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『近しい人との関係性』 増谷彩×鈴木裕介ダイアローグセッション【Dialogue in the SHIP 2022 ~価値観の対話~②】

2022年12月10日、ヘルスケアコミュニティSHIPのイベント「Dialogue in the SHIP 2021 〜価値観の対話〜」が行われました。本記事では親や子ども、パートナーなど「近しい人との関係性」についての対話をレポートします。


Dialog in the SHIPは医療・介護・福祉業界で活躍するゲストの方々をお迎えし、トークセッションを通じて、さまざまな価値観に触れることのできるイベントです。4回目となる今回のテーマは「対話を通じて関係性を考える日」。人がいるところでは必ず生じる人と人との関係性について、4つの切り口から考えました。

プロフィール

●増谷彩(omniheal/おうちの診療所/医療ライター・編集者)

群馬工業高等専門学校から3年次編入した東京農工大学工学部生命工学科を卒業後、日経BPに入社。コンシューマーパソコン誌『日経パソコン』や医師向け雑誌『日経メディカル』の記者・編集者を経て、2020年10月から現職。omniheal社(東京都中野区)では、病院外の医療に寄与するプロダクトのコンサルティングに従事しつつ、在宅医療を主とするおうちの診療所の運営・広報として医療現場に立つ。日経BP Beyond Health『100年後をつくるケアと社会』連載中。

●鈴木裕介(秋葉原内科saveクリニック院長/心療内科医、産業医、公認心理師)

高知大学医学部卒。研修医時代に経験した近親者の不幸をきっかけに、メンタルヘルスをライフワークとする。高知県の地域医療に従事ののち、コンサルタントファームを経て現職。「人生のセーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした「秋葉原内科saveクリニック」を高知時代の仲間とともに開業し、代表を務める。こころと身体の不調とトラウマの関連性や、心理的・神経的な安心などについて日々実践的研究を深めている。著書に『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム社)など。ゲーム『スプラトゥーン』を心から愛し、通算プレイ時間は4000時間超。現環境では主にシャープマーカーを愛用し、ひたすらカニタンクを吐く。

自分の親との関係はどうしたら心地よくしていける?

増谷:今回はテーマが「近しい人との関係性」ということで、親やパートナー、子どもなど、いわゆる血縁と言われるような関係性について対話をしていければと思います。お相手は、プライベートでもお付き合いのあるゆうすけ先生です。

私は昨年、1人目の子どもが生まれて。ゆうすけ先生のところもお子さんが3人いらっしゃいますね。今日は自分の親との関係、パートナーとの関係、自分の子どもとの関係と、過去・現在・未来の関係性まで話していけたらと思っています。

近しい人との関係はおざなりにしがちだけど、人生の過ごしやすさにおいては非常に大事ですよね。人生の満足度に直結するかと思うので、これをどう居心地良くしていくかというところについて話していければと思うんですけども。

鈴木:フルアグリーですね。親しい人との関係性の質イコール人生の質だと思っているので、そこをどうがんばっていけるかということですよね。


増谷:実は私、自分が家族を一番大事にする日がくるとは、思っていなかったんですよ。

最近、職場のチームビルディングの時間に「人生のライフホイール」というワークをしたんですね。友人、仕事、お金、社会貢献など、いろいろな項目で何が大事なのか10点満点で点数をつけていくんですが、私がやってみたら、家族が10点で一番高得点になったんです。今まで家族は近くにいて当たり前で、プライベートの時間まで仕事をしてしまうタイプだったので、自分でもその結果にびっくりしました。今は、近しい人との関係性をいかに豊かにするか、意識しているところです。

鈴木:今日聞いていただいている人のなかには、そうやって順位をつけると人間関係があまり上位にこないという人はいると思うので、今の人間関係のなかで一番近しい人は誰だろうと思いながら聞いていただくといいかもしれませんね。

増谷:では、過去の家族との関係、今の家族との関係、これからの家族の関係という時系列で、まずは親との関係から話していきましょうか。親との関係性をどう心地よくするかという話から。

鈴木:いやぁ、難しいよ。

増谷:親ってできあがってる人間だから難しいですよね。

うちは母が厳しすぎる家庭で、子どもの頃は抑圧されるような感じがあったんですが、大学に編入して一人暮らしを始めてから、本来の自分の性格が出てきたように思っています。

