台風の夜の(寿命が縮まるような)出来事?!
2020年9月6日(日)超大型台風10号が九州に上陸した夜、ここの街も雨が降ったりやんだりして、時折強い風が吹き雷が鳴った。私は、台風に備えて次郎と一緒に日中に買い物を済ませていた。そして、ちょっとくたびれて夕方寝てしまった。
目を覚ました時には、すっかり日も暮れて暗くなっていた。20時半頃だったと思う。居間に行くと豆電球になっていた。居間にあったお菓子の箱が空いて食べた後があった。『ああ次郎、お腹が減ってお菓子を食べたんだ。悪いことをしたな。』とは思ったけれど、私が寝ていても起こしに来なかったことに感動もしていた。『寝かせてくれるようになったんだ。』後悔が一つあるとすれば、歯磨きをしてやらずに寝てしまったことだった。そう、次郎はお菓子を食べて、部屋の電気を消して、自室に行って寝ていると思った。私は次郎の歯磨きの心配はしたけれど、自室で寝ていると信じて疑わなかった。
それから、私は、風も強くなってきているし、停電になるかもしれないと米を炊いた。その間、寝ている次郎を起こさないように、物音を立てないように静かに過ごした。お腹を空かせた次郎がご飯の炊ける香りに起きてきませんように!と思いながら。そして、いつものように、楽しみにしているネット番組を見て、その番組の感想を友人とチャットでやりとりして、夜は更けていった。
深夜1:11 チャットをするために手にしているスマホが電話の着信を告げる。知らない電話番号だ。『こんな夜中に何事?』と思ったけれど、市内の電話番号だったので、とりあえず出てみた。「白岩さんの電話でよかったですか?」「はい」「こちら南警察署の○○と申します」『警察????』「次郎さんのことですが、北署から連絡がありまして、保護されているということです。」「え?いえ、なんかの間違いと思います。次郎は部屋で寝ています。」そう言いながら私は次郎の部屋にあわてて行く。あれ?居ない。えっ?・・・「あの、今、次郎の部屋に来たんですけど、居ないです。」「そうでしょ。次郎さん、こちらに連絡があって、○○競輪場の近くのスーパーに居たそうです。」なんでそんな所に次郎が居るんだろう?
○○競輪場はうちから15キロほど離れているし、行ったこともない。警察官は言った「お母さん、来る方法がないですよね。それなら、パトカーになりますけれど、次郎さんを迎えに行ってそちらに送りますから、電話に出られるようにしていてくださいね。住所はこちらでよいですか?では少し待っていてください。」住所を確認すると電話は切れた。その声はとても優しかった。私の動転しそうな気持を落ち着けてくれた。電話を切ってから、私はチャットの途中だった友人に、「今、びっくりすることがあってね・・・・」と事情を説明した。その話を聞かされた友人は私以上に驚き、心配してくれた。
次郎の帰りを待つ間、私は、お風呂にお湯を張った。おそらくずぶ濡れで冷えて帰ってくるだろう。冷えた体を温めてあげよう。そして、お腹が減っているはずだから、ご飯を炊いていてよかった。いや、それより、次郎が居ないことを知らなくてよかった。気づいたらどれほど心配し、どれほどの人を巻き込み、どれほど大騒ぎをしただろう?無事だったから言えることだけれど、知らぬが仏とはこのことだ。間抜けにもほどがある。けれど、気づいたところで、私に出来ることなどなにもない。南警察署から電話がかかる前に、私から捜索願いを出すことしか出来ないだろう。
こんな時の為にGPSがあるのだと思う。4年前の迷子の時には、GPSが役に立ってくれた。ことの顛末をアメブロに書いてある。
アメブロ 2016年1月22日「次郎 ひとりでバスに乗る?!」
この迷子ブログを書いてから、携帯にオプションで警備会社に来てもらうサービスがあることを教えてもらった。迷子になったら警備会社の警備員が駆け付けてくれるサービスだ。2年くらいはそのオプションに入っていた。次郎が持っていたGPS機能付き携帯は、親機にしかかからないボタンひとつの子機のようなものだった。ところが故障して機種変更した新しい携帯には110番と119番が削除できない設定になっていて、何かの拍子にかかってしまう。間違いで110番して「どうかなさいましたか?」と聞かれても、次郎には答えようがない。それでは迷惑がかかると携帯を解約して、同時に警備会社のオプションも解約した。
この迷子以降、表面上は平気な顔をしていた次郎だけれど、勝手にバスに乗って出かけることはしばらくなくなった。やはり怖かったんだと思う。そしてその後、友達と一緒にバスで出かけたり、いろんな経験を積んで、今ではひとりで駅までバスに乗って出かけて、間違わずにバスに乗って帰ってくることが出来るようになった。
GPS付き携帯を手放す時に思ったことは、電池が切れたら役に立たなくなる機械に頼るより、次郎が人を頼って助けてもらえるようになればいいなあ。ということだった。そして、小さな失敗を重ねて、成長してくれたらいいなあ。ということだった。
しかし、久しぶりの失敗は大きかった。深夜にしかも台風の接近している街を徘徊するなんて。もしかして、次郎はもうすっかり大きくなって、大人に見えるから、迷子には見えなくなったのだろうか?それとも、こんな夜に外に出ている大人が少なかったのだろうか?
