坂本 紫織

熊本県立甲佐高校で公営塾の設置や教育の魅力化に取り組んでいました(2018.2〜2020.3)。 スピッツと、プロ野球観戦と、料理、パンを食べたり焼いたりすることが好きです。 生き方や在り方を一緒に模索するキャリア教育を中心に、ファシリテーションやグラレコ、研修もやったりします。

坂本 紫織

熊本県立甲佐高校で公営塾の設置や教育の魅力化に取り組んでいました(2018.2〜2020.3)。 スピッツと、プロ野球観戦と、料理、パンを食べたり焼いたりすることが好きです。 生き方や在り方を一緒に模索するキャリア教育を中心に、ファシリテーションやグラレコ、研修もやったりします。

最近の記事

被災地域の子ども支援で感じた大事にしたいスタンスとスキル

令和2年7月熊本豪雨。7月4日から降り続けた雨により、甚大な被害がありました。もう1年以上前のことですが、まだ1年しか経っていない、とも感じています。 わたしは発災2日後である7月6日より現地入りし、10月末まで支援活動を行っていました。ありがたいことに有償で、生活環境も他のボランティアの方々と比べればおそらく整っている場所で、優しく逞しい仲間とともに過ごしていました。ただ、未だに記憶が胸を締め付けるものとして甦ることもあり、自分の快復も兼ねて文章に認めたいと思います。

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    • 髪を切った、誰かにあげた。それはどこまでも与える人だからではなくすべて私のためだ。

      2020年10月、4年伸ばしていた髪を切った。 傷んだ毛先だけ切り、手入れがしやすいよう少しだけ梳いて、と数ヶ月に一度は美容室に行っていたが、それでもそれは腰のあたりにまで伸びていた。 『ヘアドネーションしようと思ったのってなにかきっかけでもあるんですか?』 「いやあ、もう気づいたらって感じですよ。もはや伸ばすことといつか切ることを決めてるだけで、何も考えてないっていうか。」 『へえ。そんな感じなんですかあ?でも、楽しみですね。』 「楽しみですねえ!」 『みんな驚く

      • 思い出す教師の言葉と、格差というやつと

        「坂本さんな、福岡と大阪じゃ情報のスピードが10倍ちゃう。ほんで、大阪と東京じゃまた情報のスピードが10倍ちゃう。」 埼玉出身でありながら、どういった経緯か、福岡にいる。にも関わらず、これまたどういった経緯か、関西弁で話す不思議な化学の先生の言葉を、これまでの人生、幾度となく思い出している。 私から言えることはそれだけや。最終的には坂本さんが自分で決めたらええ。そう続けてくれたことも、もう10年前の記憶のはずなのにしっかり覚えているのは、合格した大学のうち最終的に東京と大

        • ファシリテーションスキルの身につけ方

          みなさんお元気ですか、坂本です。 背中バキバキになってませんか?わたしは最近、背中のバキバキを和らげようと体幹トレーニングを始めてみました。いつまで続くかな。 ということで、今回は「ファシリテーションの学び方」について書いてみようと思います。 わたしは、会議やワークショップの設計や進行、人材研修や高校・大学での授業のプランニングや運営といった、いわゆる「人材」「教育」「コンサルティング」の領域にあたる仕事をしています。 そこでは「ファシリテーター」という役割を担うことも

          全国模試1位になって湧いた怒りについて

          こんにちは。 みなさんお元気ですか、坂本です。 熊本に来て2年とすこし。 公立高校の中に塾を設置し運営するという不思議な仕事を始めて2年とすこし。 この2年間で、生徒と一緒に学びながら日々を過ごし、ずっと忘れていた、高校のころの出来事を思い出したので、つらつら書きたいと思います。 勉強をするきっかけなんてそんなもんだった高校に進学したわたしは、部活にも入らず、 といって、なにかやりたいことがあるわけではなく、家族も苦手で家にもいたくなく、 いまとなってはどうやって過ごし

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          生きた生かされた泣いた笑った

          2019年も生きた。 365日、すべて自分の意志で生きたわけではなく、そういう日のほうが少なかったかもしれない。 2019年も生かされた。 明日が来ることを、祝福と感じる日もあるし、呪いだと感じる日もある。 目が覚めて安心する日も、泣きながら悲しい気持ちいっぱいで目覚める日も、ある。 ひとの優しさが温かくてたまらない日も、きれいごと言ってんじゃねーよとキレている日もある。 2020年は、台湾で迎えた。 年を越す瞬間に見たのは、台北101という高層タワーから、ぶっ

