たまに観る映画レビュー『パリタクシー』
少し前のお休みの時に、やはりAmazonPrimeで観たのが『パリタクシー』。
人生何をやってもうまくいかないほとんど絶望的な状況にいるタクシー運転手が、いよいよ一人暮らしができなくなって老人ホームに入居することになった、その老女をタクシーに乗せたために始まった一日の物語。その一日に、老女の若い頃からの波乱万丈な人生の出来事の思い出と、そこにちらっと挟み込まれるタクシー運転手の過去と…。
この老女がなかなかの強者で、本当に荒波の人生を生きてきたわけで、人生って理不尽だし予想もしない展開もあるし、一生懸命な思いが他の人には理解されない・伝わらないとか、その上に脳天直撃級の不幸も振って来るし、本当に生きることってたいへん…と彼女の人生を一緒にところどころ、かいつまんで覗くだけでも、そう思わされる…。特に長く生きてきた人ほど共感するでしょうねえ。そういう私も人生60年超なので、かなり共感。
最初は、自分の人生の山積課題のことで頭がいっぱいで超不機嫌だったタクシー運転手の彼が、彼女の辿ってきた悲惨で過酷なあれこれを聞かされ、それでもチャーミングで強い彼女の人柄に触れるうちにだんだん打ち解けて心を開いて表情が和らいでいく、その変化の様子が興味深い。このストーリーを考えた人の人間に対する洞察とか理解がすごいなって思っちゃう。
主人公は、だからこの老女とタクシードライバーの二人で、メイン舞台は会話が進行するタクシーの中というのも面白い設定。
老女は90歳過ぎているので、彼女の若かりし頃、つまり80年近く前の回想シーンから始まるので、その頃のパリの人々の様子、装い、街並み、カルチャーなど垣間見ることができるし、タクシーが走る現代のパリの街も映し出されるので、今だ、”巴里は憧れの都”である私にとっては、その美しい映像も十分楽しめました。
この老女は、そういうわけで(詳細は映画でどうぞ)若い頃から散々苦労して最後は一人でタクシーに送られて老人ホームに行くわけなんだけれど、その送ってもらう一日が彼女にとって本当に楽しくて嬉しい一日になったのが、なんていうか、神様の祝福のように思えました。90年超の人生の大半が散々の苦労で最後の祝福が1日って、わりに合わないじゃん?って、自分で書いてて思うけど、でも、毎日、生きている今が今日であって、最期まであと数日に迫ったところの一日が最高な人生の総仕上げ、と思えたならそれはやっぱり主の祝福でかなり幸せだと思うの。
そして、このタクシードライバー氏も、最初は冴えない苦い表情で愛想もないんだけれど、だんだんこの老女に惹かれていき、老人ホームに行く道中で彼女の思い出の場所をあちこちリクエストされるままに寄り道させられるわけですが、その間に珈琲を買ったり、二人でアイスクリームを楽しんだり、最後は日が落ちてホームから早く来るように催促の電話が入ったにも関わらず車を止めてディナーまでご馳走しちゃう、しかも相当経済的に行き詰まっているはずなのに、という根は優しくてなかなかの善人なの。年齢的にはおばあちゃんと孫のような感じで、実際にそういう愛情さえ二人の間に漂う。
最後のシーンまで行く前に、ふと、このドライバーの、運転手としての任務以上の行いに、何か良い結果が待っているような気がしました。そして、実際に、あるの。ハッピーエンドとは言えないんだけれど、それはこのストーリー自体が、先にも書いた通り、人生って理不尽だし辛いしでも良い事もあるよね、的なメッセージが感じられる中で、何か、併せて聖書的なものを感じたから。
例えば、登場人物の会話にはキリスト教色も信仰的な話も一切ないんだけれど、最後の最後の展開に、根底に聖書の教えがあるような気がしたの、私の勝手な解釈かもしれないけれど。このドライバー氏が、自分もたいへんな中でも乗客の老女に役割以上の好意の行いを精一杯施したことに対して、主の祝福があるんじゃない?って思っていたら、あったから。
この映画を観たら、人生って結局、帳尻も合わないのかもしれないけれど、精一杯生きて、最後に「良かったわ!」って言えて、しかも、自分が生きたことや残していくものが誰かの役に立ったり喜ばれたりするなら、それで結果オーライかな?って思ったりしたのでした。
冒頭の写真はtatamni-niwaさんからお借りした、巴里の象徴エッフェル塔。ありがとうございました!