無思想町徘徊紙・Pしんぶん その8
荒川土手に行きましょう
どこぞの街を歩いてた時、ふと通り過ぎたバスの行く先表示板に「荒川土手」という魅惑の四文字を見て、これは行かねばならぬ、乗らねばならぬと思い立ったら東京駅丸の内側北口停留所。午後になれば一時間に一本あるやなしやの貴重路線の人となり、数人の始発客を乗せてオフィス街をゆるり走り出す。
大手町から神田橋を渡って錦町と進めば、会社員を主として意外と乗客は増え始め、駿河台を登って御茶ノ水橋に着くと吊り革客も多数となり、こんなに人気なら増便すりゃいいのにと、混み合う車内を代表して心の中でシュプレヒコール虚しく順天堂を舐めて本郷通りに突入し、一階はともかく二階以上は美しきエチソウビルの復興建築を垣間見、赤門が正門じゃない東大の優雅な佇まいに舌打ち、本駒込兆徳の行列に絶品焼売を思い出し、巨大布袋様脇に眠る談志さんに手を合わせ、駒込病院動坂下から上り詰めての田端駅。だるまや食堂のラーメンもいいよなと坂を降り、尾久を抜けて小台で都電の線路を跨げば、風景は一気に変わりゆく。
小台橋で隅田川に別れを告げて、都立高を回り込み、宮城都営住宅手前からの一本道の行く手には巨大橋の姿が見えてくる。さてはいよいよラスボス荒川だなと思いの外、バスが江北橋を渡る頃には乗客もめっきり減って、対岸を左折すれば高速道路の高架下、取り付く島のない荒川土手バス停で強制下車の、都バス東四十三小一時間の旅の終着点。
土手に上がっても川と高速道路と橋のみ。踵返して町に入れば、ほぼジャングルの家が出迎え、間近の操車場からひっきりなしに出入りするバスの人気振りに驚き、だからといってまたバスで戻る気はさらさらなく、団地や畑の隙間を通り舎人ライナー高野駅に一目散。荒川土手は今日も上天気。
パンからペンを目指す
ジェットベイカーで高加水パンランチを美味いビールと共に食べていて、そうだ、富士見湯でペンギンステッカーを買おうと思いましてね、新川から戸越までどの位かかるか分からないけど、まぁご機嫌で歩き始めた訳ですよ。
眼の前の新亀島橋を渡って、茅場町から八丁堀の八重洲大通り、アーティゾン美術館を左折して中央通りへ。勝手知ったる京橋から毎度お馴染み銀座に入れば、世界中の観光客がどっさり歩いてます。工事中や空き店多き街で、見る度に小さくなる三愛ビルと完全閉店した銀座コアが寂しさを増幅する銀座八丁です。
中央通りも新橋に入ると第一京浜と改名し、大雑把な幹線道路は詰まらないので、ガードを潜ってちょい裏辺りを進みます。新虎通りを横切って、鹽竈神社も通り過ぎ、さてどん詰まりは赤十字。
最寄りの横断歩道を渡ると、芝神明の商店街。石段下から大神宮様に一礼して、大門横目にそのまま細道に入り、尾崎紅葉生誕地に祀られた小さな御稲荷様にも一礼し、仕方なく第一京浜に出てしばし、金杉橋屋形船越しの京浜東北線を眺め、芝浜地区再開発で引っ越しを余儀なくされた水稲荷も一礼します。
田町駅手前で今度は三田の商店街に入り込み、大通りで我らが東京タワーを愛で、秋色最中の手前を曲がって聖坂をずんずん登ります。もう長いんだから。どうせ松島屋の大福は売切れだし。二本榎の美しき消防署を横目に、更に美しきY字路を右に舵を取って歩くと桜田通りの下り坂、地面師詐欺で名を馳せた五反田まで来ました。
蛻の殻のTOCに今生の別れを告げて、高速道路の高架沿いにゆるゆる、大通りを下れば遂に戸越銀座商店街に到着です。一瞬商店街に入ってすぐ左折、さぁ最後の仕上げのなが~い登り坂。戸越駅も通り過ぎて大通りも渡って、住宅街の一角に目指す富士見湯が~っ!もうビールの酔いも醒めちゃいましたよぉ。