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          会議設計のキホン。vision作成アナザーストーリー

          みなさんこんにちは、坂本です。 今回は、前職の先輩、佐藤さんによるvision作成のプロセスの公開を受け、 Visionを作成するために行った会議を どのように設計し運営したのかについて公開したいと思います。 なお、本記事の構成については、佐藤さんの記事を 一部オマージュさせていただきました(笑) 全員の意志を取り込んだり、意見を組み上げたりする会議をどのように行うかという点において、なにか役に立てるのではないかと思い、書きました。 (会議という単語を使いつつも、ワークシ

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          カタリバ原稿「死にたかったわたしのこと」

          みなさんお元気ですか、坂本です。 先日3月19日、NPO法人カタリバさんが 熊本県立甲佐高校でカタリ場のプログラムを 行ってくださりました。 「カタリ場」とは、高校生の意欲を引き出すことを目指したキャリア学習プログラムで、“ナナメの関係”にあたる学生や社会人との対話を通して、高校生の心に火を灯す活動です。詳しくは公式サイトをご覧ください。 その際に、他スタッフの大学生と(そこまで)年が離れていないこと、 わたしが敷地内にある公営塾で働いていること、 担当の方とほんのちょ

          カタリバ原稿「死にたかったわたしのこと」

          死ねなかったら生きてない

          死ぬっていう選択肢が出来たから生きやすくなったんだと思う。 皮付きのままグリルされた淡路島産の玉ねぎを眺めながら彼女は言った。 そういえば、阪神淡路大震災は、たしか私たちが生まれて間もない頃だったように思う。 そしてわたしは、カッターを腕に当てて、声を漏らさないように、部屋で1人激しく泣いていたあの日を思い出していた。 === 2011年5月、高校3年生のわたしはうつ病・自律神経失調症・軽度のパニック障害だと診断を受けた。 あのときのわたしは、毎日泣いていた。自律

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          誕生日を祝う理由を知りたくて

          みなさまお元気ですか、坂本です。 年齢が更新され、25才になりました。 近しい人々からは「まだ25才か〜〜〜〜い!」という ノリツッコミみたいなのものをよく受けるのと、 (理由を聞くと「年の割には落ち着いているから」だそうです) 自分でも年齢の記憶が常に曖昧ですが(笑)、 両親が言う生年月日を正とすれば、25才になったところです。 さて、誕生日を迎えるのが25回目であるにも関わらず、 恥ずかしながらわたしは「誕生日おめでとう」という 言葉の意味が未だによく分かりません。

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          幸せに生き永らえること

          みなさまお元気ですか、坂本です。 この1年のことを振り返っていたら、 どうしても忘れたくないことがあったのでここに記しておきます。 9月下旬、大学時代の友人が9名で わたしの暮らす熊本に遊びに来てくれました。 全員で過ごしたくて、民泊で探して予約した宿は、 阿蘇にほどちかい菊池市の一軒家。 予約から当日チェックインに遅れそうだという連絡まで、 「老夫婦でやっているから何時でもいいし、  たくさん楽しんで帰ってきてね」 と、とても温かい言葉が並ぶメッセージのやり取りで、

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          熊本城のいま(18.6.24)

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          しあわせを究めることは、似ている

          みなさまお元気ですか、坂本です。 元気であれば、わたしは嬉しいです。 元気がなかったら、わたしで役に立てるならいつでも連絡どうぞ! 前回投稿した記事は、いわゆる「退職エントリ」だったのですが、 とくに前職の方々から反響をいただき、嬉しさと同時に、 辞めても応援してもらえるとは面白いなあと思いました。笑 いま読んでくださっている方にも、感謝します。 さて、前回の内容を書くなかで、 「しあわせを追究する」ことについて考えてみたので、 つらつら書いてみたいと思います。 =

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          大好きな会社を2年ちょっとで辞めた話

          みなさんお元気ですか、坂本です。 初めてのnoteの投稿で緊張しています。嘘です。 さて、わたしは1月末に、新卒で入社し、 2年ほど働いていた大好きな会社を辞めました。 仕事も、一緒に働いている仲間も、面白くて大好きで。 それでも離れる決断をしたこと。 それがようやく言葉になってきたので、 自戒の念も込めて、書いてみたいと思います。 ==小見出し的な== 転職を考え始めた日。 守るべきものができたとき、きっとわたしは いまなにしてるのさ ぴんときたものは、結局 =

          大好きな会社を2年ちょっとで辞めた話