やりたいことがないっつうのは、死にたいってことなんだと思うよ
何にも興味が持てなくなったら、人生終わりだと思う。
人や体験、行きたいところ。人生を過ごすうちに、そういうものをどんどんこなしてきてしまって、ふと「な〜んにもしたくないなあ」とか考える時もある。
今年の夏は今までで1番引きこもってしまった。暑かったせいもあるけど、それだけじゃなかったんだと思う。
令和元年。一軒流行ったら、タピオカ屋がバカみたいにできた。あんなにタピオカが大好きだった人たちが、今は #来年タピオカ屋なくなる なんてつぶやいている。
PayPayにLINE Pay、オンライン決済も増えすぎてどれを使っていいか分からない。
インスタ映え、おしゃれなカフェ、春服も秋服も、流行はセットアップ。今年は久しぶりにトレンドの停滞を感じた。
東京のど真ん中で、私はトレンドの先っちょに立っていて、今年はそんな飽和状態のトレンドの中で、何をしていいか分からなくなった。
タピオカ飽きたし、買ったことがない形の服がないし、ナンパスポットは一生コリドーかエビ横、東京都で降りたことがない区もなくなった。
一通り体験したら、興味のあることがなくなったみたいだった。
自分の興味は自分で作り出さなきゃなんだなあ
トレンドに流されて、なんとなく流行っているものだけを追っていると、いつか終わりは来る。楽しいものはどんどん生まれるけど、楽しいものが生まれるスピードよりも、寝たら来る明日の方がすぐだ。
なんとなく時間を過ごせてしまうから、ぼーっとしているときはすぐにインスタかTikTokを触ってしまう。でも、ぼんやり見ているだけのタイムライン、もうそこに目新しいコトや楽しいコトは転がっていない。
スワイプ一つでコンテンツを目にする今だからこそ、トレンドやタイムラインになんとなく流されていたらダメなんだと思う。
エンタメは世の中に溢れてるけど、私たちは強欲だ。同じモノにはすぐ飽きる。だから、自分の興味は、自分で作っていかなきゃいけない。
家にこもっているならいるなりに、読書とか映画を見るとか、そういうことをすればいいのに、私は今夏ずっとぼんやり、仕事とSNSを往復していた。なんて無為に時間を過ごしちゃったんだか。
探し続けないと、トレンドに溺れる
人間、自分の頭で考えることをやめたら終わりだ。
受け取るだけの情報はほぼ意味がない。考えて感じて、やっと自分の糧になる。それ以外はただの時間つぶし…時間のゴクツブシにしかならない。
「最近ヒマだなあ」という人、それがナゼなのかしっかり考えてみないとダメなんだと思う。それは多分、興味の停滞なのだ。
溢れすぎた流行とコンテンツの海の中で、足を動かすのをやめると一気に溺れる。ただぼんやりと、垂れ流される情報を眺めてるだけじゃあダメなんだ。
気になることや興味のあることは、探したり考えたりしてやっとできるもの。なんだかずっと思考停止していたんだなあと、やっと気付いた。60日くらい無駄にした、多分。
知らないことを知りにいかないと、人間は終わる。現状維持なんてできないんだなあ。だって飽きちゃうんだもん。
そういえば今夏はすごく結婚のことを考えてた。安定したいなあって。でも、安定したいという気持ちが、ぼんやりした毎日になっていた。
安定した生活と、思考停止しない好奇心、どうやって両立していくか、令和元年のうちに考えようと思った。よかった、一つ目標ができた。
人生の千秋楽とか大往生とか言うのは、「ああもう、やりたいことは全部やった。もうこれ以上突き詰めるものはやい。やりきった。」そう思えることなんだろう。少なくとも自分は、そう思って死にたいや