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なんか、インドネシア3年目
小学生のとき、給食が大好きだった。とくにドライフルーツが入ったコッペパンが大好きで。たしかフルーツパンという名前だった。給食がそのパンの日は朝からうきうきで学校に行った。いや、それだけじゃない。カレーも好きだったし、フルーツポンチなんてとんでもなく好きだったな。案外ナムルみたいなのも美味しくて、ばくばく食べていた。
中学生のときも、給食が大好きだった。AランチとBランチが選べるタイプの給食だったから、1ヶ月前に献立が配られて、マークシートに食べたいランチのところに色を塗った。つまり、1ヶ月前から1ヶ月後の献立を楽しみに学校に通えた。4時間目が終わると走ってランチルームに行き、先生に「教室から歩いてやり直せ」とよく怒鳴られた。
ー給食をずっと食べていたい。
それが小学生のときに、学校の先生を目指したきっかけだ。中学生のときは、給食で学校は選べるのかと本気で考えた。
当時は千葉県に住んでいて、自分が通っていた地域で先生してみたいと思った。特に深い理由はなくて、それ以外の選択肢を持ち合わせていなかった。
それからなんやかんやあって、本当に学校の先生になりたいと思って、高校の進路希望表には教育学部の名前を書いた。なんとなく「先生になりたい」という夢は気恥ずかしくて大きな声では言えなかった。当時の担任には「案外お前みたいなやつがいい先生になったりするから意味が分からない」と意味が分からないことを言われた。
いつだったかの昼休み。ベランダでお弁当を食べながら試しに将来の夢を友だちに言ってみたところ、別に大きな反応はなかった。非常にありがたい友だちたちだったと思う。そのあとに、母親に言って、またも大した反応はなかった。まぁ子どもが気にしていることって、案外そんなものだよね。誰かに夢を言うって当時の自分にとっては、一大決心だったのにさ。
社会が好きだから、社会科の先生になりたい。歴史も地理も公民も好きだから、中学校の先生がいいな、と。中学生のときからぼんやり思っていたことをぽつぽつと周りの人に話すようになった。
そして、1年間の浪人を挟んで教育学部に入った。
さっき隠していたことなんだけれど、中学生のとき、隣のクラスの美術のスギちゃんと呼ばれていた先生がタイへ異動した。休み時間に美術室に行って、しょうもない話をしていたスギちゃんは、なにやら大変な試験に合格してタイに行くことが決まったんだと学年主任の先生が言っていた。年中ジャージの社会の先生が。ちなみに熱血で昭和な空気を漂わせていたその先生は、こっそり尊敬している先生のひとりでもある。
なんとなくそのことは記憶に残っていた。子どもながらに海外に行くことをかっこいいと思っていた。なんせ、家族は誰もパスポートを持っていなかったから。未知の世界のようで、なぜか遠い世界ではないような、不思議な気持ちで海の外にある国を想っていた。
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実は高校にも海外で働いていたことのある先生がいて。留学に行く友だちも多くて、なんとなく海外はずっと感覚的に遠くない場所だった。
話が少し逸れちゃった。
大学ではだいぶ楽しく教育を学んだ。なんせ、中学生のときから気になっていたことだったから。先輩と友だちにも恵まれて、教授もいい人ばかりで、とても良い4年間を過ごした。
と、ここで起きた大きな転機として、同じ学部にベトナムで働く先輩がいた。先生をしているらしい。社会人2年目の先輩。ビビっと繋がる。中学生の時のスギちゃんと同じじゃない?
気になっていたら、教授がそういうルートもあるんだと教えてくれた。その教授の勧めで、別の学部にいる、昔、日本人学校で働いていたという教授に会った。現地での大変な話も含めて色々話を聞いたけれど、興味しかなかった。なぜかベトナムにいる大学の先輩とほかの先輩たちも含めてモロッコに行き、ベトナムで働いている話と日本で働いている人の話を聞いて、海外おもろいと思った。というか、海外で先生しよって決意した。砂漠の星空をブルブル凍えて眺めながら。
そこから、大学の勉強は人並みに頑張りつつ、旅に片想いし、いろんな国を眺めて、働きたい学校を決めた。インドネシアだからというよりは、今働いている学校で働きたくて、それがたまたまインドネシアだった。
中学生のとき、キャリア教育の授業で職業調べをして、先生を調べた。恥ずかしくて、ほかの職業が思いつかないからと嘘を言ったんだけれど。
そのときから先生にはなるぞと思っていたけれど、まさか新卒で海外に行くとは思っていなかったし、インドネシアのことは何も知らなかった。流石に赤道を超えた場所に住むなんて思ってもいなかった。だって、その選択肢は頭の片隅の片隅にしかなかったから。
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小学生から大学生まで、どこかで何かの出会いが欠けていたら、今、あっつい部屋でベッドに寝転びながらアザーンを聞いてこのnoteを書くこともなかったのかもしれない。不思議だな、人生って。
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