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『天気の子』鑑賞後

 『天気の子』を見た。興奮が冷めやらぬ間にこれを書いている。
 私はこれまでアニメーションの映画があまり好きではないと思っていたが、そうではなかったようだ。
 風景描写がすごく好きだ。実写ではきっと表現することが難しいような光の色、透明の色使いが好きだった。きれいで、その場所が最も美しい瞬間を切り取ったような描写が散りばめられていて、見ていてわくわくした。透明な魚の描写は、オーロラめいた様々な光の反射の色味がアニメーションでしか表現できないように感じた。新海誠監督の映画、全部見て風景描写を確認したい。他だとどのように描かれているんだろうか。
 音楽も良かった。『君の名は』のサウンドトラックは大好きで音楽のみでよく聴いているのだが、『天気の子』の音楽もきれいだった。アニメーションとの親和力がすごい。
 内容は、というと、もちろんおもしろかった。が、ちょっと対社会という構造すぎないか?というのが正直なところ。どうやらボーイズミーツガール(という表現でよいのかもあまりわかっていないが)は中心が主人公の二人になるので、その二人が幸せになるために社会に反抗していくというものになりやすいらしい。この作品は、高校生くらいの頃に見ていればもっと崇拝していたものだったかも。きっと、こんな風に社会に逆らって生きていきたい、と感じていたと思う。
 中学生や高校生で、一人で行動できなくて、何も決められなくて、なんだかこれからのことを考えるのが嫌になったとき、様々な物を押し付けてくる社会が嫌いになったり、逃げだしたりしたいだろうな、と思う。そんなときに、なにか自分の人生をかけてもいいと思えるようなものに出会えたらな、と。みんなそんな風になにかたったひとつで大切な何かを探しているのかもしれない。私はそれを探すには大人になりすぎてしまったのかもしれないけれど。
 でも、やっぱりこの物語はフィクションで、そんな悶々としている人の希望にはなるだろうけれど、本質的な救いにはならない。この物語の中では主人公はヒロインを助けるために逮捕されている。背景情報がないからこそ可能で、失うものを持つ人たちはそうなるわけにはいかない。映画なら、フィクションなら、自分が世界の中心で、幸せだったらハッピーエンドだけれど、実際はそうもいかなくて、エンドロールはいつまでも見えてこない。
 現実を見ることに飽き飽きしているけれど、見ないわけにもいかないので難しい。つまらないならおもしろいことをしたほうが良い。私は暇なのかもしれない。そして、漠然と将来に向けて不安を持っている。だから、この映画の内容を自分ごとのように受け止めてみてわくわくするけれど、実際の私にはできなくて少し悔しく思っているのかもしれない。

 最近、久々に物語を摂取できるタイミングが来ている。ここのところ、2週間おきくらいに、物作り、撮影、物語と来ている。せっかくだから、このタイミングで小説や映画をいくつも見ようかな。部屋を暗くして映画を見るとかなり楽しい。お菓子を用意して、また明日も何か見よう。

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