いやはや長旅でありました。綺麗な湯船でのんびり疲れを癒やし、思う存分ペンギンステッカーも買い、パンからペンの道を無事踏破です。さぁどこで仕上げます?そりゃあんた、神田まつやでしょ! 勿論地下鉄でね。
今日も銀座に行かなくちゃ
つい昭和通りの向こう側を歩いちゃうんですよね。銀座通りの華やかな余韻があの広い道で遮断されるような気がします。でもね、晴海通りから先はまた空気が違う。演舞場や料亭はあるけど、ちょっと無表情な建物が多い気がします。料亭だって昼間は無表情ですしね。
やっぱり四丁目までですよ。この頃はマンションも増えたけど、それも含めて人の気配が感じられます。年季の入った戸建住宅も戦前の建物も頑張っているんですから、街としての落ち着きも感じる銀座です。
京橋と銀座一丁目を分ける高速道路下の昭和通り沿いにあるトイレの周辺にはちょっとした休憩スペースがあって、今頃は界隈ではあまり見掛けない種類の紫陽花が咲き誇るんですが、この場所の名称は白魚橋公衆便所って言うんですよ。この一本裏の道の高架下にある駐車場は、確か今でも白魚橋駐車場っていう名前だと思います。きっと白魚が採る綺麗な川だった時代があっったんでしょうね。
この白魚橋駐車場の前を走る道が木挽町本通り。素敵じゃありませんか、木挽町。いかにも歌舞伎座がありますって思わせますもん。そういえば高速道路に寄り添う建物は、昔は京橋会館でしたね。プールもあったと思います。その隣には京橋公園があって、午前中は近所の保育園の子たちがどっさり、天気の良いお昼時はお弁当を食べる人々がやって来ます。ちょっと前まで関東大震災後の復興事業で造られた滑り台も残ってた、貴重な憩いの場所なんです。
「鼻高々の季節になりましたね」と笑顔でやってきたバーKのマスター鐘ヶ淵さんは、線路沿いの紫陽花を指差す。「今年はイマイチですいません」、「綺麗に咲いてますよ」、「昨年剪定に失敗したので、花がつかない木が多くて…」、素人が育ててるので、毎年ばらつきがある。「きっと来年は咲きますよ」。
「大塚も外国人観光客が多いですね」、「元々ビジネスホテルが多いし、民泊やホステルの数は把握できませんからねぇ」「大きなプラント建設会社があったせいでしょうかね」、「大塚は交通の便がいいし、池袋よりは安いし静かで安全ですから」、「小さな居酒屋や小料理屋、スナックが多かったのも、その辺が要因でしょう」。プラント会社の移転と共に閉店した店も少なくない。
「風俗店やラブホテルの多さも関係してるんですかね?」、「そこまでは分からないけど、そのラブホテルも今では観光客利用が多いそうです」、「謎めいた入口前で自撮りする外国人、時々見掛けます」、「こんな時代が来るとはねぇ、長生きはするもんです」。
そういえば今ペンギン堂があるビルの都電通り沿いも、小さな飲み屋さんが軒を連ねていた。大通り側は郵便局や時計店、和菓子店に中華屋と昼間の店が並び、裏側は夜の店が並んで、小さな一角ながら、町の一日を象徴する風景だった。
「その最後の砦が床屋さんとアナタの店ってことですね」、「代替わりしたけど、床屋さんはうちよりずっと先輩です」、「結局変わらないのは都電だけですね」、「変えようがないから残っただけかも知れません」。大塚の激変はまだ続く。
編集後記の・ようなもの
この号届く頃には、高田文夫先生のオールアバウト本がそろそろ発売かと思います。僕は散歩会の案内役として、十年ご一緒してる縁もあって、数ページ書いていますんで、よろしかったら是非読んでみて下さいませ。
『月刊Takada』飛鳥新社刊。よろしくです!
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