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"大丈夫"という名の、もう一つの視点。

2024.4.20

昨日のどんよりとした気持ちから、少しだけ抜けたような気がした朝。外はあいかわらずくもり空だけれども、調子は悪いわけではなくてホッとする。

朝ごはんをしっかり食べて、今日はおにぎりと水筒に入れたお茶をもって準備万端で家を出た。

30分ほど歩きながら、なぜだか夫の顔が思い浮かんだ。

私はというと、昔からずっとこわがりで、今もいろいろなことがこわくてびくびくしていたりする。細かいことが気になって、そわそわしてしまうことも、この歳でもまだまだある。

対して夫は、繊細な部分を持ち合わせてはいるものの、どっしりとかまえて、物怖じせず意見を言えることができて、わからないことはわからないと言えて、自分のコントロールがおよぼないことに対して深入りしない。いつも堂々としている(ように見える)。

夫のそういう姿勢や態度が、少しうらやましく思う気持ちもあるけれど、同時にいつもありがたいなとも思っている。

「あんなこと言わなくてもよかったな」「失礼なことしてしまってるな」などと思ったり、先のことをあれこれと想像しては心配になったり。日々落ち込むことも多く、不安そうにしている私に、

「大丈夫」と、夫は言う。

何が「大丈夫」なのかさっぱりわからないし、こっちはこんなにもいろいろなことが気になって仕方がないというのに、そんな一言で片づけられてもなぁ...と感じつつも、夫に言われるとなぜか大丈夫な気もしてくるから不思議だ。

ひとりで過ごしていたら、地面にめりこむぐらいどこまでも落ちてしまうだろうなということも、そこまではいかなくとも上がってこられるようになったのは、ここ数年にわたって夫がいつも「大丈夫」と言ってくれることが薬となって効いているからだろうなと思う。

それに加えて、「栞さんのサポーターなんだから」と言葉にして支えてくれる夫に、感謝の気持ちを忘れずにいたいし、自分ができることでお返ししていきたいと常々考えている。食いしんぼうなので、おいしいごはんでもたーんと作ってさしあげようか。

暮らしていくなかで、自分以外の視点がはいることが昔はほんとうに考えられなかったのだけれど、ちがう角度からも見られるようになった今は、あの時見ていた景色よりもずっと色鮮やかだ。

などとぼんやりと頭の中でめぐらせながら歩いていたら、行きつけのカフェについてしまった。

今日は昨日より気持ちがしゃっきりとしている。さぁ、やるぞ。意気込みだけは十分だ。

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