YA「オオカミになりたい」(2月号)
服部典子は制服姿のまま、スーパーのバレンタインデーの特設コーナーの前で一人、頭を抱えている。
手作り用のチョコレートの材料を選びに来たのだが、予定していたより材料が高いのだ。これじゃあ、予算オーバーだ。
「こんなことなら、ホワイトチョコレートにするなんて言うんじゃなかった」
典子はつぶやく。
今日の一年A組の昼休み、女子はバレンタインデーの話題だった。
クラスのリーダー格である森沢ヒナの周りに、友チョコ組が輪になっていた。友チョコは女の子同士で交換する友情の証のチョコレートだ。
「今年のバレンタインデーは土曜日でしょう? 前日の金曜日にやらない?」
「サンセーイ!」
森沢の提案に、数人の女子が即答する。典子は出遅れた。
「友チョコ交換会なんて面倒だよ。それに、十三日は金曜日だよ」
後藤さんがだるそうにつぶやく。あっ……。典子は言葉を飲み込む。
一瞬、女子の間に沈黙が走る。
森沢は、アハハと笑い飛ばした。それなら、ホラーっぽいチョコレートの交換会をしようと言い出した。
「い、いいね!」
典子は作り笑いを浮かべる。今度は出遅れなかったけれど、賛成したのは典子だけだった。しまった……。だいたいホラーっぽいチョコレートって何だ? 訳もわからずに、森沢のご機嫌を損ねないように振る舞ってしまった。
典子に視線が集まる。
「あ、あたしは、おばけを作ろうかな。ホワイトチョコレートたっぷりのね」
「いいじゃん!」
森沢が喜ぶ。典子はホッとする。
典子は松浦小学校の五年生から、毎年この行事に参加している。
六年生だった去年の大失敗は、思い出したくもない。仲良しグループでチョコレートを交換したとき、典子が用意したチョコレートが、一個足らなかったのだ。
「典子ちゃん、気にしないで!」
クラスメイトだった堀さんは、そう言って笑ってくれた。
「ほりっち、半分個しようよ!」
勅使河原さんは、典子のチョコレートを二つに割ろうとした。典子が大きさを重視して作ったマシュマロチョコレートは、ゴムのようにびよーんと伸びて、なかなか二つにちぎれずに、みんなの笑いを誘った。
とても美味しそうには見えないチョコレートに、典子は恥ずかしい思いをした。私立の中学校に進学した堀さんは優しい性格だったけど、申し訳ないことをした。フォローしてくれた勅使河原さんに、典子は心の底から感謝した。
もしも、自分の分だけチョコレートが無かったら? 典子はめちゃくちゃ傷つく。ひょっとして、その子は自分のことが嫌いなのかな? 意地悪をされたのかな? そんなことまで考えてしまう。
典子は人から嫌われるのが怖い。
仲間外れにされるのも、無視されるのも、想像しただけで死ぬほど怖い。登校時のあいさつですら、たまに声をかけた子に返事をしてもらえなかったら、一日中、不安でいっぱいで過ごす。
「全部で八個、大丈夫かな……」
典子は濃紺のコートのポケットからメモ帳を取り出した。
森沢を中心にした椿小学校出身の四人と、松浦小学校からの友だち四人。名前を数えていたら心配になってきた。一個くらい予備が欲しい。でも、小遣いが足らない。
ふと、脇本アカネの名前に目が止まった。アカネを数から外したら七個ですむ。そもそも、アカネは森沢のグループの一人という訳ではない。出席番号が近いのと、同じ椿小学校出身という理由で、森沢の近くにいるように感じる。
その証拠に、みんなが友チョコの話題をしているときも一人だけ、すぐ横の自分の席について本を読んでいた。色あせたうすっぺらな文庫本だ。森沢はアカネの肩をつついたけれど、手のひらでしっしっといとも簡単に撃退したのだ。
一匹狼のアカネに、典子はちょっと憧れる。
でも、絶対に真似できないし、狼になりたいとは思わない。だって、一人ぼっちは心細いから。
どうしよう。全然決まらない。ホワイトチョコレートのブロックを手に取って棚に戻す。
明日は、建国記念日で祝日だ。チョコレートを作ってしまいたい。
と、突然、
「ちょっと、また、あんた?」
向こうの棚で、店員の声がした。
見ると、雑誌の棚の前に、スーパーのおばさんとアカネの姿があった。
「雑誌を読んでいるだけです」
アカネは肩まで伸びた黒いストレートの髪を耳にかけると、雑誌に視線を戻した。
「毎回、雑誌のヒモを解いて立ち読みするなんて、どういう神経しているの?」
どうやら、アカネは立ち読みの常習犯のようだ。
「ちゃんと、ヒモを元通りに直しています。折り目も汚れもつかないように配慮しています。この雑誌の私の読みたい記事は、ココ、人生相談室、一ページだけなんです。購入するのはナンセンスだと思いませんか?」
副級長のアカネは弁が立つ。
ちなみに、誰もやりたがらなかった副級長の役に、森沢たちに推薦されて、別にいいけどと引き受けたのだ。
副級長の仕事も、クラスで議論が白熱しようが、涼しげな瞳で淡々とこなしている。
「ひ、開き直るつもりなの? 店長を呼ぶわよ」
えっ! 動揺したのは、典子だ。
雑誌の立ち読みは良くないけど、万引きした訳でもないのに店長を呼ぶなんて。に、逃げようかな。コートを羽織ってはいるが、同じ中学校の制服を着ている。共犯だと思われたら最悪だ。
で、でも、あとで典子がスーパーに居合わせたことが知られて、なぜ助けてくれなかったのかとアカネに責められたら……。いや、アカネはそんなことは言わない。むしろ、森沢たちの方が怖い。
典子はそっと、雑誌の棚に近づいた。
あっ……、
ドサッ、ドサドサドサ!
