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YA【シニカル・ムーン】(4月号)


2015/4


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 日曜日の家電量販店は、想像通り混んでいた。特に、携帯電話コーナーは、すごい人だかりだ。
 相川真美は携帯電話の新規購入の受付カウンターで、母親の隣りの椅子に腰かけて、もう一時間近く待たされている。
 緑ヶ丘中学校の二年B組に進級して、ちょうど一週間が経った。もうすぐ真美の誕生日だ。真美は、肩まで伸ばした髪の先を指でカールしながら、母の横顔を盗み見る。誕生日のお祝いに、携帯電話を買ってもらう約束をしたのは去年のことだ。
「店員さん、遅いわね。ねぇ、また今度にしない?」
 母は大きなため息をついた。
「嫌だ! 今日、携帯を買って持って帰るんだもん」
 真美はゆずらない。母は契約手続きが混んでいるのをいいことに、携帯を買わないで済んだらいいと思っているのだ。
「ちょっと見せなさいよ」
 母が携帯電話に手を伸ばした瞬間、真美は触られないように、とっさにスマホを持ち上げていた。最近、なんだか母の全てにいらつく。
 例えば、服装。今日だって、買い物に来るのに、毛玉のついたネズミ色のトレーナーを着ている。
 おまけに、髪の毛はショートヘアにパーマをかけているから、今日みたいに雨の日はちりちりだ。そして、いつも赤い口紅。お洒落の根本が間違っている。真美は恥ずかしいから、母と並んで歩きたくない。
 それでも、母のことを嫌いになった訳ではない。
 その証拠に、冷たい態度を取ってしまった後に、申し訳ない気持ちになる。先日、洗濯機に入っていた母のグンゼの白い下着を放り投げたあともそうだった。
 やり過ぎたかな……、でも、気持ちが先走って止められない。オバサン丸出しのジャージ姿で、近所をうろうろするのも止めて欲しい。


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「なんで青なのよ、男の子じゃあるまいし」
 母も不機嫌そうにつぶやく。
「青じゃないよ。スカイブルー、空色。それに男だから青とか、女だから赤とか、そういうの、差別なんだからね」
 真美は手の中のスマホを見て言う。
 携帯の色は真っ青なでなく、淡い青色だ。口をとがらせて主張することでもないけれど。
「まだ、時間がかかるのかしら? あっ、そうだ、携帯電話のカバーも買ってあげるから選んできなさいよ」
「いいの? お母さん、値段を見なくて」
 携帯の機種を選ぶ時、母は父以上に分割の値段を気にしていた。
 父は人ごみに嫌気がさしたのか、真美が欲しかった最新のスマホにしてくれると、早々に車に戻った。
 後は、お会計を済ませるだけだ。
「いいわよ、ゆっくり選んでらっしゃい」
 妙に優しい母の態度に、真美は黙り込む。何かおかしい。だけど、買ってくれると言うのに、この機を逃すのはもったいない。
「分かった」
 もう一度、真美は混み合う携帯電話コーナーへ向かう。カバーは空色が隠れないデザインがいいな。
 すぐに、真美の頭の中から、母の存在が消えた。
 と、そこに、
「大変お待たせしました」
 女性店員が戻ってきた。
 チャンスとばかりに、母は声をひそめた。


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 真美は怒っていた。
 スマホのカバーやアクセサリーを選んでいる間に、母が店員さんと勝手に話をして、携帯電話の使用制限を厳しくしたのだ。アクセスできるサイトは十八歳未満の安全なものだけに限られてしまった。
 別にエッチなサイトを覗きたい訳ではないけれど、子ども扱いされるのはムカつく。それだけではない。複数の友だちと同時にチャットできる機能もロックされてしまった。ゲームのアプリも、全て消される寸前のところだった。
 真美が店員さんにお願いして残してもらった【シニカル・ムーン】は、今とても流行っているゲームだ。
 スマホの中で、ムーンすなわち月を飼育するゲームだ。そして、このムーンがとてもシニカルつまり皮肉屋なのだ。