今の親との関係は結構、気に入っているんですが、親との関係をいかに心地よくするかということにトライできるようになったのは、20歳代後半ぐらいからです。実家に住まなくなって、帰省したときに親の機嫌を損ねて「出ていって」と言われても、「分かった」と言えるようになった頃からですね。

子どもは親と小さな対決をくり返しながら親離れしていくものなのかなと思っているんですが、私の中で、印象的だった対決エピソードがあるんです。私の母は「それ、他人にも言える?」というような失礼なことを子どもには言うことがある人でした。私が社会人になって、東京で暮らす家を見にきたとき、「ウサギ小屋みたい」って言ったんですね。狭いと。

私自身は立地や予算なども含めて、色々考えた上で決めた家でした。それで、母に言ったんです。「せっかくここを気に入って、これから楽しく暮らそうと思ってるのに、そういうことを言われると嫌になるでしょ、他人に言わない失礼なことはもう私も大人なんだから言わないで」って。そう伝えられたことに自分では満足したし、親も確かにそうだと思ったみたいで、それから失礼な発言が減りました。

鈴木:健全なバウンダリー、境界線ですね。

親子関係がパートナーシップや友人関係のような他の親密な関係性と大きく違うところは、選べないということに加えて、背景が違うんですよね。まず権力差がめちゃくちゃあるし、知ってる世界が全く違う。親と自分の間にパワーの差がある状態をどこかで相対化して、自覚してもらうところから関係性がフェアになっていく旅が始まるんじゃないかなと思いますね。


増谷:相対化して自覚するのは、親も自分も共に?

鈴木:どうだろうね? いったん親のことはおいといて、私が、ってことにしましょうか。

親の方はそれまでの人生経験から、最大限の善意を持って子どもにいろいろ言うんですが、その助言が時代には合っていないこともあります。ただ、子ども側が、親の言ってることがおかしいかもしれない、と気付けるのはちょっと大人になってからですよね。

そこからが親との関係性を変えていく旅のスタートなんだけど、親の方は数十年のなかで得た生活行動パターンがあるから急に変わることはない。一方で、子どもの方は知っている世界が狭い分、親を前に「自分は無力だ」という感覚に陥ってしまいがちです。そして、それを引きずってしまうこともあるんですよね。

もちろん、子どもが親を選べないという現実はあって、親との差がどのぐらいあるのかは家庭によりけりです。関係性を変えていく難しさは親子によって違うけれども、親子関係を心地よくするというのは親との格差をどうフラットにしていくかという営みだと思うんですよね。

自分の経験を踏まえて、どう子どもと関係性をつくる?

増谷:親に対して、無力感をどのぐらい感じるかは育ち方によっても変わってくると思います。私は子どもにはできるだけ無力感を感じさせることはしたくないなと思っていたんですが、そんな時に読んだ本で「なるほど」と思ったことがあったんです。

それは「子どもに行動の指示をしない方がいい」というものです。

たとえば、部活でベンチを外れてしまった子に対して「がんばりなさい」という言葉をかけるのは、一見よさそうだけれど、実は行動を指示している言葉だというんです。ベンチに入れない子どもの悲しい気持ちに寄り添わず、「がんばる」という行動を指示してしまっている。理想的には、子どもが悲しみを味わうことに集中できる言葉をかけてあげるのがいいのだけれど、親自身が子どものつらそうな様子に耐えられなくて、発破をかけてしまうんですよね。

「がんばれ」という言葉は、子どもを勇気づけているようで、がんばらなくてはいけないという呪いにもなってしまうのだと読んだ時に、子育てはすべて忍耐なんだと思ったんです。余計なことをしない、親は手や言葉を出したくなってもできるだけ控える忍耐なんだって。


鈴木:植物でいったら適度な栄養と水と日光があればそれなりに伸びていくところを、子育てになった途端、天井をつくってみたり、支柱を立てたりちゃうんですよね。そうすると、自然に伸びない。

僕はカール・ロジャースという心理学者の考え方がすごく好きなんですが、人が自然に成長することをいかに邪魔しないかというのは大事なことですよね。親はつい「そんなことをしたら恥ずかしいでしょ」というけれど、恥ずかしいのは子どもではなく私なんです。その自覚がないから、つい余計なことを言ってしまう。

