傷つく心と優しい心

Aが言った。

耳が聞こえる人が手話を使ったらろう者は嫌な気持ちになるかな。

Aの大前提は『手話は耳が聞こえない人が使うもの』
その考え方が差別的であると思う人もいれば、同じ考え方の人もいると思う。

我々は先入観で生きている。
いつも自覚のない大前提の上で会話をしている。

『アジア人だから箸の方がいいだろう。』
『高齢だから席に座れたほうがいいだろう。』
親切心からくる行動も受け取り手によっては差別である。


『アジア人だからってフォークを選ばせてもらえなかった』

…その差別は自分がそう受け取っただけで本当に意地悪でされたことだろうか。フォークはありませんか?と一言いえばきっとくれたんじゃないかな。


『自分より歳をとってる人だから席を譲ったのに怒られた』

…席を譲るかの選択はあなたのもの、譲られた席に座るかの選択は相手のもの。残念ながら相手は差別的に物事を見てしまったみたいだけど、あなたの中の大前提に『譲ったら感謝して座るもの』って考えがあったのかもしれない。


どっちがいいという話ではなく、
どんな物事も自分の受け取り方次第で親切にもヘイトにもなりうる。

これを再認識させられたという話でした☺️

そして私が出した結論は

・どんなに視野を広くと思っても自分の意見の奥底には大前提があるって自覚をしたい。

・傷つけようって意識を持たずに発した言葉が相手を傷つけるかどうかは相手の問題で自分はコントロールできないけど、なんで傷ついたのかを知ることはできる。だからそこまで知ろうとする努力をしたい。

これらを忘れないでいたい。

いいなと思ったら応援しよう!