これはもう、西成の冴羽遼といってもいいのではないか!
映画を観る理由なんて、本当はないけれど。映画を観る理由を敢えていうのなら、非日常の延長線を感じたいからだ。非日常ってやつは「原稿を書いたり、洗濯物を取り入れたり、子どものプリントを確認したり」とは対極にある。だけども非日常ってのは、旅行程度のベクトル上にいない。それはただのちょっと角度のついた日常だ。
非日常には、悪い奴が必要だ。悪い奴は憎まれているし、殺される。映画としての悪人の存在は、物語を前に進めるためのニンジンのような感じだ。なければ、映画というロバは前に走らない(