【脳力開発】日本経済停滞の理由はこれだ?今注目される城野宏の分析方法とは? パート1
日本経済が失われた30年といわれている。しかしながらその分析がなされているのか、原因はどこにあるのか。たまにニュース記事に出るがどれも行動を変えるほどのインパクトがないように思える。そこで筆者がある研修の中で出会った「城野宏 脳力開発」を用いて現在の長期停滞の原因を探っていく。 城野宏 脳力開発より
城野宏が分析した当時の日本
1900-1969年の日本の経済成長は70年間で150倍年率平均10%以上の成長を続けた。同期間のイギリスの経済成長は3.6倍であり、フランスは6倍であった。
エコノミックアニマルと揶揄されることもあったが、経済の目的を①人間に食わせ、②着せ、③住まわせる。即ち生命を守ることにフォーカスした場合、良い経済成長といえた。日本は温帯地域に位置し、バクテリアなどの発生しやすい地域であるにも関わらず、スエーデンの平均寿命を超え世界一の長寿国となった。
1980年当時日本は円高不況になるとしきりに騒がれた。日本国の株と同じであり、円高は国民全体にとっては良いこと。日本は資源輸入国であり、その資源が安くなることは良いことである。また日本の成長力の力強さを感じ、アラブから投資されるようになり、世界が「円」の価値を認めるようになった。
以下は筆者が2022年7月14日 城野宏 情勢判断学会東京(参加者9名)にて学会員と議論した上での分析結果
ターニングポイントは1990年ごろ。当時は超円高といわれ1ドル70円となった。大手製造業は日本での生産を縮小し、安い労働市場を求め海外移転が加速するようになった。1998年小渕内閣がデフレ脱却のために27兆円規模の経済対策を行なったが効果は限定的であった。
当時の日本の状況
それまで生産性向上の努力をしてきたが、1ドル70円という為替相場に日本国内での生産を縮小した。
大企業にとっては技術の移転をするだけで原価が下がり、収益は改善した。以後この流れが加速した。
大企業を支える日本に残る中小企業は海外とのコスト競争でさらにデフレが加速し、疲弊した。新たな研究開発資金が捻出来なくなった。
日本には明確な「戦略」がなかった
日本の戦略「製造業から情報産業へ」舵をきることが出来なかった。理由は日本人の「平等意識」と「現状維持」。特定の産業のみを優遇することが出来なかった。もし、当時「製造業から情報産業へ」の戦略が打ち立てられていたら下記の戦術が組立てられたと考える。
日本の中小企業の製造業従事者に再教育を施し、情報産業に転職できるようにする。
公共事業投資ではなく、情報産業に投資を行なう。
地方により情報産業投資を活発に行なう。
情報産業は資源輸入の必要はない。歴史にもしはないが、当時この戦略を打ち立てていたならば、今の日本とは変った世界が見えていた。日本は明確な戦略を打ち立て戦術を実行する。戦術は戦略に従属させる。戦略と戦術は混同しない。戦略とは何なのか。今の日本に城野宏は語りかけている。
パート2に続く