「わたしのインターネット」よ、安らかに眠れ
先日、友人の澤山さん(Twitter:https://twitter.com/diceK_sawayama)がFacebookに「■さよなら「オレのTwitter」」と題した文章を投稿していた。それを見て、私は強く思うところがあり、このnoteを書いている。公開範囲が友人までのため、許可を得て引用すると、以下のようなものだ。
■さよなら「オレのTwitter」
Twitterについては仕事上必要なので続けるけど、以前のような愛着は徐々に持てなくなっている。これは木村花さんの事件がどうこうではなく、そもそも「アルゴリズムハック」の世界になっているため。
アルゴリズムを動かして、ユーザー属性を元に表示させる広告を最適化しなければTwitter社は経営を維持できない。アルゴリズムの導入は必須だった。
ただ、結果それによって「最適化されたタイムライン」が出現することになり、オプトアウト式で「最新のツイート」を表示しない限りはアルゴリズムによって「読むべきだと推薦されたツイート」がタイムラインに並ぶことになる。
問題は、それを知覚するユーザーが少ないこと。そもそも「最新のツイート」にするインセンティブ自体が小さい。多くの人にとって、投稿時間どおりにソートされることとアルゴリズムによって最適化されることの違いはピンとこない。
これは実は、『偶然目に飛び込んでくる投稿(セレンディピティ)』が『AIによって最適化された投稿』に変わっている。計算機の上での話なので奇妙な表現だが、「自然物」が「人工物」に差し替えられているわけなのです。
この違いはとても大きい。普段の自分の発言、いいね、リツイート、URLのクリック、フォロー、被フォロー、どのネットワークに属しているか等様々な要因からAIは「あなたにとってふさわしい投稿」を表示している。
自然に見えているタイムラインは、意図はともあれ操作されたものになっている。この違いは、恐らく、木村花さんに対する罵倒がエスカレートした要因の一つでもあると思う。罵倒する人の周囲は「罵倒すべきだ」という人が集まりやすい構造になっているはずなので。
以前は愛着を持っていたTwitterだが、残念ながら現在のTwitterは争いと分断を生む懸念が強いプラットフォームと言わざるを得ない。その中でアルゴリズムをハックしてエンゲージメントを獲得し、生き残っていく方向性もありだと思うし、ぶっちゃけ僕はそれに振り切ってめちゃくちゃエンゲージメント獲得してたのでたぶんできる。
でもそれが「やりたいこと」かと言われると、大変微妙だなと思う次第であります。てことで「さよなら、オレのTwitter」という表現になりました。
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Windows98が我が家に来た日のことを今でも覚えている。明るめの灰色のブラウン管のディスプレイと縦長の筐体。ダイヤルアップ接続のピポパという音。23時からのインターネット使い放題タイムが、私の時間だった。
私は小学校中学年だったか。父親がガジェット好きで我が家に来たパーソナルコンピュータだったが、瞬く間にインターネットの虜になった私がほぼ占領するような形になった。機能不全家庭に育ち、学校には居場所はなかった。どちらからも逃げ出したかったけど、生身で家庭の外で生活できると思えるほど自分に自信はなかったし、学校に行かなければ余計に家で嘲笑われる。幸い勉強はできたので、夜中にインターネットにのめり込んで現実を忘れ、日中は教室で机につっぷして眠る日々だった。先生方も対応に困っていただろうと思うので、今考えると申し訳ないことをした。
インターネットではお絵かき掲示板というものでイラストを書いたり、自分の見ている世界を人に見せることのできなさについて文章を書いたり、御多分に漏れずHTMLを書いたりした。そこでは「私」と暴力や罵倒ではない形で「会話」をしてくれる人が多数いて、それは間違いなく私の命を繋ぐ糸だった。私はマイノリティの世界としてのインターネットで、たぶん物心ついて初めて、安心して思ったことを話せる場所と出会った。
毎日、生きなければならない理由について考えていた。どうも祖父母は私を愛してくれたらしく、死にたくないという本能はきちんと機能していた。意識を眠らせて天寿を全うするその瞬間まで時間を早送りできたらどんなにいいかと、そんな夢想にふけっていた。それでも死ななかった。思い詰めて包丁を握りしめて明けた夜もあったけど、幸運なことに生き延びた。今思うと本当に全てが絶妙なバランスの綱渡りで、天の配剤に感謝するより他ない。
今、2020年、インターネットはwindows98が我が家に来た頃と比べると随分開かれたものになった。コロナを経験してその傾向はいよいよ加速していく。私はたぶん、私を生かしてくれたインターネットの世界で、時間の経過ともに再びマイノリティに移行することになるだろうと思う。それ自体はどう頑張ってもかけっこが速くならなかったのと同じように受け入れている。ただ、コロナがもう存在する世界でその境目に立ち会っているような気がするので、インターネット上に記念碑を一つ立てておくつもりになってこの記事を書いている。
今までありがとう、そしてさようなら。あなたのおかげでここまで生きてこれたよ。かつてそこにあった私のインターネット。
これはラブレターであり、追慕であり、追悼だ。そして、今包丁を握りしめて夜明けを待っている全ての人に、私のインターネットに代わる何がしかの居場所があらんことを無力ながら心から祈っている。