二人は顔見知りだ。となりのクラスのハーフの子で名前は、マキノテル美。母親がブラジル人で、父親が日本人。話す言葉はペラペラのポルトガル語と、上手な英語と、片言の日本語だ。
マリ子とテル美はよく二人で掃除をする。トイレだったり、玄関だったり。
テル美も用事を押し付けられやすいみたいだ。
「マリコ、ヨロシクネ!」
テル美が笑顔で手を上げる。
マリ子は笑えなかった。このあと、図書委員の仕事もあるのだ。いそいでトイレ掃除を片付けないと。
マリ子の気持ちを知らずに、テル美は鼻歌を歌いはじめた。ポルトガル語だろうか、マリ子にはさっぱりわからない。
ところどころ英語も混じっている。
「アイ、ドンット、アンダースタンド……」
マリ子は英語が苦手だが、このくらいならわかる。
二人とも会話はしない。かんぺきに意思疎通できる共通の言葉がないからだ。
たいていテル美は歌をうたい、マリ子はきくともなしにきいている。
今日の歌は初めてきく。
私には理解できない……、
日本語に翻訳すると、こういう意味だろう。何を理解できないのかな?
「ユア、ワーズ」
思わず、デッキブラシを持ったマリ子の手が止まった。
「あなたの言葉がわからない」
マリ子の心に、その歌詞は突き刺さった。
話すのが苦手なマリ子は、よく言われる。まごついていると、顔面に捨て台詞をぶつけられて、マリ子は置き去りにされる。
自分の気持ちを相手にきちんと伝えられたら、どんなにいいだろう。イエスもノーも伝えたいのにうまくできない。相手の機嫌を損ねるのも怖いけど、かんちがいされるのが一番怖い。
言葉は、本人が意図していない意味を持って、相手を傷つけることがある。
マリ子は小学生の時、親友を失った。
結局、マリ子のどの言葉が、親友を傷つけたのかもわからなかった。仲直りできないまま、中学生になる前に、親友は引っ越した。
ずっと友だちでいて……。
最後に伝えたかった言葉も言えないまま。
トイレ掃除を終えると、マリ子は図書室に走った。
今日は、月に一度の大掛かりな整理整とんがある。マリ子は本棚に戻す本を乗せたカートを引いて、担当の棚にいく。
すると、となりの棚の前に、テル美もやってきた。テル美は図書委員ではない。となりのクラスの図書委員は、竹中さんだ。大人しい女の子で、他人に仕事を押し付けるようなタイプではない。
竹中さん、どうしたんだろう?
でも、今は人のことを心配している場合ではない。早く仕事を終わらせて、メロのそばに、いてやりたい。
「えっと、ス、ス、ス……」
マリ子は本棚の作者名を探す。(見つけた!)
本を定位置に戻して、今日は同じ棚にサ行以外の本が混じっていないかをチェックしないといけない。
マリ子は目をこらして間違いを探した。よし、次。順調に半分ほど返し終わったときだ。
となりの棚で、テル美が困っているのが見えた。初めてやるのだから無理もない。
「マリ子、ワカラナイ」
テル美は、マリ子と目が合うと笑いかけてきた。
「ヨム、タクサンアル」
「本がたくさんある?」
マリ子には、テル美の言葉がわからない。思わず口調が強くなる。テル美に付き合っていたら仕事が終わらない。
「タイラ、ヘイ? タ、タ、タ、チガウ」
「あぁ、作者の訓読みと音読みのことね」
マリ子はテル美のカートを見て、ギョッとした。ほとんど手づかずになっている。これを手伝うか手伝わないか。
「ワタシ、ヤル、ダイジョウブ。ダカラ、オシエテ」
テル美は、マリ子の気持ちに感づいた。
「教える方が大変だし、時間がかかるよ」
マリ子は、早口でつぶやいた。
「時間、ダイジョウブ」
「あなたの時間じゃない。あたしの時間。うちの猫が……、具合が悪いの……」
「ネコ、ビョーキ?」
歳をとっているの、英語でなんて言えば伝わるのだろう。と、突然、
「ネコ、シヌ?」
テル美の口から、死という単語がでた。その瞬間、マリ子はキレた。
「勝手に、メロを殺さないでよ!」
マリ子はテル美に背を向けた。
家に帰ると、メロはお気に入りの縁側に寝そべっていた。マリ子がとなりに座ると、ニャーンと鳴いて首を持ち上げた。顔を近づけると、ペロンとなめてくれた。
「ただいま、メロ。待っていてくれたんだね」
また、ペロンと、顔をなめるメロ。
「今日も、スズメさんが遊びにきたの? そう、よかったわね」
マリ子はメロに尋ねて、自分で答える。
メロの頭をなでて、首に顔をうずめる。あたたかい。
大きな体のメロは、とてもおとなしい性格で、小鳥たちと仲良しだ。食べ残しのキャットフードのかけらを、スズメがつつくのをながめるのを楽しみにしている。
「スズメさん、何て言っていた? おいしいって? うんうん」
縁側から、庭先に目をやった。
(あれっ? お母さんがまいてやったキャットフードが残っている)
メロの気持ちはよくわかっている、そのはずなのに……。
と、そこに、お母さんがやってきた。
「今日は、めずらしく、メロが怒ったのよ! それも、何度も」
お母さんは首をかしげた。
「この子も、体が思い通りにならなくて、いらだっているのかしらね?」
マリ子は頭の中がぐちゃぐちゃになった。わけがわからないのと、悲しいのと、悔しいのと、そう、テル美にもひどいことをした。
ワーッと想いがこみあげて、メロの体をぎゅーっと抱きしめていた。
涙があふれて止まらなかった。
次の日、学校へ行くと、山崎さんに声をかけられた。
「昨日はありがとう……って、なんかあったの? その顔……」
マリ子は泣きすぎて目が赤く腫れている。上辺だけのお礼なんてどうでもいい。
「ネコ、シンダ」
マリ子はつぶやいた。案の定、山崎さんはおどろいて、坂上さんのところへ走っていった。
二人はひそひそ話している。
「私の言葉なんて、どうせ伝わらない」
マリ子はつぶやくと席についた。
メロは生きている。
今日も早く帰りたいけれど、今日は、マリ子自身がそうじ当番だ。
「あ、あのさ、野村さん、今日の当番、うちら、かわろうか?」
山崎さんが申し訳なさそうにいった。
「ネコちゃん、残念だったね。あたしもネコ派なんだ。つらいよね……」
坂上さんも声をかけてくれた。
「あ、ありがとう」
マリ子はびっくりして、二人の顔を見た。
自分の心の声と、二人の考えていたことはぜんぜんちがっていた。やっぱり、ちゃんと声に出さないとダメだ。
ごめんね、メロ。死んじゃったことにして。それから、テル美にもあやまらないと。
話せば傷つくこともあるけど……、話さないで大切なモノを失うのは、もう嫌だ。
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。