若年性パーキンソン病になってDBS手術を受けてみた僕の話
自分は今日、パーキンソン病という難病の対処術である、DBSという手術を受けました。そのことについて語りたくなったのでノートに記します。
パーキンソン病とは
パーキンソン病というのは…って説明するのに一番いいと思っている例えば「志村けんの演じるジジババ」である。ヨタヨタ歩いて腕が震えてるアレ。自分の症状も早い話アレである。意図しないときに手が震え、足を引きずってあるく。
ジジババ的年代になると割と多くの方がなるが、若い方は比較的少ないといわれている。また、ひとりひとり症状や進行がことなり、根本的な治療方法はまだない。対処としては体内でドーパミンを作らせる薬が頼りになるけど、長年服用していると効果が持続しにくくなっていく。
そこて検討に入るのがDBSだ。脳に電極を差し込んである部位を微弱電流で刺激してやることで、不思議と動きが良くなるらしい。
……と書くのは簡単だけど、、なにしろ相手は(俺の)脳だ。穴をあけて、電極をぶっ刺す!でも薬を1日に6回飲んでなお症状が抑えられない自分は、これを所望し、病院を転院し、たくさんの同意書にサインをした。
手術当日の話
12月某日朝、全然眠れてない。緊張と空腹。
9時オペ開始だけど6時に準備開始した。T字帯というフンドシのようなやつが心もとなさすぎる。
8時50分に自分でストレッチャーにのりこみ移動開始。
ドラマで見るあの天井と看護師さんと点滴だ!と思った。そのまま口に出したが看護師さんは苦笑。患者アルアルなのだろうな。妻と一瞬だけ会う。「あなたしつかりして!」とか言ってくれたら雰囲気出るのに(このときは余裕あった)。
手術室の赤い看板!あの照明!
もともとお世話になっていた脳内科医さんに加えて脳外科医、麻酔医、看護師から自己紹介されるがおぼえられずよろしくしか言えない。
そしてさっそく一旦全身麻酔?で気を失い、起きたときには頭部を全部覆うホネ組み、フレームが頭蓋骨に固定されていた。このフレームで狙いを定めるのだ。平常時にこんなのつけられたらパニックだろうけど、麻酔明けの自分は「仮面ライダー」だと思った。夢の中で喋ってる感じで、気分は良い。
尿管というのが刺さっており、よくわからんがおしっこは垂れ流しでいいとのこと。
フレーム男のままMRIを受ける。これで"刺す"方角と位置を決めるらしい。
すぐにオペ室へ。
10:07なんとかなんとか手術開始します、の声。「よろしくお願いひまーふ」と力なく返す。
さっそく左の頭蓋骨から。ちくちくと麻酔を打たれ頭の感覚はないが意識はまあまあバッキリしてる、これのままいくのか、、、さすがに緊張で血圧と脈拍がたかい。なぜわかるかって、あのドラマで聞こえるピッピってやつがなってるから!
何かがはじき出した角度をもとに、外科医がフレームの角度を設定していく。角度を呼称確認してくからおれも繰り返す。
まず頭皮を切ったのかな?ジョキジョキと音がする。麻酔してるから痛みはないけど、足が震えてるのかわかる。それから頭蓋骨に穴を開ける。わかってたけどこのへんからほんとにびびりだす。先生に命を預けるとはこういうことなのか。
「ちょっと大きい音がしますからね」「ですよね」ぐかがががかばぱはばはごこここごご!!!頭の中で入間の航空ショーで見たF14か何かとアパッチが飛び回る、地響きで歯が噛み合わない。「若いから頭蓋骨も固かったねー」と言われちょっと誇らしいが、今の自分は脳の白子が露出してると思うと足の震えも大きくなる。手先足先は冷えて震えている。
いよいよ"刺す"。このタイミングで、さっきまであちこちで何やかんやしていただいていた室内の慌ただしさが嘘のように消え、こだまするのは依然高いBPMを刻む俺の心拍と、差し込む端子の先についてるセンサが拾っている俺の脳みそどの摩擦音のような音、だけになる。外科の先生と、技師的な人がマイナス15.0、-14.0とカウントダウンしていく。
-12.いくつで音が変わった、着水したらしい。この場合着脳か?
