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YA【大切な風景】(12月号)
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「大晦日、もうすぐだね」
川本幸樹は、同級生の池下由奈にペチンと頭を叩かれた。一人、足早に下校していたのは今夜の晩御飯を買い出しに行くためだ。
「痛いなーっ」
幸樹はふりむいて、幼なじみの由奈をにらむ。
幼稚園からの腐れ縁だ。小学校で四回も同じクラスになって、月ノ島中学校に入学して一年生でクラスメイトだ。
もはや三年間、ずっと同じクラスになりそうな気もする。
「ねぇ、コーキ、お婆ちゃん、大丈夫なの?」
同じ団地の同じ棟の一階同士に住んでいるから、知っていて当然か。
昨日の夜、婆ちゃんが倒れて救急車で運ばれた。
サイレンの音、赤い点滅灯、団地の窓のカーテンの隙間からのぞいている多くの視線。
「婆ちゃんは入院したよ。検査するんだって」
「そっか。でも、大事に至らなくて良かった」
由奈は大人みたいなことを言った。
川本家は母と祖母と、八歳年下の弟の優希と、幸樹の四人暮らしだ。池下家は母と由奈の二人暮らし。
母親同士の付き合いも幼稚園にさかのぼる。互いの家を行ったり来たりするのは、日常茶飯事だ。
「母ちゃんがバタバタしているから、オレんちはしばらくコンビニ弁当だ。今夜の弁当は何にしようかな」
幸樹はうれしそうに言う。いつもは値段が高いからダメだと言われているコンビニでの買い物が楽しい。
「何を不謹慎なことを言ってるの。そろそろ大掃除をしないとね」
「オレが?」
「他に誰が居るのよ。明日、ベランダのゴミを集めるからちゃんと手伝って。四十八リットルのゴミ袋一つ頑張るよ」
「ユナ、勝手に決めるなよ」
幸樹は口を尖らせた。そうは言っても、力関係は幼稚園の時から変わらない。
ふいに、由奈の声の色が変わった。
「お婆ちゃんがいつ帰って来てもいいようにキレイにしておこう」
由奈と婆ちゃんは仲が良かった。
由奈は婆ちゃんから編み物を習い、婆ちゃんは由奈から英単語を習っていた。
「ドリーム、夢。ディ、アール……」
「デエサービスのデエ?」
「お婆ちゃん、違うって」
由奈と婆ちゃんが炬燵で勉強会をしているかたわらで、優希は猫みたいに丸くなって昼寝する。
大切な風景。
思い出すと、胸のおくが、すんっと寂しくなった。
「わかった、大掃除する」
幸樹が言うと、由奈は静かに、うんとだけ答えた。
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一階のベランダを行き来するのはいつものことだ。
お隣りとの間の隔て板は、幼い幸樹が壊してしまって、一応、大きなゴミ箱でふさいであるが、ずらせば容易に通れる。
母親達も穴の存在ことを知っている。
どちらの家庭も父親がいないので、一つの家族みたいに暮らしてもう数年だ。
「なんじゃあこりゃあ?」
幸樹がゴミを拾い上げた。
掌にのる青色のゴムボールだ。コンクリートの床に弾ませると高く跳ねてベランダのひさしにぶつかり跳ね返った。
「うわぁ、おれもやる!」
優希も大掃除の手伝いに参加している。ボールを追いかけて、今度は優希がゴムボールを投げる。
「遊んでないで捨てる!」
さっきから由奈は怒ってばかりだ。
でも、そういう由奈もなかなか掃除が進まないようだ。ゴミ袋を手にぼんやりしている。
「ユナ、何か見つけた?」
幸樹は首をかしげる。
池下家のベランダの隅に、空っぽのハムスターのオリが置かれている。
二階建ての本格的なオリには、餌箱、トンネル、回し車が付いている。
「これ、燃えないゴミ、なのかな……」
「あ、それって……」
幸樹は言葉に詰まった。
幼稚園児の頃、由奈はジャンガリアンハムスターを飼っていた。
ある日、ハムスターは脱走した。
由奈は自分の家はもちろん、幸樹の部屋の隅々まで探したけど、ハムスターは見つからなかった。
数ヶ月後、変わり果てたハムスターを見つけたのは、婆ちゃんだった。
婆ちゃんはハムスターを手作りの編み物に包んでくれた。
