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シャングリラは霧雨 ―中国・雲南省 母子3人紀行 #4

このエッセイは、夏休みに親子3人で中国・雲南省を旅したときの思い出をつづったものです。11日間連続で公開しています。

雲南旅行、4日目。
シャングリラへと向かう朝、5時にアラームが鳴って目が覚めた。カーテンの外をのぞくとまだ暗闇だった。

ぼんやりとしたまま洗面所へ行き、顔を洗った。息子たちはまだベッドでTの字になって熟睡していた。自分の支度をゆっくり済ませたあと、息子たちを順番に起こして支度をした。その後リュックサックを背負い、3人で部屋を後にした。

向かいの道路に大型ワゴンが停車していた。近くにいた運転手らしき人に名前を告げると、車内へ通された。そこには家族連れとおぼしき3人組がすでに乗車していた。40代くらいのご夫婦と、10歳くらいの女の子。きょうの旅をご一緒する人たちだ。挨拶を交わし、私たち3人は後方席にならんで座った。

別の宿で一人旅の男性をピックアップしたあと、車は幹線道路を一路北へ向けて走りはじめた。麗江市街を抜け、高速道路に入ったあたりで空がようやく白みはじめた。7名の参加者と、運転手兼ツアーガイドが1名。合計8名となり、一路シャングリラへと向かった。

小一時間ほど車を走らせたところで、最初の休憩地についた。土産物屋とトイレだけの簡単なサービスエリアだったけれど、ここからの眺めがすばらしかった。

雲にかすんだ山あいを、朝日を帯びて朱鷺色に輝く長江が流れていく。長江の下流域からはるばるやってきた身からすると、にわかには信じがたい光景だ。約2000kmの旅を経てはるか遠境の地に来たかと思えば、自宅近くを流れる川がいまだ目の前を流れているのだ。一本の大河のはてしない旅にしばし思いを馳せた。

休憩を終え、車はふたたび走り出した。向かったのは「虎跳峡」という渓谷。長江の上流にある険しい渓谷で、周囲の5,000メートル級の山々からの雪解け水が急流となってなだれ込み、約17キロにわたって奔流する。

そこには私が知る長江とはまったく異なる姿があった。私が知る長江はいつも波ひとつなく、灰青色の水面におびただしい数の船が行き来する、悠久遠大なる大河だった。しかしいま目の前を流れる長江は、いうなれば自らの破滅的なエネルギーを抑制しきれないひとりの若者のようだった。その黄土色の濁流は爆音を響かせながら、深い谷をさらに削り取るように奔流している。人の一生に例えるなら、思春期だろうか。若くて荒削りで、猛烈な……。

この濁流が、いつからあの空の色をうすく反映した豊満な流れへと変わっていくのだろう。その境目はきっと誰にもわからないのかもしれない、ひとりの人間が変容していくさまのように、あるいは昼と夜の境目を誰も見届けることができないように。

車はつぎの目的地へ向けてふたたび走り出した。その車窓から見える景色もすばらしかった。深緑の棚田のあいだを縫うように、土色の長江が流れていく。

苔むした山肌でヤクが草を喰んでいた。民家から棒を持った男の子が出てきて、ヤクを誘導しはじめた。長男とさほど変わらない年齢だろう。このような場所で生まれ育ったら、世界をどんなふうに見るようになるのだろうか。ここでは自然が世界の中心で、この地には自然があふれかえっている。そんなここシャングリラこそ、世界で極上の地だと思うかもしれない……。

草原や花畑などに立ち寄ったあと、車はシャングリラの市街へと入っていった。ここはチベット族の人々の町。黄色の壁に赤い塗料で模様を塗り重ねた独特のチベット式建築が建ちならぶ。店先の看板には漢字とチベット文字が併記されている。中華風の赤提灯とならび、タルチョーというチベットの五色旗が街角にはためく。ナシ族の人々が築いた麗江とはまた異なる趣きを持った街並みだ。

街の中心の広場でワゴンが停車した。時刻は正午になろうとしていた。ちょうど昼食どきだ。前方のご家族と一人旅の男性がそれぞれ下車し、街中へ散っていった。私たち親子もツアーガイドに一声かけて下車し、レストランを探すことにした。

子どもたちの手をひき、賑わっているほうへと歩きはじめた。休憩時間はちょうど一時間。迷っていたら昼食のタイミングを逸してしまう。近くに客が入っているチベット料理のレストランがあった。ここで昼食を済ませることにして、親子3人でテーブルについた。このとき、自分がある間違いを犯していることに私はまだ気づいていなかった。

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