静まり返った住宅に車の音がする。外を覗くと、パトカーが静かに来客用の駐車場に停まった。『あ、帰ってきた』。私は携帯を持って、外に飛び出した。それにしても、来客用の駐車場に誘導したのは次郎だろう。ここの住宅には、うるさいおじさんが居て、うちに来るヘルパーさんが駐車場のことで注意されたりしているから、次郎もとても気にするようになった。でも次郎は、パトカーが怖いものなしだと知らないのが可愛い。あのうるさいおじさんだって、パトカーに文句を言うわけがない。それと同時に、警察官が次郎の誘導をわかってくださっていることに安心する。次郎の言う「あー」や「うー」を右や左と理解してくださっていることが瞬時にわかって、会う前から胸をなでおろした。
出迎えた次郎は、いつもの次郎だった。私は「帰ってこれてよかったねー」と声を掛けた。そして、警察官に「連れて帰っていただいて、本当にありがとうございます。」とお礼を言った。次郎は予想していたようなずぶ濡れでもないし、泣いてもいなかった。私の顔を見て、言いたいことが山程ありそうだったけれど、ともかく、警察官に何度もお礼を言って、次郎と一緒に頭を下げてパトカーを見送る。
次郎は手にレジ袋に入れたカッパを持っていた。雨が強くなってコンビニで買ったらしかった。傘も新しいビニール傘を持っていた。だから、体が濡れていなかった。靴とズボンはぐちょぐちょだったけれど。手提げ袋からは、フライドポテトや、唐揚げがボロボロと出て来た。この頃は、消費税に加えてコロナの影響で、イートイン出来るコンビニもないからだろう。買ったものの食べずに持ち歩いていたらしかった。
その日は、『足が痛い』と言い興奮冷めやらぬ様子だったけれど、お風呂に入ってご飯を食べて、なんとか寝た。私は次郎が寝たあとに荷物をチェックした。次郎の足取りは、いつも持って帰ったレシートから推測するのだけれど、なぜかこの日のレシートはほとんどなかった。次郎がもしかしたら、証拠隠滅したのかもしれない。悪いことをしたという自覚があるのだろう。そうそう、私が帰ってきた次郎に、「怖かったでしょ?」と聞いたら、「ママ」と言って指で7を示した。『7時の門限に遅れてママに怒られるのが怖かった』と言っているらしかった。台風よりも、夜の闇よりも、ママが怖いって、どんだけ!と思いながらも、怖いものがいつもと同じでよかったと思った。
この日次郎の話からわかったことは、『7時の門限に間に合うように、慌ててタクシーに乗った』ということだった。行先も言えない次郎がタクシーに乗ったら、それはこうなってもしかたないと思った。なんともいやに長い一日になった。
次の日、次郎が療育手帳を持ってきて、住所を指さして『線で消して』という仕草をする。次郎の療育手帳には、住所と電話番号が載っているから、昨日は、警察から連絡をもらって帰ってくることが出来た。ところが、言われてよく見てみると、二つ住所が書いてある。5年前に引っ越しをする前の住所だ。半年ほど暮らした旧住所には、次郎はあまり馴染みがない。その旧住所を『消して』と言っている。それで私は「もしかして、タクシーの運転手さん、前の住所に行ったの?」と聞くと、「うん」と次郎は答える。私が「住所が二つ書いてあって、上と下だったら、下の住所が新しい住所だと思わないかなあ?印字とボールペンの字だったら、ボールペンの字が書き足した新しい住所と思わないかな?」と運転手さんを非難するようなことを言ったら、次郎は「ブブー」『運転手さん優しかったよ。前の住所を消してなかったから、間違えたんだよ。運転手さんは悪くない』と言った。
次郎は、タクシーで前の住所の近くに1,890円払って降りた。現在の住所とは駅を挟んで反対方向だ。その見知らぬ道で、次郎は『手持ちのお金も少なくなったし、歩くしかない』と反対方向に歩き続けたらしかった。夕方7時の門限に間に合おうとして、6時間後に発見されるまで。
6時間もの間、途中で出会った大人が声もかけてくれなかったのだろうか?雨の中歩いている次郎をだれも気にかけてくれなかったのだろうか?
『いやいや、第一私が気づいてもいなかっただろ!』と、自分にすべてはブーメランで返ってくる。けれど次郎は言う。『だれも悪くないよ。僕が悪かったんだよ』と。
実は私には言いたいことがまだある。今現在、コロナの所為で、日曜日の移動支援が中止になったままだ。もしも、移動支援でお出かけが出来ていれば、次郎がひとりで私が寝ている間に出かけようなんて思わなかっただろう。私も日中次郎と離れていれば、夕方疲れて寝入ってしまうこともなかっただろう。
次郎26歳、私57歳。26歳の次郎の好奇心と行動力と体力には、とうてい着いていけない。かと言って、社会参加を諦めさせるわけにはいかない。障がい者を障がい者たらしめている大きな問題は、圧倒的な経験不足なのだから。私と次郎は、経験を積むための文字通り命掛けの綱渡りをしてきた。
次郎がどれほどしっかりしているように見えても、次郎がどれほど明るく楽しそうに見えても、次郎の能力ではこんな出来事が起こることを、そして次郎は守られるべき存在だということを、この社会はわかってくれるだろうか?
「自助・共助・公助」とか言ってる人が、今度総理になるらしい。
書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。