増谷:親も不安なんですよね。自分の子育てが間違っていないことを、他人に認めてほしい。だから、「いい子ですね」と言われると、自分の子育てが認められたようで、安心するんですよね。靴を揃えられた、お魚をきれいに食べられたといったことは分かりやすいから、「すばらしいお子さんですね」なんて褒められると、「あなたの子育てはすばらしいね」って言われたみたいで、うれしくなっちゃう。だから、つい子どもに「きれいに食べなさい」と行動を指示するような言葉をかけてしまう。

でも、それは親の不安からきているんだと気付いて、子どもにそういう言葉をふりかけないように、修行のように耐えないといけない。

鈴木:理想形から外れた行動をとっている子どもの親であることが耐え難いという感覚は、さらにその親からきていたりもするんですよね。

うちの子どもが上履きをよく忘れるんですよ。別に届けにいってもいいけど、本人はあまり気にしない性質で、靴下で過ごしていても困ってないんですよね。上履きがないと恥ずかしいなんて微塵も思ってない。自分ごとになってないことに対して、ああだこうだ指示されることは非常に「うざい」ことですよね。

僕の母親がわりと小うるさい感じだったんですよ。へルシーな家庭環境ですごく愛してもらってる自覚はありつつ、うるせえな、ぐらいの感じで。でも、それが一番ちょうどいいと思うんですよね。愛してもらってる自覚がありつつ、うるせえなっていう。

増谷:「ややうざい」ぐらいね(笑)

鈴木:僕は「親はああしろこうしろっていうけど、聞くわけないのにな」と思ってたんですよ。だから、自分が親になってからも、子どもに対しては、本当に大変なことをした時だけストレートを打てばいいという感覚なんです。だけど、妻は小言の手数が多い。僕の息子は僕と同じで、生活の基本的なことに対してあまり恥を感じないタイプなので、そんなやつの母親は大変だと思いますね(笑)

増谷:母親としては「子どもにこうあってほしい」という願いの前提として「幸せになってほしい」があるはずなんだけど、そこで目指す「幸せ」がふんわりしすぎてるから、手っ取り早く、他人に褒められるような具体的な行動に落とし込んでしまうっていうのはあると思うんですよね。

でも、たとえ相手が子どもであっても、そのふるまいを指示することは越権行為なんだと。それを忘れないようにしないといけないなと思っています。

鈴木:子どもは親より圧倒的に知っている世界が少ないから、危機回避のスキルはやっぱり親が教えないといけないけれど、放っておいても勝手に子どもの世界は広がっていくんですよね。本人が本当に必要としたものを必要とした時に与えるというのが理想的だとは思うんですけどね。

恋愛当初のドキドキが落ちついたパートナーとの関係性をどう育む?

鈴木:今、ちょうどうちの中学生がテスト期間なんです。ただ、マイルドな進学校に入っていて受験なしに高校に進学できるので、定期試験のために勉強するモチベーションがないんですよ。

自分とタイプが似ているから勉強法はアドバイスしようかと思っているけど、後は本人に任せておこうかなと思ってるんです。迷いながらもね。

対する妻は、もうちょっとコツコツやった方がいいんじゃないかというスタンスで。それがうまく習慣化できたら一番いいとは僕も思ってるけど、やっぱり気持ちがのらないと無理なんじゃないかなと思っていて、そういうのを話し合いながらやっていますね。僕と妻で方針が違うと子どもが混乱するから。

増谷:そこが難しいですよね。「子ども」という変数ができると、パートナーとの関係もより難しくなる気がします。大人2人ならズレがあってもどちらかが飲みこめばいいだけだけど、子どもの話になってくると簡単には飲めない部分も増えてきそうですよね。うちはまだ生まれたばかりなので、そういったすり合わせは未経験ですが、まずいきなりだと夫婦で話し合うことすら難しかったりするだろうし。

鈴木:そうですね、この辺でパートナーシップの話に入っていきましょうか。

子どもを前に生じるズレは、いいズレだよね。親子関係のように権力差がある時はそれがフラットになってくれば色々と対話できやすい関係になると思うし、関係性の質をあげる上ではパワーリテラシーって言えばいいのかな?どっちの権力が強いのかを理解できていると取り組みやすいと思います。

