【プロレス】正体探りはナンセンス
マスクマンの正体探りほどナンセンスなものはない。プロレスというジャンルにある「あいまいさ」をなくす行為である。
不透明決着
今は完全決着が多いが、1980年代までは両者リングアウトによる不透明決着が多かった。
全日本プロレスにおける統一王座戦はその傾向が特に顕著で、その度にファンは統一の夢を妄想し不透明決着の消化を図った。
その不透明決着であるが、夢の対決のその先を妄想させるために敢えてそうしていたのかもしれない。これも、プロレスにおける「あいまいさ」である。
マスクマンへのワクワク感(例外除く)
さて、マスクマンの話である。近年では調べるだけでマスクマンの正体がわかってしまう。
それは昔のプロレスにあった「あいまいさ」や誰だろうと想像する「ワクワク」をなくす行為であり、自らプロレスをつまらないものにしている。
レスラー同士の人間関係、動きの癖から正体を想像する行為が楽しいのであり、はじめから答えを安易に探るのはつまらない。
しかし、ストロングマシーンに対する「お前平田だろ!」は例外中の例外。後年、本人はそれをネタにしている。
まとめ
マスクマンの正体を想像する行為がプロレスをより楽しいものにしてくれる。はじめから調べて答え探しはプロレスの「あいまいさ」を否定する行為である。
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