英検4級落ちた保育士が海外を目指す
私は中2で英検4級に落ちた。
それから英語は自分に向いていないと思い、社会に出るまで英語学習には背を向けていた。学生時代、唯一テストで赤点を取り続けていたのも英語だけ。
だけど今では1人で海外に行って現地で友達を作り、仕事で英語を使っている。
現在32歳で保育士を目指したのは私が27歳の時。
今も特段、子どもが好きかと聞かれれば何の迷いもなく「大好き」と言える自信はない。ただ、保育士の仕事は好きだし誇りも感じている。
10代の頃、ましてや20代前半の頃には想像していなかった未来に立つ現在。
逆に想像していた未来とは何だったのだろうか。
以前このnoteに「夢コンプレックス」という記事を書いたが
そこには惰性の連続のようなこれまでの経歴を書いている。
学生の頃に想像していた未来とは、
普通に就職できるくらいの学歴のために短大くらいは卒業して、中小企業に就職して、職場恋愛でもして、実家からそれほど遠くもないところに住居を構え、家庭を築いていくのだろうと、、、平成生まれの女子が考えそうな理想の未来を想像し夢見ていたように感じる。
現実の経歴
短大卒業後、中小企業の営業事務として働く。
(何となく想像通り。)
しかし、業績第一の上司のもとで働くことで心を病み始める。
(雲行きが怪しい)
職場恋愛の相手が3股していたことを知る。
(おやおや。人生詰んだか。)
現実逃避のた屋久島に一人旅に行く。
(つまらないことで悩んでいたに気づく)
(一人旅って想像もしていなかった出会いがあるんだ。魅力的じゃん。
国内に限らず海外でもいろんな景色や人に出会いたいなー)
5年働いた仕事を辞めてオーストラリアにワーホリに行く。この時25歳。
(毎日が刺激的。自由と責任、選択の毎日に今まで使っていなかった脳と感性が働く。)
オーストラリアで貯めたお金を使ってアメリカをキャンピングカーで横断。
(仲間との旅って最高に楽しいじゃん。ロードトリップ最高!)
ニュージーランドワーホリ
(とにかく大好きな国。経験値的に大きな成長はなかったけど、自分の好きを見つめ直した)
アジアをバックパッカースタイルで旅する
(保育士を目指す原体験をする)
本帰国。保育士を目指しインターナショナルの保育園でパートとして働き始める。半年後、保育士資格取得。
(子どもって可愛いけど可愛いだけじゃない。想像以上に責任ある仕事。人生のどこかで海外と繋がっていたい。)
現在
それから保育士として正社員で働き続けている現在。
仕事内容は会社員と比べると責任も重く、ハードだなと感じる事が多い。
それでも心が健康で働けているのは、一度日本の社会から離れたことで真面目に働きすぎていたことに気づき反省し、肩の力を抜く事ができているからだと思う。
その影響なのか、今年はなかなか保育士としても、一般社会の会社員としても珍しい仕事を続けたまま一ヶ月の休暇を取って一人でフランスに旅に出た。
おそらくみんなが想像するようなフランス旅ではない。
私が訪れたのはパリやニースなどの観光地ではない。
カミーノ巡礼で行ったため、南フランスの田舎に行ったのだ。
それに20代の頃と変わらず貧乏旅を続けている。
しかしフランスに行ったことでさらに人生の糧となるような出会いと経験ができた。
また世界の広さを感じ、人間の温かみを感じた。
自分自身を見つめ直す時間も多くあった。
私が保育士を続ける意義も再確認できた。
そして豊かさを体感した。
英語の話しが全く出てこなかったが、ワーホリでは日常会話くらいはできるようになり、帰国後はインターナショナルの保育園で働き外国人講師と英語でやり取りし、子どもたちに英語も教えている。
英検4級落ちたことは事実だが、今となっては「それがなに?」と軽く思えるくらいには苦手を克服する事ができた。おかげで海外の一人旅も語学を理由に諦める必要がなくなった。
これまでを振り返ると人生の転機となったのは屋久島に一人で行ったところにあると思う。
その時は正直、仕事もプライベートも行き詰まっていてお先真っ暗状態だった。
想像していた未来というテーマだが、当時は今を生きることに必死で想像できる未来なんて無かったようにすら感じる。
10代の頃、そして就職した頃想像していた未来には立てなかった。
しかし立てなかったからこそ、今の幸せがある。
そう。私は現在幸せなのだ。
迷わずにそう言える未来に立てている。
きっとこれからも想像している未来にはならないだろう。
だけど、そこには自分の意思があってその先に幸せがあればいいなと思う。
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