家族内でパワーバランスがあるのは嫌だけど、家族って政治的な集団で、クラスヒエラルキーよりよっぽどクリアな権力構造があると思うんですよ。親と子はもちろん圧倒的に親が強いけれど、パートナー間でもどっちが稼いでるとか、どっちが自由度が高いとか、逆に制約が多いとかいったところで、パワーが生じ得ますよね。

増谷:うちは表面上は母のパワーが強かったですね。私は過剰に怒りすぎるきらいがあった母のような接し方を、パートナーにも子どもにもしたくないと思っていて。母と同じようなことを自分が再現することを恐れているんですね。

今のところはどちらにも怒らずにこれているけど、たまにイラッとした時に反射的に嫌なことを考えてしまうんです。

すごく小さいことなんだけど、あるとき、夫が子どもに離乳食を食べさせたとき、お食事エプロンが洗面所にそのまま放っておかれていたことがありました。それを見て、自分のなかで瞬間的に『これ私が片付けろってこと!?離乳食食べさせるだけじゃなくて一連のこと全部やってくれないと、私の負荷減らないんだけど!』って思っちゃったんですね。

でも2秒後には『いや、子ども抱えて手や口を洗うとき、私でもすぐにはエプロン片付けられないわ』とか、『エプロンしまってる場所知らないのかも』って思い直して、「お食事エプロンはあそこにつるしておいてね」って普通に伝えただけで済みました。

ただ、洗面台に置かれたお食事エプロンを見た瞬間、一番嫌なパターンの発想をしちゃうところが、自分が見習いたくない部分の母の言動に似ているなと思って怖さを感じていて…。「お食事エプロンはお前が片付けておけよ」なんて、誰にも言われてないのに、被害者意識入っちゃって。まだとっさの考えは口から出さずに済んでいますけど。

鈴木:パートナーシップの安心な関係って、ズレがないことだと思いますよね?
価値観が合う人と結婚するといったようなことはよく言うし、最初はそれで合ってると思うんです。基本的な価値観が同じだと、伝えるストレスがかからない。

だけど、最近、夫婦の考えはズレることを前提で考えてた方がいいんじゃないかと思っているんです。ズレがないことが最も安心で完璧な関係だというのはお互いの期待値が高すぎるだろう、と。

それよりもズレがお互いの努力によって修正されていくという経験を積み重ねること、私たちはズレをお互いに修正していくことができるというのが本当の安心だと思うんですよ。

増谷:たしかに、「私たちはそのプロセスを経ることができる」っていう確信は、安心感につながると思います。どちらかがどちらかに合わせるのではなく、新たに答えを出すっていう。

鈴木:どっちかが苦労をしてつくろうのではなく、いろんなズレを一緒に乗り越えてきたなという経験と自信ですよね。

お互いにテーブルに出し合ってズレを認めて、しんどいながらも互いに譲歩をして、価値観が違うことに気持ち悪さを覚えつつ、それを腹にとどめて関係を維持していく。その積み重ねが信頼につながっていくんだと思います。結婚して14年、我が家は主に僕のせいでずれまくりだけどね(笑)

これ以上ズレていくと、この関係を維持できないなと感じると、怖いんですよ。関係が近ければ近いほど、根本的な価値観が違っていること自体が致命的なんです。

今の関係を変えたくないから波風が立たないようにしたいと思いつつ、がんばってお互いに違うよねと口に出すんです。そして話し合っているうちにどうにか承服できるレベルのズレになってくる。その繰り返しで、今は一番関係性がいいと思いますね。

付き合った当初のドキドキがなくなって、人間としての深い関わりに変わっていく時に、お互いに可変性があって相手と対話できる余地がある、色々なことを共に乗り越えてきたという経験は安心につながると思います。

夫婦関係は一発退場じゃないんだよね、それは本当にありがたいことだと思います。一発退場でよかったはずのこともいっぱいあったと思うけど(笑)

増谷:そう…ですね(笑)そういうプロセスを踏めているお二人を尊敬します。夫婦の形としていいなって。

鈴木:やっぱり価値観のズレが表面化するとキツいから、会社で言えば1on1みたいな仕組みを取り入れて、ちょっと聞きづらいことを聞いてみたり、モヤモヤしていることを共有してみたり、そういう質の高いコミュニケーションができたらいいですよね。

