【食紀行:ストーリーを求めて旅に出た③】長野・信濃大町 創舎 わちがい
通りすがりの一見さんも、馴染みのある常連さんも、誰もが良い気に触れられるお食事処、というのはなかなか珍しいように思いますが、本日紹介する“創舎 わちがい”は北アルプスの育む大自然の恵みと歴史をありのまま享受できる、大変稀有な場所である。
西部には標高3,000mの北アルプス、東部には標高1,000m近い山々が連なり、安曇野市や白馬村に隣接する長野県大町市。かつては新潟から海の幸を届ける“塩の道 千国街道”の通る宿場町として栄えた地域だが、その中心地の商店街に代々その地の大庄屋を務めた栗林家のお屋敷がある。明治時代からの造りをそのまま残し、お食事処&カフェ・ギャラリーとして2005年に誕生したのが、“創舎 わちがい”だ。
きっかけは北アルプスの一峰・唐松岳(2,696m)への登頂だった。山小屋に一泊し下山後、温泉に浸かり疲れと汗をスッキリと流したところで、「丁寧に作られたご飯が食べたい」とメンバーの全員一致で即決した“わちがい”。本来は電話にて要予約とのことだが、その日は幸運にも空きがあり、席を用意していただけた。
突然の来訪にも関わらず、快く迎え入れて下さったスタッフさんに感謝の意を述べつつ、一番手前の部屋へと足を運ぶ。丁寧に手入れが行き届いている畳を一歩一歩踏みしめ進むと、中心には重厚な木製テーブルと椅子が並び、隣の部屋と隔てられた襖の手前には、“創舎 わちがい”、栗林家の紹介記事などが並んでいる。
地元の新聞やメディアなどで取り上げられているだけでは勿体無いと感じるほど、建物やしつらえられた家具からは、重ねた歴史が醸し出す気品を感じたが、それらの記事によるとどうやらここを訪れるのは私たちのような観光客だけでなく、地元の方の冠婚葬祭にまつわる行事などのハレとケの際にも多くの人が訪れる、とっておきの場所のようだ。
通りすがりの私たちのアンテナにもまっさきにかかったお店なわけだが、それも納得。“創舎 わちがい”は、人々が行き交い、様々な情を積み重ねてきた場所特有の、厳かさをはらんでいる。
そんな歴史に思いを馳せていると、銘々が注文した膳の小鉢が運ばれてきた。私が頼んだのは「大町銀嶺豚丼膳(塩)」。つい数時間前に歩いてきた北アルプスの雪渓を思い起こすネーミングの豚丼なら、食べる以外の選択肢は皆無だ。炙り信州サーモン丼や、わちがいオリジナルの長野県産小麦100%使用の細麺「ざざ」なども同様に魅力的だったが…。
地元産のとれたて野菜のサラダに、雪の下で寝かせ甘さを引き出した人参から作ったジュレが添えられているという、シンプルだが心くばりのある鉢に私は感動した。素朴さの中にはこれ以上ない粋な計らいが垣間見えるではないか。
次いでそれぞれの丼や麺が運ばれてきた時には、感嘆のため息が5人分漏れる。彩り鮮やかな信州サーモンの橙色に惚れ、銀嶺豚の肉質のきめ細やかさにうっとりする。
一口食べれば丹精込めて作られた繊細な味わいに益々、“わちがい”ファン心が広がるというものだ。さて、それぞれが言葉を忘れるほど夢中になり、箸を運ぶ様子をここでお伝えできたらよかったのだが…。
心許ない足場の中、強い風が吹き荒び、息が上がろうと歩みを続け己を酷使し、既に筋肉痛を両足に感じ始めているというのに、眼福だけならず舌ざわり、味ともに満点のお料理をいただきながら、古民家独特の静けさに耳をすます。
フルに研ぎすまし、また刺激しきった五感をなだめるかのような優しい包容力のある“わちがい”の全てに、ただただ感謝をするとともに、自分自身の中に育まれた豊かさを再確認する時間であった。
来訪からあっという間に2ヶ月半が経ったが、思い出す度に感じるのは、膳の隅から隅までに感じた深い慈愛だ。次は親しい友人・知人と連れ立ち、丁寧に作られたご飯をいただきながらじっくりと語らいたい。
余談だが、“わちがい”のある商店街には、本通りを挟んで水源の異なる2つの湧水、「男水」と「女水」がある。試しにボトルに汲み持ち帰り、翌朝にコーヒーを淹れたところ、普段よりもしっかりと、コクと深みが舌に残る味わい深い一杯になった。
こんな風に、その土地の水で淹れたコーヒーを自宅で楽しむのもまた一興。旅先で出会ったものを味わい尽くすだけではない、自身の欲深さにも驚くのだった。