「ユナちゃん、ハムちゃんが帰ってきたで」
そう言って、由奈の頭をぽんぽんと撫でた。
「おかえりなさい」
由奈はわんわん泣いていた。
幸樹はベランダの向こう側の茂みのそばに、スコップで穴を掘った。
あの日も冬で、風は冷たくて土は硬くて手がとても痛かったけど黙々と穴を掘った。
婆ちゃんは穴のソコに編み物ごとハムスターを置いた。
あの時、絶対に忘れないと思ったのに……。
「なに? なに?」
優希が笑いかける。
あぁ、あの時はまだ、優希は生まれていなかった。
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最初の大掃除から三回目、大晦日の昼になってようやくベランダは片付いた。
ハムスターのオリは水洗いして日に干して、由奈の部屋の押し入れの中に片付けた。
青色のゴムボールは、優希のポケットの中だ。
排水溝にたまっていた落ち葉とほこりを取り除いて、エアプランツとサボテンの残骸はゴミ袋に入れた。
「それじゃあ、コーキ、あとはよろしくね。いちおう、お隣りの池下さんにも頼んでおくけど、おばちゃん、今夜は夜勤らしいのよ」
「うん、わかった」
母ちゃんは慌ただしく、病院へ行く支度をしている。
大荷物の紙袋の中をのぞくと、毛糸がたくさん入っている。
幸樹の視線に気付いて、
「年が明けたら手術だっていうのに、ちっとも大人しくできないの。毎日、編み物をしているから、すぐに毛糸が足りなくなってね」
母ちゃんは困ったように、でも、笑った。
「あっ、これ、婆ちゃんからあんた達に!」
母ちゃんは幸樹に紙袋を一つ押し付けると、玄関から飛び出していった。
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コンビニの買い出しに由奈も付いてきた。
正月用のいつもより豪華な弁当が並んでいる。
「おれ、このキラキラしているやつが食べたい!」
「ユウ、それは、弁当箱がキラキラしているだけで、中身はいつものハンバーグと唐揚げだぞ。いいのか?」
由奈はザル蕎麦を手に取った。
今夜は由奈も一緒に晩御飯を食べる。
由奈の発案で、年越しのカウントダウンをベランダでやるのだ。
「ユナ、しぶいな」
「大晦日なんだから、年越し蕎麦を食べないと!」
「蕎麦、苦手……」
幸樹と優希が顔を見合わせると、あたしも、と、由奈は笑い出した。
「それじゃあ、みんなで年越しラーメンにしよう」
幸樹の提案に二人とも賛成した。
それぞれカップラーメンを選んで、帰り道、
「そう言えば、婆ちゃんからのプレゼントを預かってるんだけど……」
「なに? なに?」
優希と由奈の声が重なる。
幸樹は一足先に紙袋の中身を覗いたのだ。
「そんな、たいした物じゃなかったと言うか……」
団地に戻って、幸樹は紙袋を開いた。
「うわぁ、かわいい帽子! お婆ちゃんすごいね」
由奈は水色の毛糸の帽子を優希に被せると、自分はピンクの帽子を被った。
幸樹は一個残った緑色の帽子を手に取る。
「なぁ、ユウ、交換しないか?」
「しない!」
優希は部屋の中を飛び跳ねている。
帽子の先には丸いぼんぼりが付いている。ただでさえ被るのはかなり気恥ずかしい代物なのに、緑色とは……。
「コーキ、被せてあげようか?」
由奈の申し出を断って、幸樹は毛糸の帽子を被った。
二人の視線が頭に向けられる。
「なんだよ、笑えたければ笑え」
「似合うよ」
二人が真顔で言うので、幸樹は照れ臭くなった。
ベランダに出ると、帽子の暖かさがよくわかった。耳まですっぽり覆うと、冷たい風も入って来ない。
それから、カウントダウンの会場の準備にとりかかった。
折りたたみの机と椅子を出す。三人身を寄せ合うように座る。
ふと、幸樹は思った。
この風景を忘れたくない。今度こそ、絶対に。
〜創作日記〜
マンションをポイするとき、ベランダを掃除していた時の実体験がベースになっています。
短編読切小説はベースがないと、私は書くのが難しいですね。
こういう内容はPTA的にはどうなんだろうなぁと思いつつ(笑
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