 ゲームのスタートボタンに触れると、青白い液晶パネルに細い月が浮かんだ。真美はムーンに顔を近づけた。言葉を発すると、その言葉を栄養にして成長するという。どうせなら、かわいいお月様にしたい。
 真美が考えていると、
「おい、何か言いたいことがあるだろう?」
 先に、ムーンがしゃべった。
 びっくりした。ちゃんと、私がここにいることがわかるんだ。心の中で真美はつぶやく。言いたいこと、言いたいこと。
 明日からまた中学校が始まる。
 新しいクラスでの二週間目の初日。
 クラス替えは残酷だと思う。一年間で築き上げた友だち関係を、一瞬で粉々にしてしまう。
 二年B組に、真美の仲良かった女子は一人もいなかった。休み時間に一緒にトイレに行く子も、下校時に校門まで並んで歩く子もいない。
 真美はクラスの目立つグループに入りたいとは思わない。教室の片隅でおっとりした友だちと二人、穏やかに日々を送りたい。
 その友だち候補は、今のところ、横井さんと安田さんだ。まだ、声すらかけられていない。
「はぁ……」
「ため息つくなよ、それとも発情期か?」
 ムーンが答える。悲しいとイライラしてくる。そして、イライラの矛先は、仕事でほとんど家にいない父ではなく、母に向かってしまう。
「お母さんのバカ」
 真美は声に出す。
「じゃ、おまえもバカだな」
「なんでよ?」
 真美は言い返していた。
「デオキシリボ核酸」
「なにそれ?」
「ほら、バカだ」
 いいわよ、今からネットで調べるもん。真美は言葉を飲み込んだ。
 バカという汚い言葉を食べたせいなのか、ムーンの目付きが悪い。真美はスマホの画面を切り替えて、初めて検索機能を使うことにした。デ・オ・キ・シ・リ・ボ……、漢字がわからない。
 ムーンに尋ねたら、またバカって言われるに決まっている。いいや、このまま検索してみよう。
 あれっ? 携帯の画面は六桁のパスワード入力画面になった。真美は電話の契約時のパスワードを教えてもらってない。サイアクだ。検索すらできないなんて。


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 翌日、B組の教室のドアを開けて、真美はオハヨウと口の中でつぶやいた。特定の誰かに向けた言葉ではない。何人かが挨拶を返してくれた。ちらりと視線をやる。もう二人組になっている子が多い。
 ヤバイと、心が焦る。
 二人組というのは、とても重要だ。例えば、体育の時間に二人組になってストレッチをするとき、美術の授業で絵を描く時、遠足のバスの隣りの席、相手を探さなくてもいい状況にしておきたい。
 何としても一人余ってしまうことだけは避けたい。
 先生たちは平気な顔で、余った者同士でくっついて、なんて軽く言うけれど、あの時のクラスメイトの視線は冷ややかだ。あっ、そうだ、横井さん、横井さんは……。
 真美はこっそり学校に持ってきた携帯の話をしようと思った。机に鞄を置いて、教室を見渡す。
 次の瞬間、頬が引きつった。横井さんは安田さんとおしゃべりしていた。出席番号順に座っているので、二人は席が前後ろだ。
 しかも、とても良い雰囲気だ。
 用もないのに、席の離れた横井さんに話しかけに行くのは変だ。あわよくば携帯電話の番号を交換したかったのに。
 真美の携帯電話には、まだ自宅の番号しか登録されていない。今朝、ムーンにオハヨウを言ったとき、
「おまえ、友だちいないの?」
 と言われた。連絡先の数を把握できるみたいだ。
「ウルサイ!」
 真美が怒鳴ると、
「おまえがウルサイんだけど」
 と返された。もはや投げつける言葉もなかった。
 何がデオキシリボカクサンよ……、真美は思わず声に出していた。声に出してから、あっ、よくわからない単語を、最後まで言えたと思った。
 と、後ろから、背中をつつかれた。
「相川さん、相川さん……」
 後ろの席の井上さんだ。
 さっきまでおしゃべりしていたクラスで一番目立つグループを抜けて、いつの間にか席についている。
 井上さんは小声で、
「もしかして、スマホでムーンを飼ってる?」
「えっ、どうしてわかったの?」
 井上さんはくすっと笑った。それから、やっぱり小声で、あたしも飼っているのと、自分の鞄の底を指さした。井上さんはお調子者で、誰にでも愛想がいい。それだけで、真美は友だち候補から外していた。
「あのね、ムーンに、親の悪口を食べさせると、DNAって言われちゃうの」
「デオキシリボカクサンって、DNAのことだったんだね。遺伝ってことか」
 井上さんは真美に顔を近づける。
「おまえも、その内、あぁなるぞーって、嫌味を言われるの。ほんと、ムーンってチョームカつく。でも、止められない」
 真美もうなずく。
 ムカつくんだけれど、気になる。気にかけて余計にイライラする。あれっ、待てよ、こういう存在って他にもいたような。まぁ、いいや、真美は井上さんとの会話にもどる。すごく楽しい。B組になって、真美は初めてそう思った。

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〜創作日記〜
昔々、「シーマン」という不思議なお魚を友人宅で見せてもらった。正直なところ欲しいとは思わなかった。

別のお友達に「たまごっち(病気になっている)」を見せてもらった。なんか可哀想だと感じたことしか覚えていない。

スマホになっていろんなゲームをちょこちょこ遊んでやめている。広く浅くは物書きには良い。DNAをテーマにした作品を直球で描くわけにいかないのでこんな感じに。

©️白川美古都

新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。