コートの袖が、山積みの特売のクッキーの袋に引っかかった。雪崩を起こすように、クッキーが崩れる。
アカネとスーパーのおばさんがこっちを見た。ヤバイ! 典子の頭はパニックになった。その場から、逃げ出したい衝動を抑えられなかった。
「行こう!」
気が付くとアカネの腕をつかんで、典子はスーパーを飛び出していた。
「服部さん、服部さんったら……」
遠くの方から声が聞こえている。どのくらい走っただろうか。運動の苦手な典子は、息が上がってふらふらだ。一方、声の主はとても落ち着いている。ここはどこだろうか。
典子が辺りを見回すと、
「椿団地の裏の路地」
アカネが答えた。
「あっ、ごめん……」
典子はアカネの腕を離した。
アカネは鞄を両手で持ち直すと、ゆっくり歩き出した。典子も息を整えて、アカネの少し後ろを歩く。怒っているのかな? 万引きの犯人でもないのにまるで逃亡したようになってしまった。
「チョコレートの材料は買えた?」
「えっ? いや、まだ、その……」
急に話しかけられて、典子は戸惑った。
無難な言葉を探していると、
「私は数に入れてないでしょう?」
アカネはきっぱりと告げた。
典子はドキッとした。アカネを数に入れたくないと悩んでいたことが、バレたみたいだ。
「な、何を言ってるの。もちろん、脇本さんの分も、チョコレートを作るよ」
慌ててアカネにかけより、典子はつまずいた。アカネは左手一本で典子を支えると、
「私たち友だちじゃないでしょう?」
アカネは当然のことのように言った。
「それに、友チョコ交換っていうくらいだから、交換するのが前提でしょう? 私はチョコレートを持って行かないから、もらうのはおかしい。ヒナから聞いてない?」
典子は頭を横にふる。
「まったく、ヒナのやつ。ちゃんと、みんなに伝えてって言ったのに」
アカネは再び歩き出す。その足取りが乱れることはない。
典子はふらふらと続く。いろんな情報がいっぺんに飛び込んで、頭の中が混乱していた。私たちは友だちじゃないでしょう? そ、そんなことないよ、友だちだよ。
いつもの典子なら頬をひきつらせながらも、そう言っただろう。でも、アカネには社交辞令なんて通用しない。
典子にとってアカネは、放課後に遊んだこともない、秘密を相談したこともない、ただのクラスメイトだ。
でも、面と向かって友だちじゃないと言われるのは悲しい。アカネの言う友だちの定義は何だろう? アカネは森沢さんのことを、ヒナと名前で呼び捨てにした。二人はきっと友だちなのだ。典子には、呼び捨てにできる友だちはいない。
「服部さん、あなたはとてもいい人だと思うけど、気を使い過ぎだよ。他人に合わせ過ぎていると、自分がどっかにいっちゃうよ。自分がどっかにいっちゃった人に、心の友だちなんて出来ないよ。余計なお世話なら、ごめんね」
「心の友だち……」
「うん。自分のすべてをさらけだせる友だちかな」
次の角を曲がろうとするアカネの背中に、典子はかける言葉が見当たらなかった。
一匹狼のアカネにはちゃんと心の友だちがいた。立ち尽くす典子に冷たい風が吹きつける。どうしようもない心細さに襲われて、典子は唇をかみしめた。
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新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。