増谷:お互いにそういう意識があるといいですね。相手と自分は同じだと感じる時は相手が合わせてくれている可能性もあるし、同じであることが当たり前になってしまうと、不相応な怒りを相手に向けてしまう可能性がありますよね。

「何で、これをしてくれないの?!」という怒りはおそらく甘えで。他人に対してはそんなことを思わないはずなのに、パートナーに対しては近いからこそ、自分と同じことを期待してしまう。そこがパートナーシップならではの難しさですね。

鈴木:コミュニケーションコストが一切かからないというのはどちらかが無理をして合わせているか、もはやお互いがお互いに興味をなくして、夫婦の構造だけが残ってしまっているような状態ですよね。それはあまりに切ない。

増谷:せっかくの人生で、それはあまり豊かな関係とはいえないね。

ここで会場から、「お互いにズレていることが分かった時、夫婦の話し合いは気付いたその場でするんですか?それとも子どもが寝た後にゆっくり話をしたりするんでしょうか?」という質問が来ていますね。

鈴木:まず、子どもの前ではしないです。子どもはピリピリした雰囲気を敏感に感じとっちゃうから。どうやって相手と話す時間を捻出するのかという質問ですよね。その視点は大事ですね。

増谷:定期的に週1回、たとえば日曜日の夜は振り返って話をしようみたいな決めはいいかもです。子どもが大きくなって、もうちょっと忙しくなったら分からないけど。

鈴木:それはいいね、ズレていくことが前提になっているのがいいですよね。

増谷:後日まとめてシェアになると、「何かモヤモヤしたことがあったけど何だっけ?」ってなるから、どうしても相手に伝えたいことはメモしておいて。

鈴木:相手が持っている小さな違和感を尊重できるっていうのはいい関係ですよね。その辺は臨床とあまり変わらないように思います。怒りやネガティブな感情を出してくれることがありがたい。タイミングによっては受け止めきれないけど、最終的に「言ってくれてありがとう」と思えたらいいよね。

増谷:そこまでがんばって維持する関係はパートナーぐらいだと思えば、それを味わってみようというところもありますね。

鈴木:基本的に常にズレをはらんでいる関係がパートナーシップで、その価値観のズレとお互い向き合っていくのが誠実なパートナーシップ、なのかもしれないですね。

これから近しい人との関係性にどう向き合っていく?

鈴木:基本的にパートナーは普段お互いが属してるコミュニティが違うから、もともとズレてるし、現在進行形でズレていってるんですよね。そこに向き合おうとするとエネルギーが必要だけれど、パートナーシップは解消するのがそれ以上に大変で、だからこそ助かっている面もあります。リングのロープが高いから助かったね、みたいな。

これは常々思っていることなんですが、「こんなに理解し合えないなら、あなたのためにももうこの関係は終わらせよう」みたいなことを言う人がいますよね。だけど、自分が降りたいと思った時に言う「君のために離れよう」は、自分に甘く聞こえるんです。自分が関係を降りたいから降りる、という自覚は持った方がいいと思います。

増谷:「あなたのために」という聞こえのよい言葉だけれど、「あなたのせいで終わる」というような、他責に近い感じがありますね。

鈴木:パートナーと向き合うのがキツい時はあると思います。ただ、もうどうにもならない時も、相手のためではなく自分が降りたいから降りるんだという自覚はあった方がいい。

増谷:パートナーとの関係はあくまでも自分の人生をいかによくしていくかということの一貫で、相手のために身を引くというのは「ウソ」ということですかね?

