入社式

大好きな会社を2年ちょっとで辞めた話


みなさんお元気ですか、坂本です。

初めてのnoteの投稿で緊張しています。嘘です。

さて、わたしは1月末に、新卒で入社し、
2年ほど働いていた大好きな会社を辞めました。

仕事も、一緒に働いている仲間も、面白くて大好きで。
それでも離れる決断をしたこと。

それがようやく言葉になってきたので、
自戒の念も込めて、書いてみたいと思います。

==小見出し的な==
転職を考え始めた日。
守るべきものができたとき、きっとわたしは
いまなにしてるのさ
ぴんときたものは、結局

===

転職を考え始めた日。

ちょうど1年前のゴールデンウィーク、わたしは1人で
生まれて初めて(というか、最初で最後かもしれない)
ヒッチハイクをしていました。

原因の分からぬ突発性難聴から徐々に立ち直っているところで
体も心もなんとなく調子が悪く、
たくさんの見知らぬひとと触れ合って、
新しい風を取り込んでみるのがいい気がするなあ。

お金はそんなにないけど、時間はある。
大阪に行く用事もちょうどあるし、ヒッチハイクでもしてみるか。

そんな軽い考えで、行き先を書いた画用紙を持って道路に立っているとき、
膝が震えていたことはいまでも覚えています。
(きっと、ひとを信じるというのが、怖かった。)
(むしろ、助けてもらえる人間だと自分を信じるのが、怖かったのかも。)

そんなこんなで、無事東京に舞い戻り、
ゴールデンウィーク明け初めての出社。

会社の先輩が興味を持ってヒッチハイクの話を聞いてくれて、
あれが楽しかった、こんなことがあった、と話していたとき。

「俺も、ヒッチハイクとかやってみたいなあ」
「え、やったらいいじゃないですか。」
「いやあ、もうすぐ結婚式あるしさ、◯◯(恋人の名前)もいるしさ」

いや、そっすよね〜。
と流した一言だったのだけれど、
それが転職を考え始めたきっかけでした。

(あの、くれぐれも先輩のせいではないことはご理解ください…笑)

===

守るべきものができたとき、きっとわたしは

例えば、わたしにパートナーが出来て、子どもが産まれたとして。
(この例えに対してツッコミをしたい気持ちは分かる。とても分かる。)

どうしてもしたい仕事があったとしても、
お給料が低くなるならやめておこう、とか。
あるいは、そのタイミングではもう、
わたしはわたしのやりたいことを考えるのを、やめているかもしれない。

お給料は低くなっても、他のことで稼げばいいやとか、
したい仕事で稼げるようにすればいいとか、
母である前に人なんやでえ!好きなことしいや!(急な関西弁)とか、
そもそもの思考を変えていくことも、もちろんできるでしょう。

でもわたしは、きっと守るべきものが出来たとき、
いろんなやりたいことを、リスクやパワーがどれくらい必要か、
現実的に考えて、できないという箱に入れてしまう。

もう、いましかない。
やりたいことがあったとき、何も考えず無邪気に飛び込めるのは
何も守るもののない、いましかない。

そうして、積極的に外の世界に触れる日々が始まりました。

===

いまなにしてるのさ

いまわたしは、熊本県立甲佐高校で
公営塾のスタッフをしています。

塾生との面談や、個別指導の授業やその準備といった
いわゆる塾講師のお仕事から、
自分の価値観を探ったり、やりたいことを見つけたりするための
ワークショップの企画・実行、
あるいは、高校の生徒数を増やすために、
もっと公営塾の教育内容を魅力的にするための施策の検討まで。
日々、あくせくしながら、幅広い仕事に
悩みながら楽しくチャレンジしているところです。

9月、日本仕事百貨のサイトで見つけて、
やりたいと思って、そのまま勢いで決めて飛び込んで。

ここに来てよかったと思えるくらい
もっともっと励まねば。結果を出さねば。
そんな気持ちでいる熊本生活3ヶ月目です。

===

ぴんときたものは、結局

なぜ、この仕事を選んだかといえば、
社会人生活2年で気づいた
わたしが働くうえで大切にしたい(可能性が高い)ことについて
本当に大切にしたいのか、仮説検証してみたいと思ったから。
そしてその仮説検証ができそうな仕事だったから、だと思います。

仮説検証してみたかったことは2点。

ひとつめ。
わたしは仕事をするうえで、
「どんな世界を創りたいのか」だけではなく。
「どういう手段でその世界を創るか」が重要な可能性が高いこと。

わたしは、うつ病を患ったという経験があり、
もう死にたいと思うことはなくなったものの、
・苦しいと思っているひとを1人でも減らしたい
・そういう状態にならなくてもよい仕組みを作りたい
・1人ひとりに寄り添い、受容できる人間でありたい
など、わたしの価値観に未だに強い影響を及ぼしています。

会社のミッションとわたしの考えは一致していた一方で、
目の前の仕事で、いま苦しんでいるひとを助けられていると
信じ切ることはできなかった。

どんな世界をつくるのか、というミッションだけでなく、
どんな手段で、だれの何をどう解決できるのかということが
目の前の仕事からより明確にイメージできる方が、
わたしにとって重要だと思ったのです。

ふたつめ。
いざというときに実家の福岡に帰りやすい地域か、
東京で働いたとしても、帰りやすいような
時間かお金の融通が利く仕事がよいこと。

これは、入社してすぐの2016年4月、
熊本地震が発生したことで気づいたことです。

わたしの実家は福岡にあり、熊本には祖父母が住んでいます。
祖父母の命に別状はなかったものの、震災の被害により、
避難による環境の変化で祖父の認知症や体調が悪化してしまったり、
壁面にヒビの入ってしまった家の修復や農場の片付けが必要だったりと、
サポートの必要な状況で、わたしは動けなかった。

遠くから祈りを捧げるだけでは、心苦しい。
その心苦しさから逃れるための、自分のエゴだったとしても、
距離が九州に近い場所、
あるいは、時間やお金というコストの面で九州と近くいられる仕事で
働きたいと思うようになりました。

===

というわけで

大きな決断をしたね、とかよくリスクをとったね、と言われるのですが、
あまりその意味はわかっておらず…。笑

レストランでメニュー見て、選んで、注文した、と変わらぬ、
ただ、自分の気持ちに沿って選択をしたということくらいに思っています。

たしかにお給料は減るし、ボーナスも無いし、とかはあっても、
自分で稼げるようになればいい。
友だちや仲間、大切な人々と離れるのは悲しいけど
いまの時代SNSもあるし、つらければ会いに行けばいい。

守るものもないわたしには、
ぴんときたものに飛び込まない理由を探すほうが難しい。

飛び込んだあとで、できるように試行錯誤するほうが大事だって
いろんなひとが言ってるし、わたしもそう思うし。

とはいえ、いま熊本で、日々、高校生と戯れているわけですが、
(仕事しろ)(いや仕事はしてる)(仕事もしてる)
結局のところ、目の前に大切にしたいひとがいて、やりたいことがあると、
自分のやりたかった仮説検証なんて忘れてしまうのが実際のところです。

任期最長3年と期限が決められた仕事なので、
とにかく、生徒、学校、役場、町、全体の夢実現のため
走りたいと思います。

そしたらその先に、何かある、かもしれない。
見守ってくれると嬉しいです。

みんなしあわせにな!!!


いいなと思ったら応援しよう!

坂本 紫織
わたしが楽しく書いているだけ、と思っちゃうので、サポートしてくださって嬉しいです!!!うわーい!