もちろん血管やら脳やらに傷がついてはいけないから、その後ははてしなくゆっくり。このときばかりは本当に俺も黙って耐えるのみ、ところで脳みその白子じゃない部分って何で占められてるんだろ?
永遠とも思えたカウントダウン……-2.0……-1.0………ターゲット………+1.0っておいまだつづくんかい!と思ったのもつかの間、プラス1.いくつで音がかわったらしく親水の儀は完了。
で底にたどり着いてもまだ終わりじゃないのよ。DBSは小脳(付近)に刺した電極から微弱電流を流し続ける対処療法。てことは電流量やその方向を調整してくわけで、これからその(とりあえず初期の)調整幅を定めるらしい。
いよいよ電流を流す、まず0.1mAから。恋に落ちるときみたいに(?)ビビビッとくるか?こない。0.2、脳内科の先生が1回1回腕の動きを見てくれる0.3、ココらへんで、前日から薬を断ってギシギシになっていた右腕が柔らかくなっているのがわかる。0.4,0.5,検査は続く。右手を開いたり閉じたり、タップして、ひねって、きらきらと手を振って。
意識は概ねはっきりしており、白子は露呈しており、そこに釣り堀よろしく電極をしずめ、そのさきっちょから電流を放っている。たぶんすくなくとも今この瞬間、世界一レアな人間だな!
電流が桁を増やし5.0,6.0をこえたあたりで徐々に手が痺れ、顔が内側から圧迫されてくる。「名前は?」の問いに答える言葉が飴玉を含んだような言い方になった。この辺が制限らしい。電流をさげてもらいほっとしていると、2番めの電極の試験が始まった………え、4番目まであるの、、、無限のグーパーキラキラ地獄……救いは手を握ってくれる先生がちょう自分の好みであること。。。さらに今回は脳の反対側にも同じことをするのだ、局部麻酔、脳内戦闘機、無限沈下釣堀、そして無限グーパー。2回目は内容がわかっているだけに怖い。全身の麻酔も切れかかって意識ははっきり。足ガクガクの小便垂れ流しで祈っているうちになんとか右脳も完了。
こうして全ての電極の調整をおえて、はれて電極は俺の頭の中に残置される。
頭蓋骨に開けられた穴はそれと同じサイズの板で蓋をされ(ドライバーまわす音が脳内に響く)、電極のリードはどうするのか。これがまた体内に埋め込まれるのだ。両側の電極から出たリードは皮膚の下で左耳の後ろを通って、首から左肩健康骨付近に埋められるバッテリに接続される。この最後の工程は(やっと!)全身麻酔に切り替えられる。よって自分の意識はここまでとなる。聞こえるかわからない声で「みなはんあひがとうごはいました」と繰り返し、眠りについた次の瞬間はもう、病室へと向かうストレッチャーの上。終わりましたよと看護師に告げられ肩に手を当てると、僅かな痛みとともに確かにある、これから先の人生の相棒の感触。 バッテリ及び電極は10〜15年以上もつらしい。
ストレッチャーは手早く運ばれていき朝以来の妻のもとへ。「おわったよ」と言おうとするが喉がカピカピで声が出ない。続けて「こわかったーw」と冗談ぽく言おうとして、そのままカピカピの声で泣きじゃくってしまった。だって、本当の本当に怖かったんだ。手術開始から5時間半が経っていた。
妻はそのまま医師の説明を受けて帰宅し(コロナウイルスの影響で病室へは入れない)、自分はいろいろな管を繋がれてスマホだけ渡されてこれを書いている。まだ電極の電源は入っていなくて、これを調節して安定したら退院となる。もちろんこの病気は進行性だから、定期的な診察がひつようだ。
終わりに
とにかくこの(個人的に)すごい体験を周りの人に伝えたくて一気に書いた。パーキンソン病が若い人には無縁の病気ではないことと、人生で一番大事なのは健康であること(ここで言う健康は単に病気でない状態ではなく、様々な問題を抱えていても、それに対処し乗り越えて行く能力・態度を保持していくこと!)、何より医師や看護師の皆さんへの大きな大きな感謝をつたえたい。
#やってみた大賞