鈴木:もちろん相手のために身を引くこともあり得るとは思うけど、そこに逃げの気持ちがないか、解消できない価値観のズレを前に、自分が耐えられないという思いがないかどうかは点検した方がいいですよね。自分が降りたいと思っているんだという自覚がないと、同じ失敗を繰り返してしまって、結局傷つくんです。自分も次の相手も。

増谷:近しい人との関係ではないけれど、人間関係リセットをする人が増えているという記事を見かけます。中学では中学、高校では高校というようにステージが変わるごとに、それまでの関係をリセットしてしまう人が増えているんだそうです。

でも、関係性をどうすれば改善できるかは一朝一夕にできることではないから、どんな関係でももうちょっと良くすることができないか、練習のような気持ちで、あがいてみた方がいいかもしれないですね。

鈴木:これは難しいんだけど、そもそも対人関係全般に対して信頼感は、人によって全然違いますよね。

たとえば、親が毎日ケンカしているような家庭環境で、人間関係そのものへの信頼が低い人だと、ちょっときつくなったらすぐリセットしたくなってしまうというのも当然だと思います。

それはその人にとっての生存戦略だから、リセットという選択自体は否定しないけど、その人自身が、自分が豊かになれるつながりを得る力、関係性をつくる力がなくなってるわけではないと思うので、そこはあきらめないでほしいですね。どの立場から言ってるんだって話だけど。

増谷:ここで、子どもとの関係について、もう少し深めていきたいんですが、私はやっぱり子どもに呪いを残したくない気持ちが強くあるんです。

さっきも少し触れたけれど、一般的に、良いと思われることも呪いになるんですよね。「幸せに生きてほしい」「好きなことをして生きてほしい」って、一般的にいいことだと思うんですが、それさえも「好きなことで生きなければダメである」というメッセージになってしまう。

親が願望を持つのはいいけれど、それを口に出して子どもに伝えると、いいことも悪いことも呪いになってしまうとある本で読んで、なんて難しいんだろうと思いました。「去られるためにそこにいる」という書籍で、タイトルは心理学者エルナ・ファーマン氏の論文「Mothers have to be there to be left」から取られているそうです。

鈴木:つらいよね、それは。子どもが去るために必要なことをしたいと思える親は少ないと思う。

増谷:子どもを去らせるだけでなく、何かあってくじけたら子どもが戻ってこられるように「安定してそこにいないといけない」んですよね。親が不安定で「私は不幸だ。自分をおいていくのか」と嘆くと、それこそ自立=ネガティブと思わせて自立を阻んでしまうと。本当に難しいなと思います。

鈴木:その、悩んでる感じがめっちゃいいですね。いいよね。

ドナルド・ウィニコットという人が「good enough parent」「good enough mother」ということを言ってるんですが、親は「good enough」で十分なんだよね。

言い換えると、すべての親は適度に残念。適度に残念か、めっちゃ残念な親しかいなくて。
僕は親父とはサラッとした関係で、かっこいいところは見せてくれたけど、ベストな関係だったとは思ってないし、母親はすごく愛してくれたけど、うるさかったなというところもあってベストではなかったかもしれない。でも、こんなふうに僕は自己肯定感高く育っていて、このぐらいであればいいと思うんです。

増谷:及第点、ほどほどの親がいいっていう考えですね。

鈴木:「good enough」がベストで、むしろ完璧な親は害(harm)だとも言われています。どうあるべきか、常に問いを抱えながらやっていくということでいいんですよね。

増谷:そうですよね。よくありたいと思っていても100%実行に移すのは無理だから、念頭におく、ぐらいしかできない。

鈴木:僕が親であることの悪影響は絶対出るし、何かしら子どもを呪ってしまうけど、呪いがあったからといって人生が閉じられているということはないと思うんですよ。

毒親家庭で育った人がすごいセンサーを持っていて、今はそれが生きづらさの源泉になっているけど、自分の課題と向き合ったときにヘルシーな家庭で育った人よりよっぽどすごいパワーを発揮するという例を、実際に診療所で見ています。

良くない親のもとで育つと人生の難易度は多少上がるけれど、子どもである自分にはそういうものを乗り越えていける可能性があると信じこんでいたらいいんじゃないかと思いますね。

増谷:最終的には子どもの乗り越え力、レジリエンスを信じるということで(笑)近しい人との関係は難しいけれども、自他の境界線を意識しつつがんばる。がんばり続ける、と。

鈴木:いい問いを与えられてるよね、そういう難しい人間関係って。

増谷:その問いにトライする人生でありたいですね。

鈴木:安易に権力をきかせずにね。権力を使って言い聞かせるのは簡単だけど、それはやばい道になるから。

増谷:それこそ、対話でですね。対話で関係性をつくっていく。

鈴木:めんどくさいんだけどね。本当ね。

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