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城下町消失
よく考えもしないで、書くほどのことはないだろうとしてきました。それがそうではないようだと、老いも老いてから、ふと感じました。
その書くほどのない時間とは、一九四五年、昭和二十年をさかいとします。そのとき、わたしは七歳、小学校二年生です。六月下旬、米軍の空襲で岡山市街は一夜にして灰燼(かいじん)に帰しました。東山から一望した焼け跡にはまだ火がくすぶり、ときおり炎が燃えあがるのが朝日ら照らされます。
大火(たいか)に巻き上げられた水蒸気は夜空を黒雲でおおい、すぐに驟雨(しゅうう)になって地上にふりそそぎましたが、夜明けにはやみました。市内を北から南に貫流する旭川(あさひがわ)だけが、きのうと変わらずに悠々と流れています。五階ほどのデパートの残骸が、焼け野原のさきに確かめられます。
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